R_B < Part 6 (4/9) >
「おはようございます。汐さん」
リハビリテーションルームの片隅で筋トレ……どう見てもリハビリの範疇を超えている……をしている敬のところへ、柚葉がやって来た。
「おはようございます」
「凄い回復力ですね。5日目でここまでなんて」
「左脚は時々痛ぇけど」
「当たり前でしょう。『無理は禁物』っていう身体からの警告ですからね」
「分かってるって」
真面目な忠告に、ついつい苦笑した。自分としては、かなり身体の軽さも戻って来た気がするし環境にも馴染んだと思っているところだが。
「あ、回診か。部屋に戻ったほうが?」
「いえ、リハビリのご様子を見れば大体分かりましたから。桑染さんは先程診させていただきました」
「そうでしたか……あの、アイツの調子どうですか?アイツ普段から相当のポーカーフェイスなもんで、一緒に居ても俺にはアイツの体調が実際どうなのかよく分からないトコがあって」
敬がこう尋ねるのには訳があった。
誠がトランス状態に陥った、3日前の夜。逆暗示で無事に正気を取り戻しホッとした、そのすぐ後の事。赭との話が終わった途端に彼はコトリと眠りに落ち、それから昨日の夕方までのほぼ2日間、一度も目覚めなかったのだ。
「そうですね、数値はどれも正常に戻ってきているので心配は要らないと思いますけど……脚の痛みとかは仰っていないですか?」
「全然聞いてないけど、無駄に我慢強ぇから実際のトコはどうなんだか」
柚葉は持っていたカルテを捲って確認すると笑顔を返した。
「鎮痛剤は継続していますけど、今は必要最小限の量で行ってます。なるべく薬は使いたくないのかもしれませんが、今なら増量しても全く問題はありませんから、もしも強い痛みがあるようなら我慢せずに仰って下さいね」
「分かった。そう伝えます」
「回復には休息が第一、楽に寝られるのが何よりです。順調に回復されているのは確かなので、ご安心下さい」
少なくとも身体的な問題は無いのなら、今はそれで良い。
「そうですか、ありがとう」
「それと、ご連絡が後回しになってすいませんが」
敬の不安が解消されたところで、柚葉は本題を切り出した。
「お二人には赭先生が戻られる迄に、先生のラボがある研究棟の病室へ変わって頂く事になりました」
「あ、そうなんだ?」
「はい。桑染さんにも回診の際にお伝えして、ご了承は頂いてます。こちらの都合で申し訳ないですけど……」
赭が朝イチで指示を出したのだろう。理由は大体分かる。
「いや、それだけ俺達の事を気にかけてもらってる訳だし、本当に感謝しか無いんで。それはアイツも同じだと思います」
二つ返事で承諾を得られ、柚葉はペコリと頭を下げた。
「ありがとうございます。では今日の夕方にご案内させて頂きます。先生が戻られれば、桑染さんの状態も今より細かくフォローさせて頂ける筈です、お大事にして下さいね」
「ありがとう」
赭は、柚葉や水柿らに異世界の事を何も話していない。敬が名乗った偽名もそのままだし、扇の話をする時でも決して彼らを同席させないから、それはまず間違い無かった。
扇と殆ど接点の無かった彼女らを、これ以上この件に巻き込まないようにという配慮もあるだろう。今後、どんな予測不能な事態が起こるかもしれない。そう言う意味でも、赭の研究棟に移れるのならその方が良さそうだ。
[……まだ起きられる様子はありませんか?]
赭は昨日の早朝、隣州へ出発する直前にも誠の様子を見に来ていた。
[全然です。とっくに30時間を超えてるけど、声をかけても全く反応が無ぇし、流石に心配になってきた……]
[大丈夫です。君の仲間を信じてください。後は大いなる存在の導きのままに]
[大いなる存在……?]
