2021スリルミー感想① 各ペア比較

2021スリルミー観劇が今日(ここを書いてるのは5/30)で最後だなんて嘘だ……配信本当にありがとうございました。小さくて暗いあの劇場で観るのはまた格別の経験ですが、このような素敵な作品をたくさんの観客に届けてくれようとしたその決断とそれに関わったすべてのスタッフの方、演者の方に心から感謝します。



2021スリルミーの感想を一度まとめておきたかったので、総決算ということで今まで観たペアたちそれぞれの特色まとめを第一弾とし、スリルミーという劇そのものへの感想は第二弾とすることにしました。どちらも長い上に話題が縦横無尽に走り回ります。
なお、すべて私二階堂個人の勝手な感想であることもご了承ください。異論はいくらでもあると思います。それでこそスリルミー!ネタバレだらけです。


2014 田代万里生×伊礼彼方ペア

人間は7年前のことを果たしてどれほど正確に覚えていられるのだろうか……初めてのスリルミー観劇は伊礼彼方彼(以下伊礼彼)×田代万里生私(以下田代レイ)でした。2回ぐらい観た気がするんですがそれすらもかなり曖昧です。CDを聴きすぎて、それにかなり影響されているところもあるかもしれません。


伊礼彼の印象として覚えているのは、とにかく近寄り難く怖い彼だったということです。お顔があまりに整っていらっしゃる上にお声もかなり威圧的な出し方をされており、よく田代レイはそこまでグイグイいけるなと思った記憶があります。
田代レイは彼がそうだったからこそよりか弱いワンちゃんのように見えたのかもしれません。どう頑張っても彼と同等にはなれなそうなレイで、田代レイが意地を張って隣に立とうとすると伊礼彼は圧倒的に強い力で田代レイをねじ伏せてくる。これほど上下関係がひっくり返らなそうな2人はそうないのではないかと思います。


初見だったからかこの2人だったからか、最後のどんでん返しは相当強烈なものでした。シンプルにこのどんでん返しを楽しめるというか。
伊礼彼は私に対してとにかく圧倒的な存在感と力を行使していました。力が効力を発揮する世界で前半のすべてが力強く、だからこそ後半の弱々しさが痛ましい。田代レイはとうとう伊礼彼の力が及ばぬ次元まで1人で登っていった、むしろ伊礼彼は「99年」を歌う田代レイに徹底的に置いていかれているような気がしました。力ではない何か(それは愛だろうか?)が支配する世界へと行ってしまった田代レイをただ呆然と見送っていたようでした。
この時の田代レイはまさしく狂気に落ちていたのだと思います。誰も理解できないところへ、彼すらも置いて1人で届いてしまった。そして仮釈放時の田代レイは、その世界から醒めてしまったかわいそうな大人でした。


2014スリルミー、もっと他のペアも観れば良かったのになんでここで止まってしまったんだろう。もったいなさすぎる……

2018 成河×福士誠治ペア

3年前のことも記憶がかなり危ういです。当時書いた感想のありかもわからず……なんでもっとちゃんと残しておかなかったんだ……
2018成河(以下成河レイ)×福士誠治(以下福士彼)ペアについては「99年」の印象がとても大きいです。そもそも最初から割と成河レイは静かすぎて怖かったのだけど、「99年」の成河の静かな狂気、静かだけど論理を飛び越えた狂気の沙汰は壮絶でした。最初から何か末恐ろしいものが背骨にぴったりとくっついているようなそんな不気味さがありました。「99年」であまりにも成河が幸せそうにほほえむので、正直私も福士彼と一緒に引きました(サイコーです)。


福士彼は本当にドライな彼で、正直どの人間にもなにも興味がなさそうに見えました。一番人間らしさが無くて、だからこそ感情を前に出すところではこの人も人間だったんだ……と強く感じヨシヨシしたくなったのを覚えています。前半も弱い部分があんまり弱さとして露わになることがなく、常に淡々としていて、過激さのない彼でした。自分の欠点を隠すということがなく、そもそも自然体であるような。それがクールでたまらなくカッコよく、成河レイが夢中になる気持ちがよくわかりました。
2人はそんなにベタベタせず、成河レイがものすごく福士彼のことが好きなのはわかるのですが、常にこの2人の間は割とドライな感じで進んでいました。そのドライさが起こっていることの過激さとちぐはぐな気がして、それがかなり怖かったのかもしれません。この時私はイレマリペアに侵食されすぎていて、彼らの斬新な解釈に対しあまり理解を深められなかったように思います。2021では多分しっかり受け止められた!はず!


