【小説】配管ノ森
前書き
今回の小説は藻洲転石(@moss_ymmt413)さんのこちら、『思念構造体・彼我境界(Thinking Structure: the Border within)』という作品、
及び同氏の「小説の表紙とかに使って頂けたら」という一言に触発され、生まれてきた小説になります。
転石さん本人にも小説を読んで頂き、画像加工の許可を得た上で、ヘッダー及び表紙画像として使用させて頂いております。
作品を生み出し、また画像使用の許可をして下さった転石さん、及び今このnoteを読んでくださっている読者の皆さんへの感謝を記し、簡素ながら此処に前書きとさせて頂きます。
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『トト。』そのような名前を付けられた私の亡骸が、森に張り巡らされた配管の一部となるまで、残り6年を切った頃。
従順な日常から苦痛が抜け落ち、14年ほど生きた私の視界には既に目新しいものは映らなくなっていた。
寿命が20年と決まっている私達の一族は、宇宙に浮かぶとある小さな星に暮らしている。私達の種族はこの星に根付く『配管の森』と呼ばれる森と一心同体であり、生まれた時こそ命が与えられるものの、段々と自らの意思を奪われ、やがて物言わぬ配管となって、森のインフラとして役に立つことになる。それこそ我々の誉なのだと語り継がれてきた。
寿命が残り6年を切ると、そのようにして身の回りの友人が生を完遂することが多く、彼らの葬式に出席するたびに、彼らの身体が銀色に朽ち果て、パラパラと足元の配管に飲まれていくのを、私は味のしない感情と共に眺めていた。
『私もいつか配管になるのか。』
幼いころからその事実が、つかみどころのない霧のようにぼんやりと目の前に在って、けれどもその霧がどういうものなのか知ろうとせずに14年ほどを生きてきた。
今日は友人のササが配管になった。
今日は隣人のキキが配管になった。
今日は配達員のララが配管になった。
今日は優しいシシが配管になった。
そして今日は、父のケケが配管に、な、った。
父が配管になった日、私は気づけば味のしない感情を強く噛みしめていた。
父の死は当然だった。私たちの種族は20年しか生きられないのだ。それが運命であり、決められたものであり、誰一人として逆らえない。なら親が私より早く死ぬのは当然で、いくら泣こうが喚こうがその事実は変わるはずがない。
それなのに、その日の夜は涙が止まらなかった。
夢を見た。配管の中を水と共に駆ける父の魂が、川を流れる石のようにどんどんと削られ消えていく。それがとてつもなく怖く、悲しく、手を伸ばして父だったものをかき集めても、元の父には戻らず、ただ銀砂が手から滑り落ちてゆく。
死ぬ、とはこういうことなのか。喪失感が感情に、黒く重い味を与えた。
夢から目を覚ました私は、口に広がる苦い味を持て余しながら、全身にかいた脂汗を洗い落とすためにシャワーを浴びる事にした。
バスルームに入り、蛇口を回すと、シャア、とシャワーから水が流れ落ちる音が妙に日常から際立って聞こえる。
シャワーの水が私の身体を伝って足元に流れ落ちている。その何気ない景色が不思議と違和感を持っていて、『この水はどこに行くんだろう。』何故かそれがとても気になった。
当然水は上から下に落ちる。水が流れるままに足元を見る。排水溝がある。私の一部だった汗が、排水溝に渦を巻いて、どこまでも深く深く、消えていく。
水が渦を巻いている。排水溝がある。私は排水溝の更に奥まで意識を巡らせる。
配管が、つながっているのだ。
排水溝から、父の手が、伸びてきた。
私は柄にもなくヒッ、と声を上げ、体中に泡をまとわせたままバスルームから一目散に逃げ出した。あれは何だったのか。心臓の鼓動が止めらない。縮まるはずのない寿命が縮まったような気がした。
恐る恐るバスルームの扉を開け、もう一度中をのぞく。排水溝から手など伸びていない。排水溝の蓋を開け、中を覗く。普段から掃除しているのでキレイではあったが、そのキレイさが逆に不快だった。『汚ければあの手がいてもおかしくない』と思えたのに、これではあの亡霊の理由を説明できなかった。