残されたのは短い、不可解な会話。それでも、笑顔で立ち去る彼を見送れば不思議と心は落ち着いた。
「……取り敢えず、セカンドステージに突入だな」
研究棟へ移れば、彼と話せる時間も今よりは増えるだろう。
柚葉を見送り、敬は筋トレを再開した。
赭が戻るのは、明日の夕方。
--------------
[おい、ここにも1人いるぞ!]
[生きてるのか?!]
真空の中に居るような奇妙な感覚。
薄皮一枚隔てた向こうで、大勢が騒いでいる。
左腕の激痛と肩の違和感。
拍動に合わせて鮮血が噴き出すのを感じる。
[心拍微弱、出血が酷い。反応無し]
[こりゃ駄目かな]
[でも一応動いてるだろ、可能性があるなら搬送しろ。後は向こうが判断する]
(判断……)
既に俺は治療を受けていた筈だ。別世界の病室で……あれは、夢?
[固定完了!]
[よし、上げろ。ゆっくりとだ!]
傍らを何かがすり抜ける。異臭が鼻を突く。
機体のグリスが燃えているのか。
(墜落……いや、襲撃?)
相変わらず周りの世界は曖昧で触れる事が出来ない。 だが危険が迫っているなら仲間に報せなければ。
(……くそっ!!)
必死で藻掻く。だが腕も脚も全く動かない。
一気に煙の勢いが強まった。声が出ない。 息が……。
「……こと……おいっ!誠、大丈夫か?!」
不意に聞き覚えのある声が意識に割って入る。
今度こそ眼を開けば、敬の顔がそこにあった。
「気ぃついたか?おい!」
覚醒させようと何度も叩いていたのだろう。右の頬に軽い痛み。
(左腕……動く)
“現実”に戻ってきたらしい……誠は一つ、大きく息をついた。
「ああ、もう大丈夫……夢を、見ていた」
「相当酷ぇ夢だったな?すげぇ魘されてたぞ」
「まあな。酷いと言うか……」
語尾は呟きとなって消えた。
……夢、だったのだろうか。
「……今、何時だ?」
「11時を回ったトコ。リハ室から戻ってきたらお前が呻いてたんだ。昨日の今日だからヒヤッとしたぜ」
「心配かけたな」
「まあ、アレだけどよ……痛ぇんじゃねぇのか?脚。痛み止め増やしても問題無ぇそうだし、何なら頼んでやろうか」
「それ程じゃないさ」
言って敬に笑顔を返してやった。
そう、さっきの左腕に比べれば……。
「それよりも、聞いたか?転室の話」
誠は話題を変えた。
「ああ、聞いた。今日の夕方だってさ」
「そうか。お前の了解が得られれば早速と言っていたから」
「これで、あの先生のお膝元に格上げだなー」
そう言って敬は戯ける。
「この部屋から俺達が消えでもしたらヤベェ事になるだろうし、そう言う事もあるんだろうな」
「同感だ。芥の事も、彼が辻褄を合わせてくれているんだろう。兎に角、此処から出られるのは助かる。彼の研究棟なら、まだ自由が利くだろう」
「ああ。でもあんま無理すんなよ?」
笑いながら誠の肩を軽く叩いてやる。
……その瞬間、敬は意識を飛ばした。
--------------
[……敬!!]
血塗れになりながら俺の名を呼ぶ誠の脇腹を、銃弾が掠める。
助けてやりたいけど、無理だった。
俺はもう、其処には居ないから……。
[単なる貧乏籤だ。降格や謹慎で休ませるなど以ての外だそうでな。面子は立てておいてやるから、失態の分も働け]
黄丹が笑っている……俺の失踪と任務の失敗の責をコイツは全て負った……それは俺の想像を遙かに超えた、辛い日々。
[……あの時、君はいきなり音も無く俺の前に現れたんだ]
俺とそっくりな姿で。
俺が消えた時のように、唐突に。
山吹 芥……アンタも、よく助かったモンだぜ。
[敬の失踪の件なんだけれど……彼はきっと生きている……俺がこうして君たちの世界に入り込んでしまったように、彼も別世界に……]
そうだ、芥の言う通りだ。
お前は死なない。
そして、全てがきっとうまく行く。
またいつか、必ず皆で会える。
[芥……全てを話せば、君は消される……此れが上に伝わった瞬間、君は先読みをしてしまった事になる]
芥の視点から見えた誠……ただならない雰囲気。やたら勘が鋭いヤツだったそうだから、たまたま言った何かが上層部の持ってた情報と符合しちまった、ってトコか。
これが海外逃亡の決め手になったんだろう。確かに、芥を守るならそれ一択だ。俺がお前でも絶対、そうする。
[おまえ、いつまで一人で抱え込んでんだよ!]
