R_B < Part 4 (2/7) >
樹々が秋の装いになり始めた頃、仁の退院が決まった。
連絡を受けた檜皮が早速病室までやって来る。
「おめでとう。相当頑張ったそうだな、白群から聞いている」
立ち上がって出迎える仁の姿に、檜皮の表情が緩む。歩行時には杖が必要との話だったが、一見しただけではそうと解らなかった。
「予想以上の回復だな、大したものだ」
「良い医者をあてがってくれたお陰だ。礼を言う」
握手を交わし、檜皮が腰を掛けるのを確認してから仁もソファに座った。
「早速だが、今後の予定だ。退院したらそのまま、こちらで用意した特別官舎に移ってもらう」
「特別……隔離か?」
「いや、往来に制限は無い。通常の官舎も隣接している。だが共同生活というのは、ちょっとな」
思い当たる節はいくらでもある。
「過去の因縁ってトコか」
「前歴が前歴だ。SSに海軍系の残党が居ないとも言い切れん」
「残党、ねぇ」
「不穏分子は極力除外してはいるが、31との絡みまで言い出すと難しいからな。取り繕うのが巧い輩もいる」
「まだまだ、いつ後ろから刺されてもおかしくねぇって事だな」
ついつい溜息が出る。
「そう言う事だ。面倒をかけるが、同様の理由で飛行部隊以外のSS隊員との接触を制限させてもらう場合がある。呼称も我々と同様のコードネームで統一させてもらう」
「それは、もう決まってんのか?」
「常磐だ」
「OK」
すんなりと了承を得られ、檜皮が笑顔になる。
「なるべく不自由の無い環境にしたかったんだがな」
「リスクがそれで減るのなら有難ぇこった」
「生活に必要な物は揃えてある。出来る限りの援助はする、足りない物があれば何でも言ってくれ」
「恩に着る」
「それと、今日から護衛兼補佐を付ける。何なら、要望や提案などはそっちに言ってくれ」
「……そんなモンまでつけてくれるのか?」
流石にこれには仁も驚く。
「飛行部隊を鍛えて貰えるなら何だってつけるぞ。二佐ともなればアシスタントがついて当然だ。入れ」
最後の一言は病室の外に向けて発せられた。直ぐにドアが開き、1人の青年が入室する。
「失礼します」
見本のような敬礼。これがSS式かと仁は感心した。が、同時にその姿が記憶に引っ掛かる。それも然程遠くない過去……。
「……青褐か?」
「えっ!?」
自己紹介をする前に名を呼ばれた彼は瞠目した。
「覚えていて下さったのですか?」
「やっぱりな。暫くぶりだ」
「いえ、こちらこそ……青褐 鳶です!」
その遣り取りを見て、今度は檜皮が目を丸くする。
「覚えてるのか?」
「ああ。“昔”世話になった……確か、統の同期だったな」
「はい。覚えて頂いてて光栄です……ご無事で良かったです、蘇芳准尉!」
鳶は改めて、海軍式で敬礼をする。緊張か感激のあまりか、声が上擦った。
「やはりお前で正解だったな、青褐」
2人の会話を聞いていた檜皮が、満足そうに頷く。
「正解?」
「補佐の話が出た時、彼が真っ先に手を挙げたんだ。確かに彼なら海軍出の奴等も直ぐ識別出来るし丁度良いと踏んで指名した。SSでも良い働きをしてくれている。今は幹部候補生として修行中だ、存分にこき使ってくれて構わない」
「そうか」
「お前も覚えているのなら、話も弾むだろう。俺も手間が省けて有難い」
ニッと笑い、檜皮は立ち上がった。
「後は彼から聞いてくれ。退院したらまた会おう」
「ああ」
「頼んだぞ、青褐」
「はい、失礼します!」
鳶は敬礼で檜皮を見送った。
(堂々としたもんだな)
仁は、F国へと向かったあの日の事を久しぶりに思い出した。07格納庫で、同じように笑顔で送り出してくれた彼……。
「お疲れではないですか?横になられたほうが……」
「ん?」
鳶の声で我に返る。
「いや、大丈夫だ。アンタも座って楽にしてくれ……明日の予定を教えてくれるか」
「はい。失礼します」
促され、さっきまで檜皮が座っていたソファに腰を下ろした。携えていたファイルを捲って確認する。
