2021スリルミー感想② 「私」の物語としてのスリルミーと匿名性
前回は各ペアの比較をしたので、今回はスリルミーというミュージカルそのものに対する感想を書き散らかしたいと思います。
前回気持ち悪いですます調で書き通してしまって、でもここから変えるのも気持ちが悪いのでこのまま行きます。すみません
◆「私」の物語としてのスリルミー
このミュージカルは一人称のミュージカルです。仮釈放請求審理委員会で54歳の「私」が物語を語り出し、終始「私」の語りで話が進みます。このミュージカルでそもそも大前提として大切なことは、ここに出てくる「彼」は「私」の記憶の中の「彼」であり、そこに客観性はほとんど担保されていないということです。
・信頼できない語り手としての「私」
この物語にとって客観性がほとんど無いということはどういうことかというと、この劇の中の「彼」は「私」が見ていた彼であり、「私」の「彼」に対する理想像の押し付けや思い込みがあったり事実とは違うことがらが語られているかもしれないということです。「私」はその点で「信頼できない語り手」とすら言えると思います。ここまで思い込みや「彼」への思い入れが強かった「私」が、客観性を持ったまま冷静に「彼」について語ることは難しいだろうと思えるからです。しかも約35年前の記憶を。
この物語は徹頭徹尾「私」の物語なのです。でもこの中で、唯一「彼」そのものを感じられる部分があります。それは「彼」の台詞です。台詞は「彼」が言ったことそのままのはずなので、ここだけはさほど「私」の主観の影響が強くないといえます。(しかしこれも確実にその台詞を「彼」が言っていたとは断言できないのですが、客観的事実に1番近い可能性が高い部分はそれでしょう)
例えば「死にたくない」で、「私」は「彼」の声は聴いていますが行動は見ていません。ここでの「彼」の仕草は事実ではなく、「彼」の声から「私」が想像したものだと言えます。つまりこの部分は「彼」の台詞と行動に食い違いがある可能性が高いと思われます。もしかしたらこんなに「彼」は狼狽してはいなかったかもしれないし、逆にもっとものすごい勢いで暴れていたのかもしれない。もしも事実がこんなに狼狽していなかったとしたら、これは「私」が「彼」に死を怖がって欲しかったというのことではないでしょうか?とまあこんな感じで答えは出ないのですが、所々「でもこれって事実なのか?」と考えていくと想像が楽しいかもしれません。少なからず「彼」は「私」に見せたい姿があったのだろうし、それがどういう風に「私」に見えていたのかを考えると面白いですね。「私」はやっぱり自分の理想の「彼」を見ていたと思いますし。「彼」が語るスリルミーもそういう意味では気になりますね。その客観性がほとんど無い主観と主観のぶつかり合いを観てみたいです。
なお、このことは最初に「私」によってきちんと示されています。「隠された真実」では「歴史のなかに埋もれてしまった事実は今や誰のもの?」と歌われており、「私」自身も「私」が話す物語が全くの事実ではないことを認めているのです。
そしてここでは同時に、調書に書かれたことが事実のすべてであると思われないように、事実を警察のものにされるということがないように「私」は予め釘を刺しています。これは「私」の独占欲です。なおここで「今や」とされている以上、当時は誰か(「私」と「彼」?)が事実を所有していると「私」は思っていたのかもしれません。でもそもそも人間が事実を所有することなど可能なのでしょうか。すべては人の主観を通した物語の中の出来事です。もしかしたら当時すら、誰も事実を所有することなどできていなかったのかもしれません。そのことに「私」が気づいているかどうかは分かりません。
・「私」の物語におけるピアノ
私がさらに気になるのは、ピアノです。BGMにも効果音にも伴奏にもなるピアノ、これは一体「私」の物語において何をあらわしているのでしょうか?
