R_B < Part 6 (9/9) >
つい発してしまった怒声に何事かと訝しむ葵をなんとか誤魔化し、礼を述べて玄関まで見送った敬は、戻るなり『もっと上級の暗示解除テクを教えろ』と誠に迫った。
「待て、その前に説明しろ。黄丹が邪魔をしてるって、どう言う事だ?」
「いくらお前でも、流石にヤツの毒気にアテられちまってたってコトさ」
肚に未だ居座る蟠りを吐き出すように、は、と大きく息をつく。
もう敬には分かっていた。誠には黄丹の暗示が入っている、それも相当奥深くまで。
「まさか……」
「俺に限ってそんなコト、とか言うなよ?そうなったらマジでアウト。そー言うヤツは100%やられてるって前に言ってたの、お前だからな」
誠は何も返せない。だが他でもない彼に指摘されたからには、冷静に我が身を振り返ってみるべきと言う事も分かっていた。
「……暫く待ってくれ」
「構わねぇよ」
ソファに腰を下ろし、敬は残っていたコーヒーを啜りながら彼が自分で解に辿り着くのを待った。
「……あれか」
10分程経過しただろうか、誠がついと顔を上げた。
「ん、思い出した?」
「全てじゃないが、恐らくあれが決め手だ。
芥を助け出すために黄丹と対峙した時、俺は彼奴を殺せなかった……お前もこの前、視たんだろう?」
「ああ……」
〈……この期に及んで未だ俺に遠慮があるか。それでは俺は殺せない〉
お前に、俺は殺せない……。
ヴィジョンに呼応するように、黄丹の声が敬の鼓膜を震わせる……幻聴だと分かっていても、気持ちの良いものではなかった。
(その直後に仁がヤツを仕留めた、か……こりゃキツいぞ)
誠は冷静に分析しているように見えるが、敬にはそれも奇妙に感じられた。
冷静過ぎて何処か他人事な印象を受けるのだ……これでは本人が実際どの程度“自覚”出来ているか怪しい。
(コレ、洗脳じゃねぇだろな……)
「撃てなかった……あの時、最後の暗示をかけられてしまったんだと思う」
「成る程、納得」
内の動揺は一切見せず、敬はいつものケロリとした顔で返してやった。
「だとすりゃ、かなり念入りだ。頸の傷だけ治らねぇのもそのせいかも……けどよ!」
語気を強める。項垂れていた誠の肩が微かに跳ねた。
「何年もヤツの部下だったお前が、逆に“この程度”で済んでるんだ。やっぱお前は強ぇ!」
彼らしい励ましの言葉に小さく笑い、誠は漸く顔を上げた。
「褒め言葉と受け取っておこう。だが年単位でやられていたとしたら解除出来るかどうか……」
「お前1人じゃ難しそうだぞ?思考パターンも読まれてるだろうし」
「否定出来ないな……悔しいが」
「だから2人がかりで突破する。その為にも俺はお前の解除テクをマスターする。特訓、頼むぜ」
「先読みとは勝手が違うぞ?」
「分かってるって」
正直言えば敬だって自信など全く無い。しかし悩んでいる暇は無い。
今のままでは、元の世界に戻れても誠の心は知らずの内に蝕まれていってしまう。それを阻止する為にも黄丹との因縁は此処で完全に断ち切ってやると、彼は強く心に決めていた。
「お前の技を一番近くで見てきたのは俺だ。どんな難しいヤツでもやってやるさ」
敬の覚悟。
聞いた彼の眉尻が少しだけ下がった。
「その言葉、忘れるなよ」
翌日から、2人は夕食後の時間を全てこの為に費やした。加えて、敬は昼間も時間があれば部屋に戻り“自主トレ”に明け暮れ……当然、その変化は直ぐに潤の知る事となる。
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特訓が始まって4日目の夜。
この日の振り返りをしているところへ赭がやって来た。
「あ、先生。こんばんは」
「こんばんは。調子はどうですか。ちょっと久しぶりですね」
毎日欠かさずラボの手伝いに行っている敬も、ここ数日は彼に会っていない。部屋から殆ど出ない誠に至っては1週間ぶりの顔合わせだった。
「お陰様で。先生、とてもお忙しそうだと敬から聞いていましたが」
