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居場所の話

別に、特に何か書きたかった訳じゃなく、伝えたい事が形になっている訳でもなく、何となく書き連ねている、さて何と呼ぶか、エッセイでも手記でも何でも良いのだけれど、ジャンル分けするほど大層なものでも無いな。

夢をみる。夢。理屈がごちゃごちゃ。前後がくっつかない。それでも覚えている。何か、それが生きる為の手掛かりだと思って。

何かを書きたい訳じゃない。ただ「書きたいことがあるかも知れない」から書いている。それは曲を作りながら何を伝えたいか考えるようなもので、何というか考えた事を発散する場所があるよ、って証明と、そういう行為をしてても特に書きたい物が思い浮かばない事で、不安が無いという事の証明にしたいのかも知れない。

いや、ある訳じゃないな。ただ不安から逃れる為に書いている。目の前には明確な問題があるのだけれど、それ由来なのか?多分。いつだって何かから逃れたい時に筆は進むもんだし、そういう話は他の人からもよく聞くし。テストが寸前の時に限って創作が進むとかね。

思えば自分の場合、それは数学だったな。学校の宿題がどうしてもやりたくなくて、数学によく逃げて、数学の先生にはそんなピタゴラスの三角形より宿題やれとか言われた。やりたくないんだよなとか思ってた。

今は何から逃げているんだろう。生活、現実。ただ生活する事にハードルがある事。それが他の人と比べてどれだけの障害かは知らんけど。まぁ皆そこそこ辛いのは知ってる。苦しみを比較する事に意味なんてない事も知ってる。だから比べない、見ない。

んでまぁ、そういう障害から目を逸らしている。昔は数学、今は書く事。中身もない癖に書く事。
まぁそうやって逃げる事を責めたりはしない。そういうもんだ。ただ逃げている事を自覚する事、逃げる程に自分の能力が足りていないという事は自覚した方がいいとか思う。それを魔法だ宗教だと言い訳すると、まぁまぁ悲しい事になる。後からどうにでもなるけど。

他には?何かから逃げてたりする?大変だったりする?家に帰りたくないとか思ってる訳で、何だろうねソレ。別に暴力とか明確な不快がある訳でも無い。実家でもそうだし、二人暮らしでもそう。共同生活なら多少の不和はあっても、その不和の正体ぐらいは知りたいね。

何かから逃げるように街中をふらつく。別に大概価値がある訳でもなく、カフェ梯子してサイゼ行って、ごちゃごちゃしてる人とかゲーセンとかのコンテンツを眺めて楽しむ。

電話を気にする、メールを気にする、生活の下手くそさを気にする。結局原因はそれか?原因はそれでも、さて簡単に解決するのかと。

罪悪感かな。帰りたくないのは。
自分が不出来だという事。それは障害のせいでもあるけれど、そのせい?で、誰からも認められている気がしないからと。居場所がそこにさえ無いように思うから、と。
完全に障害のせいという訳でもなく、自分も大概傲慢で間違っていた。

後、少し、閉じている世界に属したくなかったというのはある。今もそうかも知れない。狂うのはいつだって怖い。
最低限、物と心を知る事はしといても良いかも知れない。

書きながら、何を書くのかが明確になっていくタイプか、自分は。きっと「書きたい」と思った時、具体的には全く形になっていなくても、それは何かを自覚したい時だったりするのだろう。

で。不安から逃れるために書いていて、その不安は障害だったり、生活の下手くそさから来る、と。
多分その生活の下手くそさはニヒリズムから来るもんだけど、まぁ、死ねずに場所を取っているのは完全に我儘だし。それは欲よなと。ならばその欲を叶える為に資本主義に従うと。

従わなくても良いけれど、それはそれで結局楽じゃないよなと。

逃げ、属せない罪悪感。居心地の悪さ。
そう。こればかりはどれだけ頑張っても晴れなかった。何をどれだけ頑張っても他人と同じ場所に居られる気がしない、同じ物を共有出来ている気がしない。
多分、ずっとそう。孤独と向き合っていく。いや孤独の方がかなり楽。居心地が悪いから家に帰りたくないのであって。居場所を探すというのは最近強く求めていたけれど、

さて、居場所とは何だろうと。最近は努力の共有とか価値の共有とか考えていた。後はソーシャルキャピタル的な観点もあるけれど。
実益なんて求めていない。何が自分を心地良くさせるのだろうという話。

障害なく働けてる事を考える。衣食住を確保出来ている事を考える。そこは正当に自分が得ている居場所だ。確保出来ている居場所だ。
働く、対価を得る、対価を払い居場所を得る。正当に「居場所」。そして、ただいまと帰る。
悪い事じゃない。

そういう事かもね。ずっと居心地が悪かったのは結局。碌に働けた事なんて一度も無かった。
取り敢えず、その共同体に迷惑をかけなければ良いか。迷惑というか、負担というか。出来る限り分散したり。ある程度背負うという事を考える、と。

逃れていたのは不安や現実で、自分が十分役に立てていない事、それによって居場所に不当に居座っている事。取り敢えず、寄与出来ることを考えるか。後、出来る事をするか。

死にたくないという我儘を通す為に働いて、
居場所を得る事に罪悪感を覚えない為に働いて、(人は本来無価値なのだから、人権など当然では無い。)
それでも死ぬ時は死ぬ、居場所から見限られる時は見限られる。本来個体など無価値なのだから、そんなもん。それでも出来る分はやる、と。

なるほどね。

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