パーンと、気持ち良いくらいの張り手。やるなぁ。
[最期までそーしてりゃ良いとか思ってんじゃあねーだろうな?一人でカッコつけやがって、冗談じゃねーぜ!]
よく言った。すっかり一人前じゃねぇか、統も。
[……この期に及んで未だ俺に遠慮があるか。それでは俺は殺せない]
首筋に当てられた銃口……皮膚と髪の焦げる臭いが鼻をつく。
……そこで敬は目を開けた。
「敬、起きたなら退け。重い」
背中を叩かれ、彼はゆっくりと上体を起こす。意識を飛ばして倒れ込んだ上半身は、ベッドよりも誠の大腿がその重みの大半を受けとめていた。
「……どのくらい、落ちてた?」
「1分も無いな。せいぜい50秒」
「悪ぃ、怪我してるトコに乗っかっちまった」
「お前が顔面から床に落ちるよりはマシだ」
「ホント、唯一お前に勝てる俺の顔に傷でも……」
「今度やったら叩き落とす」
「すいません」
ガリガリと頭を掻いて、敬はのそりと起き上がり息を吐いた。そこへすかさず投げかけられた問い。
「で、何があった?」
「……流石、分かってるねぇ」
「分かるも何も、“特有の落ち方”だったからな」
「話が早ぇや」
一瞬、どう答えたものかと敬は迷った……誠が自分に話したくなかった、敢えて話さなかったかもしれない事までも視てしまったような気がしたから。
「俺が跳んじまった後の31が視えた……めちゃ断片的だけど」
それでも、どうしても確かめたい事が一つあった。
「……悪ぃ、ちょっと見せろ」
言うが早いか、彼は誠の首に手を伸ばした。
「おい、何を……」
目的は後ろ首に貼られている保護ガーゼ。そうと誠が気付いた時、既に彼の手はガーゼを剥ぎ取っていた。
「……そうか」
その下から現れたのは、火傷の痕。傷自体は小さいが深く、皮膚が未だ再生していない。その治りの悪さと傷の形状から、敬は確信した。
「酷ぇ事しやがる……黄丹のヤツ」
ポツリと零れた言葉に、誠の眉が小さく跳ねる。
この事は何も言っていなかった筈なのに……。
「……視たのか」
「まあな……言いたくなかったんだろ?気ぃ使わせて悪かったな」
「いや……寧ろこれで気が楽になったかもしれない。お前に隠し事は無駄だとよく分かった。俺のほうこそ、すまなかった」
「ンな事で謝るなよなー」
笑いながら、敬は首のガーゼを貼り直してやった。その間も、誠は彼が視たものについての考察を深めていく。
「……敬」
「ん?」
「さっきお前が視たのは、お前が消えてからの“俺達の世界”だったと言う事だな」
「そうだぜ」
「だがそれは先読みとは全く違う。お前は“此処”に居ながら“別の世界”を視た」
「そうだな、確かに」
「その中には、芥も?」
「ああ。写真と同じ顔してたし、ソイツの声も聞いた。俺より少し高ぇよな?」
「そうか……」
誠はそこで黙り込むと、続いて数度小さく頷いた。
そして口を開く。
「……俺も視た。今、確信した。“あれ”は俺達の知らない、お前が視たのとは全く別の、異世界だったんだ」
--------------
そろそろ日が傾き始めると言う頃に、柚葉がやって来た。部屋の移動だ。
「お待たせしました、これからご案内します。桑染さんはベッドごと移動するのでお楽にしていて下さいね。リクライニングは戻したほうが?」
「いえ、このままで」
「分かりました。もし辛くなるようでしたら、遠慮無く仰って下さい」
