【日記】質感忘れて無機に還る(20211214)
① 過去を置いていくとはどういう事かを考えた。忘れられる事は死だという。自分の価値観の根底にもそれがあって、それを避ける為に作品作りをしてきた。
けれど人は死ぬ。どう足掻いたって死ぬ。それは究極で極端な考えかも知れないけれど、そんな事を言ったら「作品を作る事によって忘れられないようにし、生きながらえる」という事だって、自分の肉体を超えて生きたいという、極端に死を恐れた考えだ。
忘れる事はとても怖い事だと思う。その癖ずっと覚えておく事が出来ないのだから、何処となくやるせない。眠ろうと目を瞑れば、また滑らかに今日の私が死に、明日に私がまた生まれる。意識の新陳代謝とも言うべきかも知れない。
そうやって日々死んでいる事がどことなく身近だから、こうして日記を書いている。
② 最近質問箱に女性らしい質問が集まってくる。恋の駆け引きとか、肌について、LINEのやり取りについてなど。
とても瑞々しく、純粋で甘酸っぱいパイナップルのような青春をしているなと思いながら、自分の青春をそれらと比べてみると、なんだか自分の過去が美味しいスルメのように思えてくる。スルメ。カピカピのスルメ。
けれど勘違いして欲しくないのは、スルメは美味しいという事だ。私は自分の過去に劣等感を抱いたりはしていない。今の所は。それだって今の自分に必要な物だったのだと思っている。
③ 久しぶりにホロライブの戌神ころねさんの動画を見た。面白い。ちょっと前に花畑チャイカさんの『inscription』というゲームのプレイ動画を見てから、何処となくvtuberが私の趣味に戻ってきた。
何に惹かれるのかと考える。私達がvtuberの方を見る時、その視点はあまりにも非現実的だ。そこに偶像を見ているのだろうとは思う。アレだ。遠足前日に頭の中で予定を思い描いている時が一番楽しい奴。
動画として投稿されている「戌神ころねさんのワンシーン」だけでなく、そうでない日常生活の「戌神ころねさん」が現実にいるから、ここ迄二次創作や妄想が伸びるんだろうなと考えた。アニメだと非現実さというか、作り物感が強いような感じがしている。完全に個人的な主観。
④ コロナも随分と落ち着いた物だと思った。東京での死者は20人前後/日くらいに落ち着いており、「そういえばコロナが流行りたての頃もこの位の死者数だったな」と思う。
死者数。人間の死が簡単に数字になる。数字にしなければ仕方ない。質と量の変換。大切な人の命くらいは、数としては扱いたくないと思ったりする。けれどやっぱり数の内の一でしかないのはどんな人間だって同じなのだろう。