「……明日の退院は1000です。そのまま特別官舎へ移動。屋内の設備をチェックして頂いたら、後は終日オフです。1900に白群が来られると伺っています」
「ビャクが?」
「退院祝いついでに、特別官舎の見学だと仰ってました」
「良い口実だな」
「照れ隠しでしょう。貴方の退院を誰よりも喜んでおられますよ」
鳶の顔がほころんだ。漸く緊張が解けてきたようだ。懐かしさを感じる笑顔……目尻の皺に、時間の流れを感じる。
「……アンタ、統の同期だと言ってたな」
「はい。18で入ったので年は2つ上になりますが」
「てぇ事は、今?」
「もうすぐ31です」
……8年の、歳月。
「飛行部隊のメンバーに、以前の俺を知るヤツは?」
「直接面識のある者はおりません。白群は戦時中から貴方の評判を耳にしていたと仰ってましたが、お姿は見たことが無かったと。後は本当に噂レベルです」
「海軍出のヤツは?」
「飛行部隊にはゼロです。SS全体でも10数人というところです。海軍出身者の大半は一般職などですね」
「また嫌われたモンだな」
「仕方ありません。末期の海軍の所業は特に酷い物でしたから」
「全くだ。違い無ぇ」
苦笑する一方で、仁はそっと胸を撫で下ろしていた。
本来なら、ここに居る自分は30をとうに過ぎている。記憶喪失という嘘が檜皮と白群に怪しまれなかったのは、ひとえに以前の面識が無かったせいだろう。大戦時の自分を知っていて、更にそこそこカンの良い人間であれば、この姿に違和感を持たれる可能性がある。
リハビリの効果が上がったのも、医者の予測より肉体の回復力があったためかもしれない。それ自体は有難いが、今後の事を考えたら“それなり”の外見にしておこうと思った……効果の程は分からないが、ひとまず体重はギリギリ体力の保つ限界まで落としている。
だが鳶には間違い無く勘付かれる。護衛も命じられているし、明日からは一つ屋根の下で共同生活だ。どのみち隠しきれないだろう。
(どっかで言わねぇとな)
「当面はSSと官舎の往復の毎日になると思います。あまり他の方々との交流が無くて窮屈な思いをされるかもしれませんが……」
「いや、寧ろそのほうが有難ぇ。面識の無ぇヤツは苦手なんだ」
「……まさか、人見知りされるんですか?」
「昔からな」
「はぁ……」
仁がシャイだったとは。彼の堂々とした物言いとのギャップが大きすぎて、鳶の口から思わず呆けたような声が出た。
「まあ、その分アンタに苦労をかける事になるが」
「いえ、お役に立てるなら光栄です」
「今日は、このあと?」
「官舎内の設備の最終チェックに行って、本部に寄ります。夕方にまた伺います。その時に1期メンバーのデータファイルをお持ちしましょうか?」
スマートな対応。流石だ。
「ああ、頼もうと思ってたトコだ。助かる」
「分かりました。失礼します」
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翌朝、鳶は予定の時間きっかりに仁の部屋へ現れた。
直ぐに車へと誘導する。裏手の通用口から出ると言う徹底ぶりだ。運転は、SSの地上部隊員。
「SSの本領発揮だな」
「お陰で良い訓練になります」
10分程乗っていただろうか。8年間ですっかり変わった風景を眺めている内に目的地に着いた。
「こちらです。これから宜しくお願いします、常磐」
病院を出た所から、鳶は彼をコードネームで呼ぶようになった。
「それを言うのはコッチだ。宜しく頼む」
中に入って荷物を置くと、鳶は早速設備の説明を始めた。外見は普通のシンプルな家。しかしセキュリティは最新のものが組み込まれている。
真新しい手摺りは、仁の状態を考慮して付けられたものだ。
「ホットラインまであるのか?」
「はい。檜皮と直接話せます」
試してみれば、檜皮の『退院おめでとう』の声が返ってきて3人で笑った。
「設備としては以上ですが、他に……」
「いや、今の所はこれで十分だ。また追い追い教えてくれ」
