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思考の切れ端 7 「無限の魔法」
自己解釈です。
「どうして美大に行くの?堅実な方がよくない?」
「堅実な職なんてないよ。どうせ東大生でも就職が難しいなら、一芸持ってる美大生の方が有利かもね」
「どーせ創作だけで食ってくのはどれだけのプロでも難しい。大学にはネームと環境がある。」
「確かに趣味でも描ける。ただ『好きな事は趣味で良い』は大人の発想。がんばれない子は好きな事が無い子」
「好きな事に人生の一番大きなウェイトを置くって、普通の事じゃないでしょうか?」
著 山口つばさ氏 『ブルーピリオド』より一部要約
…ねぇ。
まぁ、(あんまり使いたく無いけど)環境が恵まれてれば、それが普通にできるんだろう。かと言って自分が好きな事だけに夢中になれなかったのを、環境だけの所為にするつもりはないけど。
1.好きな事に人生のウェイトを置く、頑張れる
2.自分は既に「大人」だ。それはつまり「魔法を失った」という事、正体を知ったという事。自分が描いている物を客観的に眺め、「自分の中身を外に出す」、その産物が「所詮ただの事実」である事を知った上で、「それが他人に魔法をもたらすならば」と描くのが大人。
3.職に就く、勉強する。見られたいなら見られるような環境を作る。どーせ届かんが、そこに比較は無意味。 1.好きな事を強めに置く、それに単に夢中になる。
余裕がある時、たまーに蛇を出して客観視したり、他人の為に描こうとしてみたりする。
そんな物。 「好きな事」ねぇ。 やりたいことから逃げてる感じある。 というか、どれがやりたいことなのかスッとしない感じ。言い訳してる感じ。
SCPも描いた。検索上位に来る位にはなった。でも足りない。絶妙に手が届いていない位置。 誰かになりたいという事か? 結局何かになるにはやり続けるしか無い。 重く描く、読まれる、必要とされる。それが欲しい?
見てくれる人多さは…関係ない事は分かっていても、多い方がと思ってしまう。 でもあんまりエンタメに忠誠心はないから、人の為とか責任とかを背負わされると重く感じる。
何か、自分を絶対的に突き刺すような魔法があると思ってた。
壊しても壊しても壊れないような、しかもそれは自分の実力不足という訳ではなく、それに一生付き従う価値のあるような物。
けどさ、現実に、事実に為る時点で、底が知れる。 確かに、複雑性の先にあるものは、自分にとっては無限の先に等しい。 けれど有限なのよ。ソレ。 確かにそれは間違った認識だった。無限じゃない。けどそこに僕達は無限の魔法を見た。
それに、手が届かないという意味では間違いなく無限なのだ、と。
「描くというのは、無限に手を伸ばす行為」の事か?結局自分がなれるのは、その為の礎。自分にできるのはせいぜい、届かないと分かってる無限にそれでも手を伸ばす事位。
初めから届かないと分かってるのにか?あまりにもぶっ飛んでるな、その人間。
「単なる事実の組み合わせ」と見えるか、「一つの纏まりとして、自分だけの独自の認識として、唯一の輝きを持った物」として見えるか。
後者の認識で見た物を「魔法がかけられている」と称するのなら、自分がやっていることはつまり「後者の認識で見た物の再現」であって、それは技術という有限の単位の積み重ねによって為っている。
そういう物でしか無い。取り敢えずそう言っておくのが健康上は良さそうである。無限の中に有りもしない虚偽を見て、その虚偽と現実のギャップに鬱にさせられるくらいならば。
と、考えられる辺り、自分はまだ常人なんだろうな。それが良いのか悪いのかは、一個人には判断しかねる。