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見ていたもの と 見えたもの

 私は現実ではない物を見ていた。私が見ていた物は魔法で、嘘だった。存在しない物だった。

 私が見ていた物を再現する為に、私は学んだ。何でも食った。勉強が嫌いなどと言ってられなかった。自分で自分を洗脳して「勉強が好き」と思い込ませる事で、身体を勉強に向かわせた。
 哲学、建築学、数学、文学、物理学、言語学。雑に食って「これも違う」と捨てて、学問を無礼にも食い荒らした。必要な所だけを、文脈を殆ど無視して切り取った。
 全てを学び切る事なんて出来ないと知っていたから。連なる文脈は過去に永遠に伸びる物だと知っていたから。だから食い荒らさなければ時間が足りなかった。

 全てはかつて見た魔法の為だった。
 魔法。
 しゃなりと鳴る太陽の鈴の音に、海の蒼が染み込んでいた。私はそこにいて、ただ自分とは何かをその時だけは掴み取っていた。私はその時だけ私であったのだ。ただ一つにまとまって、それが壊れる事など疑いようの無い私だったのだ。

 そしてそのような確固たる私は、そこでしか得られなかった。その場所を、情景を、音色を、潮の味を手放した途端、また私はバラバラに戻っていく。
 つまり、何も感じなくなってしまう。命さえただのタンパク質の塊だ。何故あぁも歓喜し身体中が打ち震えると共に、私は私なのだという濃密なゲシュタルトを感じられたのか、それが分からなくなってしまう。また私は乖離してしまう。シミュレーテッドリアリティを患い、そこに人間の神秘が見えなくなってしまう。

 私は私を取り戻さなければならなかった。或いは確かな人の濃密な塊を。それだというのに、魔法は嘘なのだと世界から告げられた。そんな絶対的な物も概念も神も存在しないのだと。

 私はずっと、事実や現実とは違う物を見ていたのだ。どうにも、軽く、孤独らしい。食い荒らした人間に忠誠心など有る筈が無かった。

 そして、魔法は晴れて、現実が見えた。それを真実だと断言するつもりもない。そこまでの傲慢を私は抱けない。ただそこにあって、何かを見ようとしなくなった途端に見えただけのものなのだ。

 私に見えた、そこにあった。そんな魔法の晴れた世界は以前に比べて歩きやすかったが、音も色も温度も、以前ほどの騒がしさを失って、少し寂しかった。

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