「分かりました。休憩されますか?」
「そうだな、昼メシにしよう。アンタも疲れただろう」
「分かりました。ありがとうございます」
SSの常備食、試しますか?と言いながら、鳶が数種類のメニューを直ぐに準備してくれた。温めるだけのものだが、どんな食事であれ病室で食べるよりは桁違いに美味しく感じる。
「……それにしても、アンタみてぇなのが未だに“候補生”ってホントか?」
食後にコーヒーを飲みながら寛ぐ。ふと、昨日から気になっていた素朴な疑問を鳶に投げてみた。
「候補生になれただけでもありがたい事です。檜皮が推薦して下さって……実は、飛行部隊に配属されたのも一昨年の事で」
「その前は」
「物資管理部に4年、情報部に2年です」
(情報部……)
自分が知っているものとは全く違うと分かっていても、引き摺られる感覚。
「……檜皮の目利きの勝ちだな。アンタほどの人間なら、彼の後継にもなれそうだ。今日も初日とは思えない見事なアシストだった」
「恐れ入ります。とにかく貴方を無事お連れする事が出来て良かったです、それに尽きます」
あの時と同じ笑顔……彼が居なかったら、自分は今こうしてはいられないだろう。
「……すまなかった、鳶」
「え?」
気付いた時には謝罪の言葉を口にしていた。
「“あの時”、俺達は国外逃亡を図った。なのにアンタには哨戒任務だと嘘を言った。後から幇助罪で咎められたんじゃねぇのか?もしもアレが無けりゃ……」
「状況がそれどころじゃなくなったので、有耶無耶になりました」
鳶は笑顔だ。咎める様子は一切無い……それどころか。
「それよりも、あの時は統が右腕を負傷してましたよね?それで直感したんです。貴方に従い、31を脱出させるべきだと」
「……何だって?」
統の応急処置をした後、仁は自分の上着を彼に着せていた。外見では解らなかった筈だ。格納庫で鳶に目撃された時間も、せいぜい数十秒……その間に見破ったと言うのか。
「なぜ、アイツの怪我に気付いた?」
「上手く説明出来ませんが……彼を見た時に感じたんです。ちょっとした仕草に違和感があったのかもしれません」
「俺達の目的もか?アンタ今、“脱出”と言ったが」
「いえ、流石に亡命とまでは思いませんでしたが。ただ、あの状態で全員で出られると聞いて、皆さんに身の危険が迫ったと言う予感はしました」
(コイツ……)
観察力と直感。これが彼の才能であり、檜皮が評価しているところなのだろう。瞬時に物事の裏と奥を見抜き本質に迫る。先入観を持たないのも貴重な資質だ……尤も、本人はそれがどれ程凄い事なのかは自覚して無いようだが。
「黄丹が死んだと知ったのは?」
「正式な通達は、5日ほど経ってからでした」
「……結構早かったんだな」
「噂はすっかり広まっていましたから。士気に関わると言う事で、やむを得ずだったんでしょう」
当時の黄丹は、上層部の中でもかなりの発言権を持つようになっていたと言うから、出来れば隠し通したかっただろうが……。
「……!」
その時、不意に銃声が響いた。仁は反射的に身構える。
……音は、自分の前から聞こえた。
「……常磐?」
正面から声がする。誰かを呼んでいる。ゆっくりと顔を上げれば、目の前にいるのは……。
(……!)
死んだ筈の黄丹の姿がそこにあった。頭部を撃ち抜かれてなお、あの不敵な笑いを浮かべて仁を狙っている。
「……来るな!」
“あの時”の記憶が、突として仁を襲った。立ち上がり、銃を取ろうとした手が空を切る。
「常磐!どうされました!?」
異変に気付き思わず腕を伸ばした鳶に、強烈な殺意が放たれる。一瞬たじろいだが、直ぐに彼は仁の視線が自分ではない者に向けられている事に気付いた。
「……蘇芳、准尉」
本来の名を呼ばれ、彼は僅かに正気を取り戻す……自分の前に居るのは、鳶。
「……触るな」
声を絞り出した。今自分に触られたら、それが彼でも衝動のままに叩き潰してしまいそうだった。
(……畜生!)
