叔母と私の話
こないだ今まで一度も法事に出たことがないという友人の話を聞きました。20年以上生きていてもそういうことってあるんだね。それが身近な親族が亡くなってないということならとても幸せなことだと思う、私は生まれた時からつねに叔母の死がそばにあったなと、初めてそれが当然ではないのだと気づきました。流石に小学2年生で書いた創作劇の中で南無妙法蓮華経を唱えさせていたのには吃驚したけど(「蟻のお葬式」っていう劇)。
叔母(母の姉)は私が生まれて1ヶ月後に亡くなりました。私が生まれる頃にはもうすでに手の施しようがないことがわかっていたらしく、みんな覚悟を決めていたそうです。叔母は癌で亡くなったけれど、もともと活発で美しかった叔母が体調を崩し精神的におかしくなっていったきっかけは大失恋だったとな。そんなレディースコミックみたいなことあるんだ、という感じなんだけど、叔母はなんでもできる代わりにちょっと感情が豊かすぎるところがあって、それで一気に落ち込んでしまったらしいです。私が生まれてから叔母が死ぬまでの期間があまりに短かったので、私は半分叔母の生まれ変わりのように扱われることがありました。
母の家は少し特殊な家だと思います。母も叔母も祖母も曾祖母も霊感が強いことに加えて、家族ぐるみで四柱推命を本格的に勉強していました。叔母が倒れた時も、私が生まれるときも、懇意にしていた霊能師の方に助言をもらっていたそうです。私をみごもってもいないとき、母はその霊能師の方に「あなたの肩に太陽のような女の子と月のような男の子が乗っていますよ」と言われたらしい。私は自分を太陽のようだと思ったことが一度もないけど、時々その言葉を思い出すと元気になれます。太陽になる素質が俺にはあるんだ、と思えるから。
叔母が病気に罹ったとき、当然ながら祖母と母はその霊能師の方を頼りました。真夏にマンションの部屋でお焚き上げをし続けたけれど「積んだカルマが多すぎる」と言われてしまって、叔母の病気は悪くなる一方でした。叔母が亡くなる1ヶ月前に、その霊能師の方は跡形もなく消えてしまったそうです。でもこれはその人が偽物だったとか言いたいわけではなくて、叔母の病気が治らなかったのは本当にカルマを積み過ぎていたせいなのだと当時ふたりは納得したようだし、ふたりは今でもその方はもっと大きな問題に立ち向かうために去ったのだと信じています。
そうして叔母が死にかけているときに私は小さく産まれました。祖母の家には私が生まれた喜びと叔母を失う絶望とが拮抗していて、母は私を抱きながら泣いていたといいます。
私は叔母に一度だけ抱かれたことがあるそうです。でもそれはほんの一度だけで、叔母は私が生まれたちょうど一ヶ月後に亡くなりました。
叔母の法事は日常の一部でした。そして祖母の家に帰ったら仏壇に挨拶すること、夕飯のたびにご飯を上げること、貰いものはまず仏壇の前に置くこと、お線香の匂い、正座、手をあわせて祈ること、それらは食べることや眠ることと同じような「生活」でした。叔母だけでなく親族が割と早く亡くなってしまったので、お焼香のやり方もお葬式の流れも、いろんな念仏も早いうちから覚えていた気がします。祖母と母が信心深かったので、私もやっぱり信心深い人間なのだと思います。
昔から祖母の家の周りには、夏になるとクロアゲハが飛んでいました。私は「クロアゲハはおねえちゃま(叔母)なんだよ、あなたを見守ってくれているんだよ」と言われて育ちました。今でもクロアゲハが飛んでいると、叔母が私を守ってくれているんだなあ、夏だなあ、と思います。
私は叔母とは違い、何でもできるどころか割と日常生活が怪しいレベルの不器用な人間です。でも一回だけ、本気で姉の生まれ変わりを疑われたことがありました。
中学のころ、私にはとある癖がありました。それはみんなが一般的にするようなしぐさではなかったのですが、私は全く無意識でそれをしていたようです。母は私のその癖を見たとき、ものすごく怖がりました。それは叔母が幼い頃からずっとしていたしぐさだったからです。母は叫ぶように私の癖を咎め、二度としないで欲しいと強く叱りました。
思えばこの記事を書き始めようと思ったきっかけは、ふとこれって普通感動するところじゃない?と思ったからでした。亡くなった夫のしぐさを息子がしていて感動したみたいなドラマを見て母がめちゃくちゃ感動していたのに、なんで私はこんな怖がられた?と思ったんだよね。いやでもリアルにこんなことされたらやっぱり怖い気がするわ。叔母が楽に死ねなかったというのもあるし……でもときどき母親に見られないところで実はこのしぐさをやってみたりします。叔母の存在を感じるし、叔母がわたしを愛してくれている気がして、私はこの癖が好きです。
24年生きてくるうちに、私にはもう叔父や叔母と呼べる人が1人もいなくなってしまいました。ティーン小説の中に出てくる叔母や叔父の存在がずっと羨ましかったけれど、こうやって書いてくると私と叔母のあれそれは下手なよしもとばななの小説みたいだなと思いました。
私は叔母にもちゃんと育てられていたんだなあと、最近はよく感じます。
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