最近の記事

生きる意味

生きる意味 誰もが一回は考えたことがあるのではないだろうか。 私なりの結論この問いに対して、私は「生きる意味など無い」という結論を出した。 どんなに成功していたり、優秀である人も偶々そうなっただけ。全ての人間に生きる意味など与えられていないのだ。 生きる意味を考えている貴方に私が伝えたいこと生きる意味を考えている人がいるのであれば、私は 『みんな平等に生きる意味は与えられていないから、どうか生きる意味を見出そうとしないで。存在するだけで貴方は価値があるんだよ。』 と

    • 母の在り方と離婚

      世の中には、離婚しようかどうか悩んでいるお母さんも多いのではないだろうか。 私の母は私が物心つく前に離婚している。再婚はしたものの、育った環境はほぼシングルマザーと同じであろう。(ここについては後の記事のネタにしようと思っている) この問題について子供目線から、自論を述べてみる。 まずはじめに離婚を考えている方は自分のことで精一杯であることは分かっている。金銭的問題、周りからの目、抱えている悩みは膨大だ。 でも一度、子供がどう考えているかに焦点を当てて考えて欲しい。結

      • 甘え上手になりたい

        昔から貶されることが多かった。 欠陥品と言われて育ってきた。  親に捨てられないように、親が何を求めているかを常に察知しながら生きてきた。 私は親にとって体のいいアクセサリーであればいい、または愚痴をきいて慰めてあげる存在であればいいと思いながら接してきた。何か価値を提供していなきゃ捨てられると必死に考えた結果だろう。20年間ずっと。 だから自分に価値ないと思っていたしなんで生まれてきたんだろう、生まれてこなければよかったって思いながら生きてきた。いまだに母親と会うと

        • 長女あるある?: 病む時

          殻に引き篭もる 私が病む時って殻に引きこもるよね、誰かに縋りたいけどできない。 なんでか、理由は4つ。 第一に「誰にも迷惑をかけたくない」から。自分の周りにいる人に今のマイナスな感情を吐き出して嫌な気持ちにさせてしまうことが嫌だから。私の周りにいる人には常に幸せであってほしい、無駄なことでストレスを与えたくない、そう思ってしまう。 第二に「自分のまとまっていない考えを話すことにストレスを感じる」から。私は人と雑談をしている時にまとまってない考えを聞いていると少し苛立つ

          母性が嫌い

          私は母性が嫌いだ。なぜなのかを述べてみようと思う。 母性とは母性は媒体によって定義が異なる。 広辞苑では「女性が母として持っている性質」、 医学領域では「子どもを産み育てるために備わった特性」だ。 以上の定義だととても抽象的でわかりにくいので、この記事では「母親が子どもを守るために生じる感情、それに伴う行動」と定義しよう。 具体的には 「子供のことが心配だから手取り足取りなんでもしてあげたくなってしまう。子どもを命を賭してでも守り抜く、存在そのものを愛し抜く」 そんな

          母性が嫌い

          家族を見ると揺れる心

          家族連れをみていると切ない気持ちを持つようになったのはいつ頃からだろうか。 休日の公園で遊ぶ親子、買い物帰りの仲睦まじい家族の姿。そんな何気ない日常の風景に、胸が締め付けられるような感覚を覚えるようになった。 世の中の殆どの人は家族を持つことに漠然とした憧れを持つだろう。それは人として自然な感情だ。しかし、なぜか私は羨望の念を抱けない。 自分は他の人と違う思考を持っていたいという心理が働いているのか、その先に待ち構える家族の将来を勝手に想像しているだけなのか。理由はわか

          家族を見ると揺れる心