鳶の姿が再び黄丹にすり替わる。左腕に激痛が走った。仁は固く目を閉じ幻覚に抗おうとするが、記憶は容赦無く彼を追い詰めていく。
必死に戦闘停止を要請する統の叫び声。芥の青白い顔。首元に銃を突きつけられ跪く誠。響く銃声……それは誰を撃ったものなのか……。
[……己の浅知恵を呪う事だな……]
薄笑いを浮かべた黄丹の姿が崩れ落ちる。
「……っあああ!!」
胸が張り裂けんばかりの絶叫……限界だった。
「……っ!!」
流石にこれ以上手を拱いてはいられない。突き飛ばされるのを覚悟で、鳶は彼を抱え込む。しかし過度の緊張に曝された身体は抵抗するどころか、竦んでしまったように動かない。
呼吸も浅く、荒い……鳶はゆっくりと彼をソファに横にならせ、落ち着くのを待った。
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「……悪ぃ、もう大丈夫だ」
半時間程経過し、仁は漸く身体を起こした。
「退院出来て気が緩んじまったらしい。驚かせたな」
「いえ、自分は良いんですが。ご気分は?頭痛とか……」
「もう何とも無ぇよ」
座り直し、背もたれに上体を預ける。痛みは無いが、全身が怠い。
「……思ったより刺さるもんだな。しかも不意打ちされる」
「時間が必要だと言いますし……少しずつ行きましょう、大丈夫ですから」
幾度となく蘇る、大戦の記憶。
鳶も苦しんだ時期があっただろう……。
「午後は何もありませんから、ゆっくりしてください。寝室に?」
「いや、ここで良い」
「毛布をお持ちします」
「悪ぃな」
早速毛布を取りに向かう足音を聞きながら、仁は一つ大きなため息をついた。
「……くそったれ」
口を突いて出た悪態は、何に向けてのものだったのか。
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「よう。新居はどうだ?」
「なんだ、早ぇじゃねぇか」
夕食がそろそろ出来上がるという頃に白群がやって来た。手には酒。
「お疲れ様です。用意してありますよ」
鳶がテーブルに出してある3組の食器を指し示す。
「さすが、解ってるね」
よしよしと彼の頭を撫でて『グラスあるか?』と乾杯の仕草をした。
「こちらをお使い頂けますか。あと少しで出来ますので、どうぞ先に」
「サンキュ」
グラスを受け取ると、白群はリビング脇のソファに移動した。仁も続いて腰を下ろす。
「まずは退院おめでとさん」
「ありがとう」
「明日から宜しく頼むぜ」
「厳しそうだな」
「当然だろ」
ゲラゲラ笑ってグラスを酒で満たし、早速乾杯する。
「鳶はどうだ、使えそうか?」
「十分過ぎる。彼が居てくれるのは心強い」
「そりゃ良かった……ま、このミッションを達成すれば、あいつも幹部の仲間入りが出来てこっちも助かるんだ。損する奴は居ない」
「なんだ、今回のコレは昇格テストってトコか」
「結果的にそうなった、ってだけだがな」
白群が少しだけ声のトーンを落とす。
「聞いたかもしれないが、幹部候補生の中で海軍出の人間はあいつだけだ」
「苦労してんだな、アイツも」
「候補生同士は大丈夫なんだけどな。寧ろ部下にあたる奴等が」
「海軍出のSS隊員はせいぜい10数人だと言ってたぞ」
「そうそうそいつら」
「……なっさけねぇなあ」
思わずぼやけば、それが白群のツボにはまったらしく、再び大笑いされた。
「それぞれの立場を考えたら解らなくもないってトコもあるんだが、ふとした時に“見えちまう”んだよな。総合の能力はあいつがダントツだし、それがまた周りからしたら面白くない」
それで檜皮が2年前に飛行部隊へ引っ張ってきたんだ、と種明かしをした。
「じゃあ、アイツが俺の補佐になったのも出来レースか」
「いや、それは檜皮が言った通りだ。護衛任務もあるから、あんたの補佐は下士官レベルじゃキツイ。それなら尉官あたりにさせるかどうするかって事で幹部候補生を集めてミーティングしたんだ。
但し、あんたの名は伏せたままでな。その段階であいつが手を挙げて、それで決まり。だから“結果的にそうなっただけ”なのさ」
「他のヤツが補佐になる可能性もあったんだな」
「だとしても、対象があんただって知った時点でビビって辞退しただろう。ともあれ、これであいつに箔が付きゃ外野もおとなしくなるから、檜皮も大歓迎ってワケ」
そこで鳶からの声がかかり、二人はテーブルへ移動した。
「お、うまそー!これ全部お前が?」
「お口に合うかわかりませんが」
「これはイケるだろ。こんな才能もあるとはな。ほら、お前も呑め」
「ありがとうございます」
言いながらも、鳶は腰を落ち着ける事なくマメに動いた。白群は、ただ雑談をしに来た訳ではない。
今は訓練開始直前の、膝を突き合わせて話せる貴重な時間。2人は現在の飛行部隊の状況を始めとする様々な情報の共有と意見交換を進めた。