「隣州の、例の患者さんの経過が良好だと言う事で、他からも何かと相談を持ちかけられまして。なのであまりラボにも詰めていられなかったのですが、潤君から最近の敬君が気になると報告が来たので」
「俺?」
「ええ」
「いや、彼には確かにいつも注意されてるっすけど、別にそんな悪い事はしてねぇハズで……」
敬の気弱な反論を聞いた赭が、クスッと笑う。
「大丈夫。融通の効かない所はありますけど、あれで彼はスタッフ内で一、二を争う患者さん想いなんですよ。
数日前から、君は食事とラボの手伝いをしてくれている時以外、部屋に籠りっぱなしだそうですね。身体的にはすっかり元気なのに外出も全くしていないから、君の気持ちが塞いでいるのではと心配していたんです」
「いやソレは無いです……ちょっと特訓が始まったんで時間が惜しいってだけで」
理由が分かり、敬はやれやれと言った風情で現状を説明した。
「特訓……成る程、新しい挑戦ですね。そう言えば葵さんが先日、何やら君達の実験に立ち会ったと聞きましたが、それとも関係が?」
「はい。あの時は事情を知ってくれてる第三者が必要だったから、彼女が渡航前で本当に助かったんです。お陰で解決しなきゃなんねぇ問題も分かったし」
「ただ、そこからがなかなか進まなくて。苦戦してますよ」
誠が経過を補足する。赭は時折頷きながら話に耳を傾けた。
「……それで、彼に僕の技術を教えているんです」
「成る程。でも敬君なら飲み込みも早いでしょう」
「ソレがそうでも無ぇんだ」
敬が渋面になる。
「覚悟はしてたけど、こうも違うモンなのかなーって……」
「そうなんですか?ではこの前のように、先読みで方法を見つけるのは」
「それだとノイズが入るんです。やっぱ妨害される感覚があるんすよ」
「……君の読みも跳ね返してしまうんですか」
ポンと手を叩いた赭の、目尻の皺が深くなった。
「流石、誠君に暗示の技術を教えた人物ですね。正攻法ではなかなか厳しそうだ」
「はい。それは僕達も分かってます」
「でも既に“大いなる存在”と繋がっている君達なら、その妨害は無効に出来る筈です」
「え?」
「それは、どう言う……」
呆気に取られる2人を気にする風も無く、彼はさっと立ち上がる。
「とりあえず敬君、30分後にラボに来てもらえますか……誠君、すいませんが少し彼をお借りしますね。では」
「あ、はい」
「ちょ……ちょっと待って下さい先生!」
ハッと我に返り、敬は慌てて赭を追った。部屋を出て数歩のところで捕まえると、彼は振り向きざま『作戦会議をしましょう』と小声で言うとニッコリ笑った。
「は?作戦……会議?」
「そうです。そしてこれは極秘です。誠君には未だ何も言わないで下さいね」
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……トンと誠が背中を叩くと、敬は直ぐに目を開けた。
「サンキュ。どうだ、なんか変化あったか?」
大きく伸びをしながら成果を尋ねる。
誠は笑顔で頷いた。
「頭の中の霧が晴れた……かな。考えが纏まりやすい気がするし、妙な方向へ引き摺られる感覚も消えたようだ」
「よっしゃ、そんなら行けたぞ!俺の方もノイズゼロだった」
「流石、敬だな」
「お前のおかげさ」
互いの拳をコツンとぶつけ合ってから握手する。
「よし、今度こそ戻る方法を見つけてやろうぜ」
「その前に」
誠が軽く左手を挙げた。顔には困惑と好奇心が入り混じっている。
「もう良いだろう?どうやって解除したのか教えてほしい。先生が一昨日、何らかのヒントをくれた事ぐらいは分かるんだが」
「あー、そうだよな。知りてぇよなぁ」
悪戯っ子のようにニッと笑うと、敬は片手でボールを持つような仕草をした。
「ヤツの暗示を敢えて形で表せば『表面を硬い素材で覆った球体』だろうって言われたんだ。最初は突拍子も無ぇなあって思ったけど、ヤツの暗示の強さに加えて暗示自体に死角が無ぇってのも感じてたから、球体ってのはアリかもなって思い直してさ。で、続きを聞いたら『“外”からじゃなくて“内”から行ってみろ』ってアドバイスをもらったワケ」
「……何だか、非常に概念的と言うか、感覚的だな」