キャスターのロックを外し、柚葉はベッドを操作して廊下に出る。敬も隣について歩き出した。
「研究棟は、此処から?」
「大して離れてはいません。建物としては、ふたつ向こうの棟です」
窓の外には夕焼け空が広がっている。
「緑が多くて、気持ちの良い所ですね」
「そうですね、良くそう言って頂きます。お散歩や日光浴が気持ち良いですよ。許可が出たら、是非」
雑談を交わしながら、3人は研究棟に向かった。渡り廊下を通り、エレベータに乗って上階へ移動する。目的地には10分程で到着した。
「こちらです」
「え……」
言われて病室に入った2人は同時に目を瞠る。
「あの……病室、間違ってませんか?」
「指示通りですよ」
「俺達の知ってる病室じゃねぇぞ……」
研究棟と聞いて監視カメラが見下ろす無機質な空間を想像していただけに、そのギャップに眩暈がしそうだ。
温かみを感じるトーンの壁紙。同系色で揃えられたクッションフロアは固すぎず、かと言ってベッドや車椅子の動きを妨げる程の柔らかさでも無い。小振りだがキッチンスペースも完備。備え付けらしいベッドは木製。ひと目見ただけでは、医療用のものと思えなかった。
「ホントに良いのかな?こんな立派なトコを俺達が使って」
「勿論です。ご遠慮なく。汐さんの分はこちらに用意させて頂きました」
「俺の分?」
言われて示されたスペースに目をやれば、筋トレの道具が数個置いてあった。本来は来客用のスペースらしい。
「……マジか」
「元々個室なので、2人ではちょっと狭いかもしれませんけど……」
「あ、いや」
敬は慌てて付け足した。
「寧ろ逆。十分過ぎるくらいですよ」
「そうですか?足らない物とかがあればいつでも仰って下さいね」
「ありがとうございます」
「どうぞ、お大事に」
ドアが閉まると、空調の音が微かに聞こえてきた。
「参ったな、これは想像以上だ」
誠が苦笑する。敬も笑って返してやると、木製ベッドに腰を降ろした。
「……お」
何気なく目を向けたヘッドボードにあったのは「木賊 扇」のネームプレート。
「成る程、此処が扇の部屋だったってワケ」
「それでこの部屋を指示したんだな……彼は此処に10年以上も居たのか」
「確かに、これくらい快適じゃねぇと長期入院は辛ぇな」
「どんな刻を過ごしたんだろう、彼は……」
誠の視線が遙か遠くに投げられる。それは、彼が考えに沈む時に見せる仕草。
[…………“あれ”は俺達の知らない、お前が視たのとは全く別の、異世界だったんだ]
[え、マジか?!じゃあ、さっき魘されてたのは……]
[別の世界を視ていたんだ。もう間違いない]
[何か、ヤバそうな世界じゃねぇか?]
[分からない。どの世界の事なのか、誰の事なのか、何故このタイミングでこんなものを視るのかも……]
[もしかして……扇が何かやってる、とか?]
[それも未だ不明だな……どのみち今すぐ解明出来るものでもないだろう、追々考えていくしかないが]
[……後は大いなる存在の導きのままに]
昼のやりとりに、赭のあの言葉が再び重なった。
「……俺、ソッチに居るから何かあったら呼べよ」
返事は無い。誠がこうなったら暫くは何を話しかけても無駄だ。
その間に柚葉が用意してくれた道具でも使ってみようかと、敬は客間へ移動した。
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