少人数学級についての雑感:指導力・統率力が低い教員には少人数だろうが無理
タイトルだけで言いたい問題点は終わり。そもそも一人で今教員に要求されていることを完璧にこなすのは無理ではないかという話です。
提案:個別指導塾のように担当する生徒を教員にランダムに割り振るのが良いのでは。いわゆるこの本にある「固定担任制」の廃止。
注)私はこの本を読んでません。
しんどい、教員の働き方
人間一人の集中力は限られている。教員は基本的に長時間労働なので、集中力はどんどん失われていく。その上、やることが多い。適応しなくてはいけないことが多すぎる。
生徒の日々の成長
子どもは日々成長するので考えていること、表に出てくる言動がどんどん変わる。教員の仕事は毎年同じ流れを繰り返すが、毎年毎年思うようにはいかないのは他の仕事と一緒だ。しかし一人ひとりの成長度合いが違うためにそこに合わせるのは大変な苦労がある。
生徒の成長に向き合う!これが素晴らしいんだ!先生という仕事を一生懸命にやるんだ!と本人が思うのは大事なことだが、無理強いは出来ない。どんなに好きな仕事でも、一旦しんどいヤバイ経験を持ってしまったら、仕事に対する見方をポジティブ方向に取り戻すことは容易ではない。
授業の準備
授業が先生の仕事の本分と言われるが、分掌の仕事(修学旅行の調整、学内行事の準備、生徒会活動、教材決め、授業のコマ調整、などの授業本体以外の雑務…)や部活動の監督(近年は、指導自体はコーチに任せている部活もある)があり、授業の準備をろくにすることが出来ないことが多い。
電子黒板が配置されていても、紙芝居にしかならなかったり、それすら用意できない場合もある。出版社側からスライドや教材が提供されていたりするが、使いこなせる人はそう多くない。完全に使いこなすのはまだ先なのだが、遅々としている。
働いている人なら実感していただけると思うが、業務的には年度単位でも月単位でも、繰り返しがある方が習熟してくるし進めるのが楽である。学校とは人は変われど年度単位での繰り返しの仕方は大きく変わらないことが多いし、あまり変えたがらない。それが授業の仕方を変えられない慣性になってしまっている。だがICTの普及もあり、学校にもネット回線が配備されるようになり、変えざるを得ない状況に突入している。さらに、教育課程が変わる旅に指導内容が変更されるのだから大変だ。
生徒・教員の人間関係の硬直化によるストレス
教員や友人関係などが原因で学校に通えなくなる子もいる。そうした子のケアを担任がやろうとしても、担任が原因の場合はほとんどの場合無理だ。病院とも関わる必要があるだろうが、センシティブ情報に当たるので気軽に参照ができるはずもない。またフリースクールでも指導者の確保や学習コンテンツの整備などが課題になっている。実働部隊は民間の塾が行う場合もあるが、学業や単位との調整については教員・教育委員会が全部やらなくてはいけない。
また一方で教員側もこの問題を抱える場合がある。嫌な上司や同僚となる可能性だってある。この問題は、どんな仕事でも発生しうるが、学校が基本的に長時間労働である、ということはすなわち同僚・上司とも過ごす時間が長くなるわけで、こうした状況に陥った場合のダメージは深刻である。
加害性の高い保護者(モンペ・ヘリぺ)
また生徒の親が加害性が高く、ストレス源の場合もあろう。保護者本人に、まずカウンセリングを受けることをオススメしたくなるレベルの保護者もいるのだ。クレームは理不尽な要求なのか、学校側で対応可能な配慮なのか、そうした生徒・保護者・教員の利害関係を調整するためにスクールローヤー(要するに学校の顧問弁護士)の配置が課題となっている地域もあるぐらいで、こうした加害性の高い保護者対応は本当にしんどい。専門の部署が必要なぐらいだ。
以上、ほんの一部だが、学校での仕事や、学齢期の子どもとのコミュニケーションは独特のしんどさがあることを紹介させてもらった。
一部の教員はこのしんどさから逃れるため、「立場が上」であることを利用して「絶対王政」「クソルール」「教員がいじめを誘導する」とかが発生して主従を単純にしようとすることがある。そうせずにやれているほとんどの先生は本当にえらいと思う。
本日は以上です。