「どうせ俺達と次元が違うんだ、ソコは深く考えても仕方ねぇや。
で、ここで“大いなる存在”の登場。俺達、ココに来てから……まあ扇ほどじゃねぇけど、時間や空間の移動が出来てるじゃん?それって俺達が“大いなる存在”の次元と同期出来てるから、だってさ」
「……時空間移動が出来る次元にいるのなら、暗示の“内”に入るのも簡単だと?」
「ああ、そう言われたんだ。一方で黄丹は“この次元”とは同期出来てねぇだろうし、そもそも暗示の“外と内”なんて概念も無ぇだろうから、“内”は殆ど手付かずの筈だってな」
少しの間を置き、誠が小さく唸る。
「それで昨日、俺に催眠誘導をさせたのか……誘導で俺の全身スキャンをしているのは何となく分かったが、何をスキャンしているのかと思ったら」
「もう分かっただろ?“暗示の全体像”を把握して、入りやすいポイントを探ったんだ」
ホントにイメージの世界なんだけどな、と断りを入れ敬は説明を続けた。
「実際ヤツはお前の精神をドームでガッチリ覆うように暗示をかけてた。想像以上の強度だったな!超合金並みに固ぇ外壁って感じで、ありゃ確かに“外”から解除するのは難しい。でも全体を一周したら“入り口”がアッサリ見つかって、ちょっと拍子抜けしたぜ」
「それで今日は、“内”からの解除を実行したと」
「その通り。お前のお陰で解除に集中出来たし、助かったぜ」
「何故、黙っていた?」
「お前に対するヤツの執念を警戒したんだ。ぶっちゃけこれもセンセイのアドバイスだけど、ヤツの“意識の欠片”とかがお前にくっついてたら、俺達の目的を知った途端に先手を打ってくるかもしれねぇ、ってな。あー言う粘着タイプなヤツはホント、何するか分かんねぇしさ」
「……そんな事まで」
「敵を欺くにはまず味方から、ってヤツ?」
「成る程……だったら“入り口”は」
誠が自分の頸を指差す。
「この傷か」
「お、さっすが!」
やっぱお前凄ぇわ!と敬は拍手した。
「イメージ的には完全にソレ。ソイツが完治してたら“入り口”も塞がっちまってたかもしんねぇ。そしたらもっと解除に難儀したと思う。
けど、治りが悪かったお陰で“入り口”が残ってたって事らしい。体感だと1ミリも無ぇくらいのモンだったけど、入ったらマジで内側はハリボテ。一昨日教わったばかりの中級レベルでも一発で行けたからな」
喜色満面の敬に、今度は誠が拍手を送る。赭の助けがあったとは言え、黄丹との因縁を断ち切れたのは紛れもなく、相手に全力で立ち向かった彼の功績だった。
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誠が何の支障も無く動けるようになったのは、2人が“この世界”に来て3ヶ月ほど経った頃だった。
「やっぱ先生が言っただけの時間はかかっちまったな」
「医者としては完治まで見届けられたので安心ですけどね。それに正直、ラボの片付けやデータの検証なども沢山手伝って貰えて助かりました」
「しっかり治して頂けた事には本当に感謝しています。僕達も、少しでも先生の研究のお役に立てたのなら嬉しいですし、勉強にもなりました。有難うございます」
「いや、そんな風に言って貰えるとは。光栄ですね」
2人を乗せ、赭は車を西へと走らせる。
目指すは彼等が発見された、あの森だ。
「……ヘリの撤去作業が終わってからは誰も足を踏み入れてないそうなので、この車では現地までは行けないと思いますけど」
「近くまで送って頂けるだけで本当に有り難いです」
「それにこのカッコなら俺達、いくらでも歩けるんで」
「それは頼もしい」
2人はクリーム色が基調の、腕にワンポイントが入ったツナギの作業服とワークブーツを身に付けていた。ラボのメンバーが屋外作業などで使う物だ。
ラボの手伝いの時に着たらどうかと赭が提供したところ、敬はそのデザインと着やすさと機能性がすっかり気に入った。ブーツも同様だ。以来、彼は殆どの時間をこの格好で過ごしていたと言っても過言ではない。
「それでも夕方には間に合った方が良いですよね?敬君の話からすると」