急いで髪を乾かした私は、不安に急かされるようにバスルームを掃除し、外へつながる窓を全開にして換気を十分終えたのち、バスルームに鍵をかけた。臭くない筈のものにふたをしたのだ。
これで出来ることはしたはず、とリビングルームに戻ってベットに横になるが、どうしても落ち着かない。あの手の亡霊が私に何かをしろと、頭の中をせっついてくる。私は頭の中に住み着く亡霊を振り払うため、ふと自分の寿命を数えてみた。そしてそれが何度数えても2000日しかない事を知った時、私は寿命を数えたことを後悔した。
後2000日で、私はあの亡霊になる。配管に飲み込まれ、銀色の牢獄に囚われ、日も当たらない暗い世界で、美しさの奴隷となる。
自分も確かに配管の森は美しいと思っていたし、その一部となり、今後生まれてくる者たちの支えとなれるのは悪くないと思っていた。しかし、同時に「それでいいのか」とも思っていた。本当に配管の森がこの世界で一番美しいものなのか、と。
けれど、今の私を支配していたのはそんな自己犠牲の美しさではなく、死への恐怖心だった。「それでいいのか」ではない。それでは何もよくない。
誰もが皆、目に鈍い銀色の光を灯しながら疑いようのない日々を暮らしている。そこにぼんやりとした霧のような疑問を抱く自分は、その疑問に形を与えることが出来ないまま、『短すぎる寿命の中で、いつか何かしたい。』そう思っていたが、気づけば自分の寿命は2000日しかない。
2000日、2000日。2000日しかない。まずい。まずい。何かしなければ。何が出来る?何がしたい?今までの自分は何がしたくて、どういう人間だったのか?それを考えるだけで1日を消費した。
刻一刻と時間がすり減っていく。焦りはしても突然決断力が降って降りてくるはずもなく、気づけば10日が過ぎていた。
「トト。何やってるんだい。ぼーっとして。」
兄のロロが怪訝な顔をして私に話しかけてきた。
「いや、別に」
私が悩みの内容を悟られないようにそっけなく答えると、ロロは得意な顔をして私に顔を近づけてくる。
「何に焦ってるのか分からないけどさ、どうせ何考えたところでどうにもならないんだし、たかだか20年しかない命なんだから、もっと享楽的に生きようよ」
ロロのその言葉がどうしようもなく私の嫌悪感を逆なでした。もう十分享楽的に生きた。私は死が怖い。決められた死が怖い。生きていないのも怖い。何が怖くてどうすればいいのか分からない私が愚かで馬鹿らしい。結局何が怖い?ぐちゃぐちゃだ。馬鹿だからか?ああ、嫌悪感も混ぜるんじゃない。
混乱した私の感情は渦を巻き、排水溝に飲み込まれていく。そして、また、あの亡霊が記憶の淵から手を伸ばす。
私は御しきれない感情の勢いのまま、その場を出ていった。
しかし、出ていったところで何も変わらなかった。
森の住民にはことごとく「何を悩んでいるのか」と聞かれ、それを何とかはぐらかすと、隣に住むビビには「ただ生きればいいんだよ」と言われ、西のはずれに住むテテには「そんなに考えこんだら頭が割れちゃうよ」と言われ、東の湖に住むミミには「もっと気楽に生きればいいのに」と言われた。
誰も、誰も、この世界に疑問を持っていない。現状に。何より、森の住民の誰もが目の中に灯す、変化することのない鈍い銀色の光が私は余りにも嫌いだった。私には彼らが何を見ているのか、分からなかった。
逃げ出したかった。もう逃げたい。この世界から、あの亡霊から。高々2000日で一族が見ているものをまるまる理解するなどできそうになかったから、逃げるしかできない。
「どこでもいいから逃げてしまいたい」という感情、
「本当に配管の森が一番美しいのか」という疑念、
「何かしたい」という生への執着。
その三つの欲望が私の中で具体的なイメージを形作り始めた。
「ロケットを作ろう。」
そしてこの星から出ていくのだ。当時の私にはそれが今世紀最高の名案に思えた。
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幸運なことに、ロケットの材料となる鉄は足元に豊富にあった。新陳代謝を起こした配管は森の表面にその角質を分離させる。つまり森には大量の「古い角質」である鉄が浮き出ており、耐久性にも問題はない。