2018 松下洸平×柿澤勇人ペア

うおおおお!好きだ〜!このペア、本当に大好きです(みんなそれぞれ大好きなのですが!)。もう一回見たいので次は是非戻ってきてほしいです……!!!!


柿澤勇人彼(以下柿澤彼)は誰よりも一番チャラい彼でした。遊び人で根無草で、毎日違う家を渡り歩いているような遊び人の印象が強いです。だからこそ松下洸平(以下松下レイ)に対してものすごくフランクな時もあれば、一転してすごく冷酷な目をする時もあるのです。この人たらしっぷり、どの彼とも違う飴と鞭の使い方が柿澤彼の1番の特徴だと思います。みんなが彼の親しみやすさと陽気さに魅了されている。個人的には柿澤彼が一番馴染みやすかったというか、こういう人って身近にいるなあと思いました。この手に入りそうで決定的に手に入らないもどかしさ。わかるなあ〜。こんな人たらしの彼だからこそ「僕はわかってる」が効くんですよね。レイにとっては一番残酷な彼かもしれません。
そしてみんなと明るく仲良くできるからこそ、柿澤彼のなかにはぽっかりどこかに欠陥があって、それを松下レイはしっかり見抜いている。この2人の「僕はわかってる」はもはやサビみたいなところがあると思います(それは言い過ぎ)。柿澤彼がふとするぼんやりとした顔は、陽気さに隠された空白、影が滲み出ています。そういう陽気さの裏にあるナイフのような鋭いところが、きっと松下レイをキュンとさせてしまうのでしょう。


松下レイは最初ものすごく普通のお坊ちゃんです。みんなと仲良くしている柿澤彼を自分のものだけにしたいと望む、ちょっと暗めのボンボンという感じです。けれども松下レイがどんなに柿澤彼を静かに望み、愛しているか!松下レイは誰よりも彼を愛していながら、誰よりも静かなレイだと言えると思います。そして多分かなり冷静にものを考えられる人なんじゃないかとも。けれどもどんなに望んでも彼は自分のものにならないし、自分がその空白を埋められる人間だということに彼は気がつかない。松下レイは冷静にゆっくりと論理を暴走させていくのです。
「99年」でレイは自分が全てを仕組んだことを語りますが、他のレイはここでかなり論理を離れた狂気の中にいるように見えます。多分ここで他のレイが必ずと言っていいほどにこやかに笑うからです。もしくはこの笑みは、彼に認められたいというプライドの表出なのかもしれないし、支配による優越感によるものなのかもしれませんが。松下レイは唯一「99年」で幸せそうなな笑みを見せなかったように記憶しています。松下レイはここで狂気には至っていないのです。あくまで彼の中でこれは真剣な求愛なのであり、徹底的な論理の暴走なのです。
松下レイが歌う「99年」は悲痛な叫びです。この歌に恍惚の響きはなくただ悲痛に、じっとりと這うように歌われます。松下レイは多分投獄をもってすら柿澤彼を永遠に自分のものにできたか不安なのです。だからあんなにも祈るように、縋るように歌うのです。そしてきっと、シャワー室で彼を刺した人間を一番憎んでいるのは松下レイでしょう。全編通してものすごく彼に執着している、じっとり湿っぽいレイというのが印象です。

2021 成河×福士誠治ペア

長くなりましたが今までのは全部序章です。ここからが本題です。
2021スリルミー、全ペア観る気満々だったのですが若い2人のペアがどうしても機会的に観られませんでした。配信ですら仕事で観られなくて、本当に残念です。年相応の方が演ることは劇にとってものすごく大切なことだと思います、また来年、お願いします……!