「まあ、日没までに着ければ大丈夫な筈です。全部が視えたワケじゃねぇけど、着いてから何かしなきゃいけねぇワケでも無さそうだし。取り敢えず芥とかとは違うパターンっぽいんで、後は出たとこ勝負かなって感じで」
「そうなんですか。それでしたら私も少し気楽にしていられます……ああ、荷物になって申し訳ないんですが、その袋も一緒に持って行って下さいね」
赭が指差した場所には、小ぶりのデイパックがあった。
「え、これは」
「念のため、軽食と飲み物です。夜通しかかる可能性もあるのかなと思いまして」
「わざわざそんな……有難うございます」
「いえいえ、ささやかですが餞です。良ければ後で開けて下さい」
その後は皆で話に花が咲いた。赭からは研修時代の話から扇や葵との出会いを、誠と敬は自分達の仲間の事を互いに話し合う。道中で、3人はすっかり昔からの知り合いのようになっていた。
「……さあ、着きました」
赭が車を停めた。道は此処で途切れ、その先には原野が広がっている。
視線を遠くに投げれば、目的地である森も見えた。
「今いるのが此処で、君達が向かうのは……この地点です」
簡易マップを広げ、赭が最終確認を取った。方角を確かめ、2人は頷く。
「湿地じゃなくて助かったぜ。これなら3時間もあれば着けそうだ」
「そうだな、日没には十分間に合う……先生、本当に有難うございました」
「こちらこそ。私も本当に貴重な、得難い経験を頂きました」
「研究、頑張って下さい!」
「君達もどうぞご無事で」
固く握手を交わし、赭から受け取ったデイパックは敬が背負う。今一度礼を述べると、2人は道なき道を歩き始めた。
もう振り返らない……暫くして赭の車が遠ざかる音が微かに聞こえた。
「行っちまったなぁ」
立ち止まり、敬が空を仰ぐ。
誠も大きく息をついた。
「……あのまま何もせずに待つ、なんて事をしなくて良かった。お前の言う通りだった」
「そう思ってくれてるんなら有難ぇ。お前にはさんざ無理させちまったけどよ」
「無理なんかじゃない。必要な経験だったんだ……交代するか?」
敬の荷物を指差せば、彼は『そんな重くねぇし大丈夫』と言いながらも誠に背を向けた。理由は簡単。
「それより!中身が何なのか気になっちまってんだけど!」
お前見てくれ!と目を輝かせる敬に苦笑しながら、誠はデイパックの口を開けた。
「ついでに飲み物を一本出しておこう。それぐらいは俺が持つ」
「おぅ、頼むぜ」
軽食は病院の食堂に赭が頼んでくれたのだろう。2人が特に好んで食べていたものを中心に、一口大のキューブ状に纏めたものが2食分。それとは別の携行食も入っていた。
「そりゃ有難ぇな、食うのが楽しみだ!飲みモンは?」
「水、コーヒーと、後は……」
一番底にあった小さいボトルを見つけた誠の手が、止まる。
【君達の新しい明日に、乾杯】
ボトルには赭の字で、そんなメッセージカードが添えられていた。
(先生……何故……)
単なる偶然だったのかもしれない。
それでもその瞬間、彼の中で確かに鷲の声が聞こえた。
〈……君達は生きて。仲間達と再開して、新しい明日を生きて。応援してるよ〉
「……どうした?誠」
敬の声で我に返る。つい『何でもない』と言いそうになったが、直ぐに思い直した。
「ワインも入ってる。先生と、鷲からのメッセージ付きだ」
「へ?鷲って、あの鷲?」
「他に誰がいる」
「いや、だって……もしかしてお前、今またぶっ飛んだ?!」
こんなトコでやめてくれよーと焦る敬に、彼は笑顔を返す。
「彼のほうから励ましに来てくれたのさ。俺は何ともない」
「ホントか?」
「本当だ、大丈夫。道すがら教えてやる」
水のボトルを一本取り出しデイパックの口を閉じると、彼は敬の腰をポンと叩いた。
「行くぞ」
「よっしゃ!」
生い茂る草木を掻き分け、時折言葉を交わしながら2人は歩き続けた。
そろそろ日が傾き始めたようだ……彼等が森に着く頃、空には一面の夕焼け雲が広がっている事だろう。
20231008
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