租税の歴史を学ぶ「租税史料室」行ってみた。


0.はじめに

「自分がいる世界や組織の歴史を学べ」落合博満著 「采配」より

4月から開業をしましたが、4月はちょっと休もうと思っていた部分があるため、諸々の準備とお勉強、そして少しだけお仕事といった感じで過ごしております。

そんなこんなで、「忙しくなるとできないことをしよう」と思い立ったため、以前から興味があった税務大学校の租税史料室の見学に行ってきました。

そこでは写真撮影がNGであり、いろいろと書類は「ご自由にお取りください」と書いていたため拝借はしましたが(20枚弱のクリアブックがほぼ埋まるぐらいありました。)、載せていいかが微妙な気がしたため、今回もテキストのみとなっております。

1.租税史料室へのアクセス

ホームページを見てください、の一言で片付きそうですが、
そこは少し丁寧目に書いておきます。
税務大学校は東京都にあると思っていたのですが、意外や意外で埼玉県の和光市にございます(昔は新宿にあったみたいです)。
和光市からバスに乗ります。
本数がかなり多いようでしたので、そこは全然困らなかったです。
東武バス(今回は東武バスに乗りました)
東武バス和01系統「税務大学校」(和光市駅南口行き)のバス時刻表 - 駅探 (ekitan.com)
西武バスでもアクセス可能です(西武バスは大泉学園駅からでもアクセスできるようです)。
追加情報はこれくらいなので、あとはホームページをご覧ください。
和光校舎案内図|所在地|税務大学校|国税庁 (nta.go.jp)

2.常設展のご案内

このブログには広告が含まれますって書くべきか、それともネタバレ注意と書くべきかわかりませんが、どちらかに当てはまるか又はどちらにも当てはまらない内容になっております(適当)。

常設展は、下記の3つのテーマで構成されておりました。
① 近代はじめの税制
➁ 税務署の創設と税制
③ 申告納税から現代の税制

それぞれのテーマごとにこのブログも進捗していきます。

3.近代はじめの税制


主に明治の地租改正や所得税の誕生に関する資料がありました。
地租改正に伴って公図ができたことは知っていましたが、実際にその絵図や杭を見たり、家券なるものを見ることができました。この時代に一斉に行われた作業の一環であるのであれば、公図が縄伸びしてしまうのも仕方がないなと感じました。
また、今でこそ当たり前の所得税ですが、導入当時は300円未満は課税されておらず、ほとんどの国民が納めておらず、当時は名誉税と呼ばれていたとのこと(私は所得税の講師をしていたので知ってましたが、改めて資料でみると感慨深いものがありました。)。
下記のサイトによると、お給料から換算した場合、1円の価値は20万円ほどのようです。(所得税を払うためには6,000万円以上の所得が必要だったということになりますね。)

明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?(1) | お金の歴史雑学コラム | man@bowまなぼう (manabow.com)

明治23年においても税収の半分超は地租、次に多いのが酒税で、所得税は1.7%に過ぎなかったようです。
ちなみに、今の税収は所得税、消費税、法人税で大半を占めます。
[国の財政] 財政のしくみと役割 | 税の学習コーナー|国税庁 (nta.go.jp)
あまりにも土地を多く持つ農業をする人に対して不公平という意見が強く、税制の姿は変わっていったようですね。

4.税務署の創設と税制

税務署は明治29年に産声を上げたようで、それまでの徴税に関しては役所(地方公共団体)が担っていたそうです。過去の税務署はおしゃれさん(決して今はおしゃれでないとは言っておりません。)だったことを示す変わった瓦や制服(洋服)などの展示、更には税務署の数の移り変わりのグラフなどがありました。

戦費の調達と税制は切っても切り離せないものであり、日露戦争前の明治30年に営業税(今の事業税の前身)、日露戦争真っ只中の明治41年に相続税が導入されたようです。営業税の台帳はぶ厚かったですが、相続税の台帳は薄っぺらいのが印象的でした(今と逆ですよね)。