私はすぐさまロケット製作に取り組んだ。
ロケット製作に取り掛かって1か月程度たったある日、族長に呼び出された。
何となくどんな内容で呼び出されたのかを悟りながら、おずおずと族長の前に正座をすると、族長はこちらを振り返り開口一番、「何を奇妙なことを考えているのか」と言った。
やはり、と改めて覚悟を決めながら私は族長と対話をする。
「逃げる為のロケットを作るのです」
「大事な配管を使って何をするのかと思えば。」
嘆息を漏らした族長は「良いか、トトよ」と、配管の重要性を説き始めた。それはこれまで散々聞いてきた内容とほとんど同じものだったが、今の自分にはグロテスクな神話にしか聞こえなかった。
「それに見よ、この星全体に張り巡らされた配管の森の美しさを。動脈の如く根の如く、広く遍く張り巡らされ、森の命を担うと同時に森そのものでもある配管の美しさを。
何世代にもわたり私達が一部となり錆びて死んでいく、その新陳代謝が我々を支えてくれるこの森に、恩も返さず何をするのか。ましてやこのような素晴らしい世界から逃げるなどと。」
紅潮した族長がほんの少し声を上ずらせている。それを私はある程度冷めた目でしか見られなかった。少し気持ち悪いな、とも思った。
まだ、多少共感できるところはあった。確かに配管の森は美しい。支えとなれるのは誉ではある。だが、宇宙の外にはもっと美しいものがある。もっと種族存続のために役立てるものがある。
「違うのです、族長。」
居心地の悪さを胸の中に押し込め、私は族長を説得するよう語った。
「我々はあまりに物を知らなすぎる。本当に配管の森がこの世で最も美しいものなのでしょうか。本当に私たちの至上の幸せは、配管の森の一部となることだけなのでしょうか。宇宙にはもっと美しいものがあるのではないでしょうか。その可能性をこの目で見ずして死ぬのは、私にとって、とても残酷なことなのです。」
その気持ちは嘘ではなかったけれど、ほとんどが出まかせだった。私はただ、あの死が回避できればそれで十分と思っていた。森への疑念の解消はついで、みたいなところがあった。
それでも出来るだけ民意を得られるように、「皆のために」となる理由をでっち上げた。族の長であるならそっちの方が納得しやすいだろう。
私はただ、逃げたかったのだ。死の運命、配管となり物言わぬ歯車となる運命から。加えてその事実を当然とする一族も気持ちが悪いから、その一族の縛りからも抜け出したかった。
私は配管の森の美しさを認めながら、同族の思考を奪う配管の森を嫌っていた。思考を奪われた貴方達とは違う、従順なまま流れ落ちるように生きて、残酷さにも何も感じなくなるような、そんな惨めな死に方はしたくないと。そう、言いたかった。
族長はただ数秒うなった後、
「ならば、後悔するぞ」
そう言って私に背中を向けた。
「失礼します。」
私はそう言って族長に背中を向け、その場を去った。対話はすれ違いに終わった。
ーーー
気づけば3年が過ぎていた。
「後悔するぞ」という族長の言葉とは裏腹に、ロケット開発はスムーズに行われた。
「スムーズに」とは言っても、変人扱いされ、森の奥底、不浄の土地と呼ばれる北の端に追いやられ、ロケット製作所をそこに移すことになったり、友人や家内の死に際の葬式に出ることを許されなかったため、後にひっそりとお見舞いをするしかできなかった、という事はあった。
それも十分辛かったが、本格的にロケット開発を阻止するような妨害は全くされなかった。
私は不思議な肩透かしを食らいながら、トンカチを振り、設計図を作り、仮組しては失敗し、それを何度も何度も繰り返した。
ただロケット製作に埋没する日常の中で、私の思考はうねる様に変わっていった。特に「配管の森の美しさ」について。
『自分も確かに配管の森は美しいと思っていたし、その一部となり、今後生まれてくる者たちの支えとなれるのは悪くない』
こんなことを思っていた3年前の自分が噓のようになった。『こんな何も変わろうとしない種族の、支えになるのが、悪くない?』