2021成河(以下成河レイ)×福士誠治(以下福士彼)、彼らのおかげでスリルミーの新たな一面に出会うことができました。偉大すぎる………
この2人の関係を一言で表すなら「友だち」でした。この2人はどこのペアよりも対等だったからです。しかしこの対等さは成河レイの虚栄心によって成り立っていたものであって、成河レイが福士彼と対等でいたかったがためだけにこの惨劇が起こったのだと強く私たちに感じさせるものだったと思います。

成河レイは2018年と同様最初から何かやらかしそうな雰囲気がひっそり漂っていて不気味でした。それは多分幼さの裏返しで、成河レイは幼さゆえに自分を律することができず、福士彼の挑発に乗ってしまう。たまにものすごく可愛らしい(媚を含んでいるような)ところも、子どもらしすぎることの表出なのかなあと思いました。
成河レイの福士彼への感情は強い愛情というわけでは無い気がします。どちらかといえばこの2人は「絶対に負けたくない幼馴染」に近い。でもこの人にだけは絶対に負けたくないという感情はどう考えても唯一無二の執着です。成河レイはものすごくプライドが高くて、福士彼の望みを自分が叶えたのに自分の望みを彼が叶えてくれないことに散々傷ついています。それはつねに自分が福士彼よりも立場が下ということになるからです。
成河レイは自分の立場を彼と同等にするために要求を押し付ける。そうすると福士彼がとんでもない要求をしてくる。福士彼はときどき、成河レイを試すような言動をします。それは明らかに挑発です。成河レイは福士彼と同等に(あるいはその上の立場に)なりたいがためにその要求をのむ。そうして事態は悪化していきます。
従来の解釈では、この辺りは彼を強く愛するレイが彼と共に生きるために泣く泣く彼に付き従っていたという風になっていた気がします。でもこの2人の場合はお互いのプライドのぶつかり合いという側面がとても大きいように感じます。


福士彼は本当に人間に興味がなさそうだなと思いました(2回目)。完璧主義で潔癖そうで超クール、誰のことも信用していなさそうでカッコ良かったですね!転落ぶりも見事に可愛くて素敵な彼でした。
この2人のもうひとつの特徴は、お互いに対する信頼がよく見えることだと思います。福士彼は成河レイが自分の写し鏡のような存在であることを多分わかっているし、だからこそ嫌悪もするのですが、成河レイが自分と同じレベルで物事を為せるだろうことを確信しています。挑発はしてみせるけれど、それに成河レイが乗らないはずがないとわかっている。取調後公園での彼の取り乱し方はかなり派手な方だと思うのですが、それは幻想を打ち砕かれた絶望によるものではないでしょうか。「俺たち二人ならなんだってできる」という子供らしい幻想を彼は本当に信じていたんだと思います。19歳のリアルさがすごい。


レイと彼はコインの裏表のように憎み合い惹かれ合い、歪んだナルシシズムを含みながらもつれ合っていきます。このナルシシズムがこの劇の中ではかなり重要だと個人的には思いますが、成福ペアのこの表裏一体感は凄かったです(成福が1番うわナルシシズム〜!と思った、力の強いものが正義という「資本主義の病」テーマを掲げて演じられていたからかもしれない)。
似たところもなくお互い正反対の性格なのに、2人の心に開いた穴は同じかたちをしていて、それだけで限りなく2人の境界は曖昧になる。だからこそ同族嫌悪もするし相手には絶対に負けたくないと思うのでしょう。(「99年」前まで)こんなに2人が存在として近いのはこのペアぐらいではないでしょうか。
この2人にとってのセックスは、2人に空いた同じかたちの穴を埋めるためのものだったんだと思います。それは愛とかには関係がなくて、ただ完璧なスリル、一瞬の爆発、燃える火の焦げるような熱さ、そういうものを2人の肉体で共有することが大事だったのかなと。それに加えて加虐と被虐が交差するその恍惚を味わうことも。加虐願望とは被虐願望であり逆もまた然りというのが持論の私としては、彼とレイは一体化した上でその恍惚に浸ることをセックスの目的としていたのではないかなと思っています。2人でが炎と化すこと。そしてそれはお互いを屈服させる行為でもある。セックスの場では2人は心持ちとして対等なのだと思います(「スリル・ミー」で服を脱いでいく場面などからの推測ですが)。