大正時代には「税務署への希望」として納税者の声に耳を傾ける一幕も。
現代でいうパブリックコメントはこの時代に誕生していたんですね。
これは今日お聞きした説明によると大正デモクラシーの影響を受けたもので、このころには税の民主化も盛んに主張されていたため、その一環として行われたものであったとのことです。
下記は大正14年(1925年)のものでしたので、100年ほど経っても国民の税に対する悩みは変わらないようです(以下、抜粋)。
・「モット平易ニワカリヤスク」
・「正直ナ申告ダカラ是認シテクダサイ」
・「不景気デスカラXXX」
・「子供ガ多クテ困ッテオリマスカラ」
・「年30円クライナラ税金ヲオサメラレマスノデソレクライニシテクダサイ」

昭和15年には勤労所得の源泉課税が始まりました。戦争中における徴税目的であることは知っておりましたが、お話を聞くと、それはもちろんあるものの、税務署の職員も徴兵されており、人手が不足していたということです。
そして昭和17年に税務代理士法(税理士法の前身)が施行されたことも、戦争による人手不足もあったのかと胸が締め付けられる思いになりました。。。

あの有名な宮沢賢治氏が税務署長を主人公にした「税務署長の冒険」という本が出版されたのが昭和24年のようです。
お話によるとこれ自体は楽しい内容になっているようですが(kindleで0円だったのでぽちりました)、実際にこのころの税務調査は大変だったようです。酒税の調査が多かったようですが、戦後は密造酒が横行しており、実際に調査の最中に暴行を受け、お亡くなりになった税務調査官もいらっしゃったとのことです(今では考えられないほど、戦後の過酷さが伝わってきます。)。殉職された方のお写真の前で合唱致しました。

5.申告納税から現代の税制へ

シャウプ勧告から現代の税制について展示がこのエリアになります。
昭和22年から申告納税が開始したのは、言わずもがなシャウプ勧告(公表は昭和24年9月。このテーマはしっかり研究してどこかで書きたいと思ってます。)の民主的な税制の主張を取り入れたことによるものです。
一昔前のドラマであるマルサの女で有名な査察官は、申告納税が開始した翌年である昭和23年に誕生したようです。

税理士法が昭和26年に制定されたこと、更には一旦行政コストカットを主眼に置き数が減った税務署が増えていったことを鑑みると、やはり申告納税の導入が現在の税務業界に多大なる影響を与えたことが窺い知れます。
また、申告納税は導入当初は難航しており、昭和22年の申告所得税の税収は予算額の11%に過ぎず、昭和24年において、懸賞金付所得税申告書というユニークな制度が導入されております。抽選による懸賞金は3万円(当時の国家公務員の初任給は5千円)だそうで、あの手この手を使ってでも申告納税制度を定着させようとしてきたことが見受けられます。
更には青色申告は飴と鞭とよく言ったものですが、青色申告を大黒様に見立てたポスターはなかなかユニークでした(貸倒引当金の前身である貸倒準備金はこの時代からあったのですね。)。

昭和25年に明治29年以降、地租のために税務署が管理していた土地台帳・家屋台帳は税務署から登記局に移管され、同年に固定資産税が誕生しました。

また、昭和25年は国税不服審判所の前身である協議団が誕生した年でもあります。

6.おわりに

結論から言うと、租税史料室は訪れて大正解でした。
ここに訪れれば、明日からの税務業務に役立つか、といえばそうではありません。ただ、古くからの人々の営み、歴史を積み重ねて現代の税法があるわけであって、テキストベースでは得ることが難しいものを得た気がします。
思いを言語化するブログをやっておきながら、抽象的な結論にするのはどうかな?とも思いましたが、結局は言語化できるものはわずかであって、それ以外の感情で世の中は動いていることを認めるのもよいのではないかと思っています。
興味が持てた方は、ぜひ一度足を運んでもらえればと思います。

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