タイプは全く違うが、パイロットという共通点があるお陰で、仁も白群と話すのは楽しい。入院中も、彼とはフライトに纏わるあらゆる話題で盛り上がったものだ。
「おっと、もうこんな時間か。長い事すまなかった」
「構わねぇ。よく来てくれた」
気付けばそろそろ3時間が経とうとしていた。
「じゃあ明日。あんた達の予定は?」
「0800に本部です」
白群の問いに鳶が答える。
「OK。そっちが一通り済んだら飛行部隊のメンバーを紹介する」
「了解しました」
「じゃあな、常磐。ゆっくり休めよ」
「ああ。お疲れさん」
握手を交わし、白群は上機嫌で帰って行った。
リビングに戻ると、鳶は淹れたてのコーヒーを仁に勧める。
「お疲れさまでした」
「アンタもな」
仁はコーヒーを受け取り、鳶に座れと促した。
「ビャクとの話は聞いてたか?」
「飛行部隊の件ですか」
「それも含めて諸々だ」
「おおよそは」
「どうだった、聞いていて」
うん、と一拍考えてから答える。
「非常に勉強になりました。候補生の立場では伺えない内容もありましたし、飛行部隊に対する理解が進んだと思います。
それと、未だ少しですがパイロットの視点が解って良かったなと。自分は、どうしても整備士がベースになっているので」
「成る程。それはあるかもな」
「それと、実は……おこがましいとは分かっているのですが」
神妙な顔になって、鳶は続けた。
「自分としてはパイロットとしての経験も積みたいんです。年齢の事もあるので難しい部分もあるでしょうが、技術は磨いていきたいと。何と言っても、自分の目標は貴方なので」
「俺?」
「はい。昔、一度だけ貴方の飛行訓練を見た事があって……衝撃でした。
あんな風に飛べる人が居るという事に心から感動しました。それからずっと、貴方が目標なんです」
これは意外だった。入隊直後から、他隊のパイロット達には『組めない』『ついていけない』と言われていたから、自分が異質だと言う事は重々承知していた……だが、それが誰かの心を動かしていたとは。
「ソイツぁ光栄だが、自分じゃよく分からねぇんだ。アンタには俺のフライト、どんな風に見えた?」
興味が湧いた。
尋ねてみれば、鳶はニッコリ笑って感想を語る。
「フライトの知識が殆ど無かった当時の自分でも、素晴らしい技術だと分かりました。機体の重量を全く感じさせない軽さと力強さを併せ持っていると。
……ただ、それ以上に驚いたのは、貴方が“空を味方につけていた”事です。他の方のフライトでは一切無かった感覚ですし、鳥肌が立ったあの瞬間が今でも忘れられません」
仁の背筋がぞくりとした。常に自分を守り包んでくれていた空……あれを、彼も同様に感じ取っていたと言うのか。
唯一度、自分のフライトを見ただけで。
「……いや、参った。本当に面白ぇヤツだ」
ククッと笑う彼を見て、鳶が怪訝な顔をした。
仁はトン、と自分の胸を指し示す。
「アンタは基本的に、ココで物を見るんだろうな」
「あ、それは何度か言われた事があります。そのままの感覚で話してしまうと相手を混乱させかねないと……自分の良くない部分です。気をつけているつもりなんですが」
「いや、寧ろ貴重な才能だと思うぜ」
彼なら大丈夫だと確信した。今、言うべきだ。
「……鳶、聞いてくれ。俺、実は記憶喪失じゃねぇんだ」
「え、違うんですか?」
コーヒーカップをテーブルに置き、鳶は居住まいを正した。その瞳には、他意も邪心も無い真っ直ぐな光。
「ああ。ここ8年間の事を知らねぇのは本当だが、それは……8年前から現在に跳んじまったせいなんだ」
「跳んだ……タイムリープですか?」
流石に鳶も驚いたようだ。うわぁ、と小さな叫び声をあげて左手で自分の額をぺちんと叩いた。だが困惑した様子は無い。寧ろ疑問が解けて嬉しいようだった。
「道理で、そのお姿……そうだったんですね!」
(やっぱ見抜かれてたか)
さっさと白状して正解だ。
「ああ。ビャクと檜皮には流石に言えねぇが、アンタには言わなきゃと思ってた」
「恐れ入ります」
「アンタから見て、違和感があるか?俺の姿」
気になっていた事を尋ねる。
「本当に微かにですが。でも10年経っても殆ど外見が変わらないような人は結構いますので、貴方の事も誤差の範囲だと納得していました」
「ビャクとかは……」
「大丈夫です。白群も檜皮も、貴方の経緯については何も疑っておられませんよ」
その言葉を聞いて、仁はやれやれと息を吐いた。
「……助かるぜ。本当に、アンタがついてくれて良かった」
「有難うございます。至らない点もあると思いますが、最善を尽くせるよう努力しますので、どうかよろしくお願いします」
“昔”も今も、彼に助けられるとは……巡り合わせの妙に、仁は改めて感謝した。
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