伴奏者は私と彼の物語の第一の観客と言われます。しかし徹頭徹尾「私」の物語であるこのミュージカルで、このピアノは「私」そのものなのではないでしょうか。「プレリュード」には「スリルミー」「契約書」「スポーツカー」のメロディが入っていますが、これは仮釈放請求審理委員会に向かう「私」のなかで思い出されていた光景なのかもしれません。「超人たち」の盛り上がりは「彼」の高揚ではなく「私」の高揚を表しているのかもしれません。「俺と組んで」に「スポーツカー」の旋律が挿入されているのは、「私」がその状況をまるで自分がこれから殺される子どものようにあやされていると感じていたからなのではないでしょうか。「死にたくない」が「彼」の滑稽さを表すような三拍子なのは「死にたくない」と叫ぶ「彼」のことを「私」が滑稽だと思っていたからではないでしょうか……
想像は尽きませんが、明確な答えはわかりません。でももしそうだったら、またこのミュージカルは面白く読めると思うのです。
◆匿名化された「私」の世界
ここまでこのミュージカルが一人称であることの意味を考えてみましたが、気になる点はもう一つあります。それはこの物語が匿名にあふれていることです。
このミュージカルはすべてが抽象化されており、この匿名性もそれの一環だと今まで私は考えてきました。しかしこの匿名性にはもっと意味があるのではないでしょうか。
このミュージカルが「私」の物語であることを踏まえた上での1番メジャーな匿名性の意味としては、「私」の世界には「彼」と「私」しかいなかったこと、になるでしょう。「私」の世界には2人しか必要なかった、だから2人しか舞台上には出てこない。「彼」が「彼」でしかないのは、「私」にとって大事な人間が「彼」しかいなかったから。そう読むのが一般的であるような気がします(そんなに多くの方とこのミュージカルについて話したことがないので分かりませんが)。ですが肝心なのはここからです。匿名化された人間はこのミュージカルに沢山出てきます。弟、父親、友人達、アナウンサーの男、弁護士、検事……なかでも特徴的なのは殺された子どもと、ピンクの服の女です。この2人については、歌のなかでしつこく言及があります。
・子どもと女という人形
殺された子どもとピンクの服の女。2人に共通するのはいずれも社会的弱者とされる立場の人間であるということ、そして「私」と「彼」にとっては誰でもいい存在だったということです。
「代わりの誰か」でしかなかった子どもと「その時だけの女」でしかなかった女は、「私」と「彼」にとって人格を想定されていないただの人形です。2人の利益や欲求を満たすためだけに立てられたサンドバッグです。
前の記事でも書きましたが、「私」と「彼」が学んでいた法律というものは社会的弱者を守り、秩序を保ち社会を平等にするためのものでした。2人はそれに反して資本主義の病に取り憑かれていきますが、この法律を学んでいる白人男性エリート2人のために「子ども」と「女」の人格が犠牲になっているというのはあまりにも残忍で卑劣で、とても無視し難いことです。そしてこの徹底的な差別的視線が「彼」だけでなく「私」にも備わっていたこと(これは「私」の物語なので)、「私」も間違いなく卑劣な加害者であることを我々は決して忘れてはならないと思います。ああ書いててめちゃくちゃムカついてきた……
人格および選択を剥奪された子どもと女は2人にとって匿名でしかなかったのです。
・重なる影
さらに嫌なこと言ってもいいですか?
例えば「超人たち」を歌い終えた2人が去っていくシーンですが、ここでは「彼」が「私」の手を引いて後方へと誘います。これはつい先ほど「スポーツカー」で「彼」が子どもの手を引いて車へ連れてゆくシーンそっくりです。「あの夜のこと」で設定された「私」と女の一夜はさながら「彼」と「私」の一夜です。つまりこの物語のなかで、匿名でしかない子どもと女の立ち位置をそのまま「彼」と「私」に置き換えて考えることが可能なのです。分かりやすく言えば、この物語は女と子どもの人格を剥奪した上で「私」と「彼」にその立場を塗り替えさせるということをやっています。これは「私」が「まるで自分はこの子どものようだ」などと思っているからこれらの演出になったのでしょうか。その辺りは分かりませんが、匿名であるということは人格を置き換えられるということなのです。
余談ですがこの女の想定もすごく気持ち悪いですよね。ピンクの服にピンクのマニキュア、彼らの女に対する差別意識がそのままあらわれたような表象にウッとなったりもします。
・「彼」の名前
この物語のなかで「彼」の名前が出ないのは、「私」にとっての「彼」が「彼」でしかないからだと前に書きました。匿名であることの不安定さを今まで書いてきましたが、その不安定さに対して「彼」が「彼」として「私」のなかで固定されていることは「彼」の特別感を高める効果があると思われます。しかし逆に、もしかすると「彼」すらも「私」にとっては人格の置き換えが可能なのではないか?と考えることもできます。
この解釈が可能なのは2021成福ペアぐらいだと思います。仮釈放後の「私」の「スリルミー」がもし「私」自身の不穏さに「私」が気づいた瞬間だとしたら、もしかしたらまた「私」は何かとんでもない事件を起こすかもしれません。スリルを求めて、また「彼」に代わる誰かに愛を投げるのかもしれません。そのとき「私」のなかで「彼」すらも、人格を奪われた人形になるのです。怖すぎ。いやほんと、ここまで想像させてくれる成河レイが本当に凄いんです。
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これ以上色々書くともう収集つかなくなりそうですのでこの辺で終わりにしようと思います。韓国版の歌詞と日本版の歌詞の違いで気になるところがちらほらあるのでその比較とかも今後してみたいです。「生きてる間は」と「永遠に」の違いとか……永遠に一緒っていうのはいろんな意味があると思うけど、1番大きいのはこの事件後いつまでも2人はペアで名前を人々に覚えられるってことなのかなーと思います。いやでもそれも永遠ではないよな。永遠にってなんだよ?!そうレイが思いこみたいってことか?!もしくはあれか、一瞬とは永遠に1番近いというやつか。あとレイにとって服役中に彼が死んでよかったなって思います。「彼」はレイの中で永遠になったからね。レイは「彼」を殺したやつについてどういう気持ちを抱いてるんでしょうか。やっぱり憎いのかな。
2021スリルミー、本当にいろんなことに気づけました。若い2人を観られなかったのが残念でならないのですが、配信のおかげもあり沢山沢山楽しみ、考えることができました。
ありがとうございました!また来年もスリルミー、お待ちしています。
二階堂
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