このペアの「99年」も印象的です。ここまで2人は同じものを共有してきたはずだったのに、突然成河レイは福士彼の想定からはみ出てしまいます。この2人はお互いに無言の信頼があって、お互いの決断に対してはどんな時も少しだけ共有できる気持ちがあったはずでした。けれど成河レイが選んだ「本当に福士彼に勝つ方法」に福士彼は全くついていけなかった。それが成河レイにとっての「勝負の終わり」なんですよね。成河レイは福士彼に全く理解されないという点で彼の一歩上に立つのです。それが2人にとって幸福なことなのかは分からないけれど。でもあの幸せそうな笑みを見るに、成河レイは幸せだったんだろうなあ。
福士彼の憶測の範囲から成河レイは飛び出して、だからもう2人はコインの裏表ではなくなるのでしょう。その上での「99年」がどのような意味を持っているのか、考え続けているけどまだわかりません。成河レイが福士彼の上に立ち彼を包括した存在になったから、彼は「僕のもの」なのかなあ……
福士彼が「本当は俺がなりたいのは、正に彼のような弁護士だ」と言ったあとの成河レイの「そうだったの、知らなかった」の言い方、とても特徴的だと思うのですがあれは何なのでしょうね。優しさや愛に満ちているというわけではなく、優越感をもって子どもをあやしているみたいな感じ、ものすごく不気味でしたね(サイコーです)。


法律とは立場の弱いものを守り、みなで平等に暮らすためにあるものです。2人はエリートとして法律を使い、「資本主義の病」に侵されることのない世界をつくるはずでした。けれども2人は「超人」こそが価値を作るのだという思想に囚われ、法の世界とは全く逆の方向に歩みを進めてしまいました。54歳の成河レイはそのことを本当に悔いているように見えます。なぜ彼にあんなにも引きずられ2人で暴走してしまったのか、今となっては全く理解ができない。あれは自分たちの幼さによる暴走であり、今後彼もいなくなった世界で自分は過ちを冒したりはしない。そう本気で語っていたように思います。
しかしラストシーン、あの公園でもう一度福士彼に「出会った」時に成河レイは自分の心にずっと巣食っていた大きな衝動に気づくのです。「だから、スリルミー スリルミー」と歌う成河レイは、あそこで初めてあの衝動が自分のものだったことに気がついたのではないでしょうか。今まで彼の挑発に乗って起こしてきたと思っていた様々な犯罪、でもその火種は成河レイのなかにも確かにあったのです。先ほどまであんなにも理解できなかった昔の自分の気持ちが、福士彼に会うだけで簡単に蘇ってしまったその切なさと危うさが悲しいですね。成河レイのラストシーンはかなり不穏な匂いを含んでいるように思います。もう終始成河レイが不気味なのでここでやっとモヤが晴れる感じがして個人的にはスッキリもするのですが。これから成河レイがどうやって生きていくのか観てみたいところです。


成河レイと福士彼のスリルミーは愛という言葉を使わなくても読めるという意味でとても新しいのではないかと思います。まだまだ進化しそうな2人組、次回も是非!是非!観たいです。


2021 田代万里生×新納慎也ペア

まさかの初演ペアが今年観られるとは思わなかったです。歌がうますぎて安定感が尋常じゃなかった。あの歌を舞台で聴けて本当に良かったです。
田代万里生(以下田代レイ)×新納慎也(新納彼)のテーマは「究極の愛」ということなんですが、もうまさにそれなんですよね。この劇を愛の物語としてここまで昇華することができるなんて驚きです。初演時もこうだったのでしょうか……?



新納彼の1番の特徴は、弟や父親に対する憎しみが非常に強いことだと思います。弟の話が出ると途端に飄々とした態度を崩し「そこまで?!」というほど激昂する新納彼は、裏を返せばものすごく愛に飢えた人間なんですよね。本来2人に平等に注がれるはずだった父の愛情は弟1人に偏って、自分には何も与えられなかった。だから新納彼は自分だけを強く愛してくれる人間を常に求めているように見えます。
例えば「お前がいなきゃ、ダメなんだ」の台詞がこんなにも切実に聞こえる彼を私は今まで見たことがありませんでした。今までの彼はレイを手玉に取るための手段としてこの台詞を話していたと思います(もちろんそこには少しの本心があったのかもしれないけれど)。でも新納彼のこの台詞はかなり本心に近かったような気がします。レイを弄ぶためだけに使う言葉としては、あまりに真剣な色を帯びすぎていました。新納彼の時々こぼれるこの弱々しさ、狂おしく何かを求める切実さに田代レイはどんどん魅了されていったんでしょうね。でも新納彼は多分自分が本当は何を求めているかがわかっておらず、それをスリルで埋めようとするのです。そしてそれも含めて田代レイは全部わかっていると思います。


