note一ヶ月過ぎて今思うこと


読むのが好きで
書くことが好きだったのに
習慣の中から、いつの間にかなくなっていました。
忙しさにかまけて時間がないから仕方ない。
それが習慣になると、別にそれで
不都合も感じなくなっていました。 


去年辺りから
手帳の中に他の日と違う一日であったことを
少しずつ書き始めると、
蛇口の栓を開けたように
自分の中の思いが流れ始めるようになってきました。
開けなければ、それほど書きたいことがあるなんて自分でも気付いていませんでした。

毎日色んなことを感じて生活しているのに、書き留めなければ、
何か特別なことが起きない限り
ほぼきれいに忘れていってしまうのだなと思います。
まして、この頃はあったことは覚えていても、前後関係すらが曖昧だったりします。
まだまだ“書く”リハビリ中です。
以下、下書きに続きます。



不意に思い立って
勢いのまま始めたnoteでした。
noteを知ったのは、X(旧twitter)
世界を巻き込んだ
病騒動の情報を得るためでした。


なので、初めは
何かを研究している専門の方の場なのだ
と思っていました。
なんでもない自分のような者が
発信するなんて(誰が見るの?と)
一昔前なら考えられないことでした。
(ブログなどはあったので、
SNSは苦手と敬遠してきて本気でやる気がなかっただけですが)


始めて未だ分からないことばかりで
ほんの一部しか
使えていなのかもしれません。
ずっとこのままかもしれません。


ですが、分かったのは
こんなに年齢も生業も様々な方々が
自らの微細な心の内を
自分の言葉で表現されている
そんな世界がこの中に広がっている
…自分にとってはとても斬新でした。



ネット社会は
生活の中に当たり前になって
便利な点が増えたのは間違いないです。
身近にはいない
顔や容姿も知らない人の心の中が
リアルタイムで分かるなんて、
すごいことです。

いや、実際に側にいたとしても
本音を出して語れぬことだって…
むしろ近過ぎるからこそ
関係を複雑にしたくなくて、
あえて言わないでいることの方が多いかもしれない。


それが、
与えられたものの中からではなくて
各々が自分にとっての価値のあるもの
を見つけていけるこの場所って
素晴らし過ぎやしません?か。
(あ、いえ私が気付くのが遅いだけですか…)

誰もが誰かのためになることが出来る、
なんて。


時に、自分の興味から検索していたら、
リアルだけではきっと接点がなかっただろう方の体験を読ませて頂くこともあり、
その偶然を楽しんでいます。



本来なら
人と人とのつながりは肌感覚で
一緒に共有する場で感じる方が自分は好きですが、
と同時に、それは煩わしさもつきものですし
リモート化や無人化の
便利さへの流れにあって良くも悪くも
人が直接触れ合う機会は
自ら減っていくのかもしれません。




それでも、ここには
蜘蛛の巣のようで
一本一本はとても細いけれど
その糸と糸同士がまたつながって広く
つながれる世界があることを感じています。

初めから見えないものは、
なくなることもないですから。



毎日慌ただしく過ぎてゆく日常の世界と
noteの世界。
noteは
現実世界に住む自分の影が映る場所。
幼い頃
本に引き込まれていた時に感じていた
時間もなくどこでもない場所。
あの時と同じように
大切な場所です。



この中で出逢える皆様に
色々な気付きを与えて下さって
感謝いたします。
ありがとうございます。


8/31(土)

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