星見純那に恋していたかった
一部劇場版レヴュースタァライトのネタバレを含みます。8割自分の話、2割劇スの話です。
大場ななが星見純那にやったこととほぼ同じことを昔友人にしたことがある。
まさか劇スで自分の過去と向き合うことになろうとは思いもしなかったけれど、ふたりの狩りのレヴューを観てまず思ったのは、大場は星見に執着できて幸せだったよなということだ。普通なら大場の自分勝手さに嘆く場面なのにね。
中学と高校で、その友人は演劇部に所属していた。彼女はある種のカリスマ性をもっていて(それは彼女自身も感じていたはずだ)、多くの同級生や後輩から慕われ愛されていたように思う。
私は彼女の演劇が好きだった。中学1年の頃から6年間彼女が出ている演劇部の舞台DVDを収集し(ひとつの公演を3つのアングルで撮ったDVDもある)、発表日には予定の許す限り講堂へ見に行った。彼女の演技は大袈裟でいかにも演技らしくありながら何か胸を打つものがあり、私はいつも彼女の演技に夢中だった。今思えばその魅力とは彼女の空虚さだったのかもしれず、空虚であるゆえの哀しみだったのかもしれなかった。
彼女と私(中高6年間ミュージカル部に所属)は同じ憑依型の役者だったこともあり、部活は違えど様々なことを話し合った。私たちにしか解り合えないことがあり、私たちにしか解決できない問題があった。私は自分にとって彼女を唯一の人間だと思った。
私と彼女は同じ大学の同じ学部に行くことになった。私はてっきり彼女が大学でも演劇を続けていくのだと思っていた。私は同じ学部になることを喜び、今後もっと2人でいる時間が増えることを願った。
しかし現実はそうはいかなかった。彼女は演劇をやめ、よく分からないアーチェリーのサークルか何かに入ってしまった。私は酷く幻滅した。
あれだけ才能のある人間が、なぜ演劇を続けないのか?彼女の周りの共通の友人もその疑問を持ってはいたようだが、彼女にやんわりと演劇の再開を促すだけで、それを言われた彼女自身も「演劇やりたいんだけどね〜」などと言ってへらへら笑っていた。彼女は勉強と就職活動に力を入れるつもりだと意気込んでいた。
私は許せなかった。何故彼女は演劇をやめたのか?演劇をやめて、何故就職活動などという気色の悪い、生産性のない個性を殺すような行為に注力しようとするのか?一番私が許せなかったのは「私も演劇やりたいんだけどね〜」という言葉だ。なんて中途半端、なんて彼女らしくもない、あなたが演劇をやりたいならやればいい。やりたくないならやらないと言えばいい。やれない理由があるなら「やりたくてもやれない」と言えばいい、何故それができないんだ、何故それをやってくれないんだ?何もかもが中途半端で気持ち悪い。私は演劇をやってくれと言い続けた。大勢の前で言ってもはぐらかされるだけだったから、1人で呼び出して問い詰めた。これからあなたがまだ演劇をやりたいという意志があるなら言って欲しい、やりたくないならやりたくないと言って欲しいと。曖昧な言葉で私に期待を持たせるのはやめて欲しかった。彼女がやりたいと言い続ければ私はいくらでも彼女に期待したし、やらないと言うのだったら私は彼女への未練をきっぱりと切るつもりだった。唯一の彼女を私の腕の中から逃がして、ただの友人として彼女と付き合うつもりだった。
私が問い詰めたら彼女は泣いた。「あーあ、泣いちゃった」ってやつ、あまりに身に覚えがあって震えた。彼女は私に必ずあなたにどうするか言うから少し待ってと言った。私はその言葉を信じた。しかし5年たった今でも彼女からの言葉は無い。
私は彼女が演劇をやりたい気持ちはあれど、彼女のお母様やご家族がそれを望んでいないということを知っていた。おそらく、彼女が言わないので本当のところはわからないけれど、彼女は演劇を家族のために諦めたんじゃないかと思う。
そうだったとしても、じゃあ何故私にそれを言ってくれなかったのか?結局それは、私が彼女の信用に値する人間だと思われていなかったということなのだろう。すべては私の思い上がりであり、彼女にとって私はただの1ファンでしかなかったのだろう。
彼女が星見純那だったらなあと思う。彼女が星見純那だったら、彼女は私にきっと「あなた今まで何を見てたの?」と言ってくれたはずだ。切腹を迫る私に何度も弓を構えてくれたはずだ。彼女の諦めが私は嫌だった。あなたがイエスかノーか、それだけ言ってくれれば良かったのに。でもすべては私が星見にとっての大場みたいな存在じゃなかったことが原因なのかもしれない。
私は彼女に切腹を迫ったけれど、彼女は刀を前にしても「今は、よ」と言っていた。何故、何故本当のことを私に言ってくれなかったの?正直に話してくれてさえいれば、こんな裏切られるような気持ちにならなかったかもしれない。
こんな風に何故の気持ちは今だって尽きないけれど、狩りのレヴューは私に「私が大場じゃなかったからダメだったんだ」と思わせてくれた。思わせてくれたっていうのも違うけど、少なくとも私はものすごく自己中なことをしていたなっていうのは身に染みて感じた。大場がこれだけ自分勝手なのに、そこまでの距離にすら達せられていなかった私ってどれだけ自分勝手なんだろうね。
最近メギド72の9章2節を読んで、「あなたの知っている私でなければ、あなたは私を私とは認めないのね」という台詞に胸を刺された。結局はそういうことなのだ。彼女は彼女になるために演劇をやめたのかもしれなかった。けれど私は演劇をやる彼女しか彼女と認めていなかった、だからそこで彼女に潔く死んでもらおうとしたのだ。そこに墓ができてしまえば、私はその墓を一生守っていくだけだ。その後の彼女は、もう彼女では無いものとして。けれどそれは彼女にとっては残酷なことだろう。そう思うことすら、既に思い上がりなのかもしれないけれど。
でも私は演劇をやめた彼女に会おうとは思わない。あの彼女を殺したあなたを許さない。あなたは別人だ、私にとっては。私は行方不明者の帰りを待つ未亡人だ。死んでるのか生きてるのかも分からないまま、ただ呆然と墓の前であなたの帰りを待っているのだ。あなたを愛してた。私はあなたに残酷なことをしたと思うけれど、あなたはそれに誠実には応えなかった。あなたを愛してたよ。あなたが星見純那であればよかったのにね。そして私も大場ななであればよかったね。
めちゃくちゃ酔ってる、乱文すみませんでした。
大場、幸せになってな。おまえの精神的な潔癖に何となくシンパシーを感じてしまうよ。ひかりちゃんがおまえの光なんだろうね。イギリスでも頑張ってね。
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