田代レイでまずびっくりするのは初っ端からぼろぼろ泣いてることなんですが(劇中ずっと泣いてる……)、その感情が悲しみなのか悔しさなのか明言することは不可能でしょう。でも想像するに、彼のことを話すのはものすごく田代レイにとって辛いことで、それは既に彼が死んでいるからなんだと思います。
田代レイはぐちゃぐちゃに濃い執着と愛を彼に押し付けて、彼にとっての唯一の人間になることを望んでいます。でもその見返りは返ってこない。田代レイの「スリルミー」のサビは「さあ壊してくれ!もっと強く、もっと お願い」だと思うんですが、彼は新納彼が自分に向かって何か本能のままに求めてくることをつねに望んでいる気がします。だから多分田代レイは新納彼に殺されても良かったんじゃないかな。本能のままに力づくで求めることが愛だと田代レイは多分思っているんですよね。そして力づくで暴かれることは予想のつかない「スリル」なのではないでしょうか。田代レイが求めるのはそれなのでしょう。
田代レイは本当に新納彼と一緒にいたいがために罪を犯してしまったように見えます。彼がいつから「99年」を計画していたのか、個人的には結構後なんじゃないかと思ってはいますが(あるいは「やさしい炎」?)、彼の目論見を忘れて途中まで本当に可哀想と思って観てました。騙されるな私……


にろまりペアスリルミーのサビは間違いなく「99年」です。田代レイは多分本能のままに求めることが愛だと思っていると前に書きましたが、「99年」で彼が白状したことはまさにそういうことです。彼とともに生きていきたかった、だからどんなものでも利用してここまで漕ぎ着けた。超ビッグ・ラブです。論理の暴走として「狂っている」という言葉を使うなら、彼は少々狂っているのかもしれないですが。
問題は新納彼の方です。ここの彼といえばヤバい目をしたレイにドン引きしているのが常だと思います。
舞台で見た時、「99年」が終わったあとはけるまで新納彼はずっと微笑んでいました。配信の時は「99年」中に微笑みながら泣いていました。あの微笑みだけで、この物語はハッピーエンドになるのです。
田代レイの告白を聞いたとき、新納彼は初めて自分がずっと愛に飢えていることに気がついたのではないでしょうか。そして安心したのです。これからずっと、99年間田代レイは自分と一緒にいてくれるのだと。あるいは逆、告白を聞いて彼が最初に感じたのは安心であり、だからこそ自分の穴を埋めるものに気がつかされたのかもしれません。田代レイの大きな大きな愛は新納彼の存在をゆるし、彼の欠けた部分を埋めるものになったのです。同時に田代レイの愛は彼にゆるされたことになるのです。
田代レイがその意図を持っていたかは分かりません。新納彼を見る田代レイのまなざしはさながら聖母のようでした。けれどもにろまりペアスリルミーに関しては新納彼の最後の微笑みゆえにハッピーエンドだと言えるでしょう。田代レイの「究極の愛」が新納彼の孤独と虚無を救う物語として、この物語を読むことができるのですから。


この物語がハッピーエンドだからこそ、田代レイが最初に涙を流していた理由も分かる気がするのです。新納彼はもう死んでしまったけれど、今でもまだ田代レイはずっと彼を愛している。もう死んでしまった、愛する彼との「永遠の時間」を語るのは苦しいことでしょう。
ラストシーンで新納彼がレイの名前を呼んでくれたとき、田代レイはもう一度あの「永遠の時間」に還ります。最後の「だからスリルミー スリルミー」からは彼を失って生きていかなければならない田代レイの孤独と絶望を感じるような気がするのです。大きな愛を抱えたまま、突然世界に取り残されてしまった田代レイの寂しさを思うと、単純にハッピーエンドとは言えないかもしれないですね。でも新納彼の物語としては完全にハッピーエンドだと思います。いやこの笑みが田代レイの完全なる妄想というのもあり得なくはないんですが。これはそもそもすべてが田代レイの物語なので……



という感じで各ペア比較を終わらせたいと思います。2021スリルミーめちゃくちゃ楽しんだ〜!!!!!!!!!!!サイコーだった!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(最初を感謝から始めたせいで取り返しがつかなくなって謎のですます調で通してしまった、気持ち悪くてすみません。)


二階堂

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