まったく理解できなかった。3年前の自分は配管の森にどんな美しさを見ていたのか分からなくなっていた。配管の森への狂信と権力的な存在感だけが嫌味たらしく目につくようになった。
その癖に3年前の自分が見た『排水溝の亡霊』のことはいまだにはっきりと思い出せるのだからタチが悪い。
それが例え醜い変化だとしても、かつて感じていた美しさを捨てさり、過去の自分を裏切る行為だとしても、やらなければならない。やり切らなければならない。命はとおに1000日を切っている。引き返すには遅すぎる。
だから戦った。死なないよう、忘れないよう、自分が自分であることを保てるよう、周りと同じ配管となる死を迎えてしまわないよう。私が鈍い銀色の仄暗いどぶの匂いのする希望を抱いたまま死なないように。
そうして宇宙船が完成したのは、寿命を迎える4日前のことだった。
私は歓喜のまま、排斥されていることも忘れ、森の住民にロケットの完成を伝えた。けれど誰一人として喜んだ顔をしない。ある程度の理解があった友人や兄でさえ、既に寿命を迎えてしまっていたのだ。
「乗ろうよ、一緒に行こう」と言っても、「危ないよ」、どれだけ安全性を訴えても「やめておく。」それだけ。
おまけに族長に呼ばれ、『同胞の命をなんだと思っているのだ』、と完成した今になって怒られた。族長でさえロケット製作をやり切るとは思っていなかったのだろう。
私はそれに対して何も言わなかったが、内心族長の矛盾に腹を立てていた。
「物言わぬ配管となって役に立つのだ」って言って命を物と看做していたのは何処の誰だよ。その癖今更その物言わぬ配管の事を、お前は「命」と呼ぶのか。
言動が矛盾している族長とは、もうまともに取り合おうとは思えなかった。
結局誰一人としてついてくる人はいない。私はただ一人、友人の亡骸で出来たロケットを使って、この星から脱出した。
ロケットの眼下には冷たい銀色でできた配管の森が、生き物のフリをして息づいている。空を見上げてロケットを眺める人々が小さなネズミのように群がっている。
私はそこで、周りの人々が目の中に灯していた鈍い銀色の光の正体に気が付いた。彼らが何を見ているのかを理解した。
それは「時の止まった希望」だったのだ。頭のおかしい『奇』望を見ていたのだ。20年というあまりに短い命。意味を見出すこともできない命の中で、何のために生きるのか。その疑問の受け皿となるのが「配管の森」だったのだ。
配管の森は、私たちの種族にとって、生きる『奇』望であり、偽の答えであり、宗教であり、仄暗い安心であったのだ。
途端に眼下で私のロケットをただ茫然と見上げる人々が哀れに思えた。私はこれから、新しい信仰になるのだろうか。配管の森が神様だったこれまでと、私のロケットが神様となるこれから。変わらず偽の『奇』望を与える事になるのだろうか。
結局、信仰の対象が変わるだけなのだから、ロケットが完成しようがしまいがどちらでもよかったのだろう。妨害が入らないのも納得だった。
私は神になりたかったのか?違う。そんな物にはなりたくない。ただこの世界から出たかっただけなのに。亡霊から逃げたかっただけで、あの死の運命が怖くて、その先のことなどどうでもよかった。
けれど私は「同族の思考を奪う」配管の森を嫌って、ただ一人逃げ出し、結果自分が「同族の思考を奪う」存在となるのか?その可能性が酷く自己嫌悪を誘った。
その嫌悪を思考から洗い流すように、私は配管の森から持ち出した水を喉の奥に流し込む。
喉の奥に自己嫌悪が渦を巻いて、深く深く消えていった。
宇宙の中、ただ行き場を失った命が脈を打っている。私は行き先も分からず飛び立ってしまった。後戻りはできない。一応進行方向は決められるが、後4日の寿命ではきっと何処にも辿り着かない。このまま宇宙のチリとなるのが関の山だ。
何処に行こうか。何処にも行けないだろう。仄暗い絶望の中、ロケットのガラスに映る私の目が真黒の光を宿しているのを見た。
ずっと深く、暗く、あの時見た亡霊のような黒。真黒の記憶は私をここまで突き動かし、やがて私を異質な真黒に染め上げた。
私は眼下の同族とは違う。鈍い銀色の光は私の目の中には存在しない。もう、それだけでいい。そう自分に言い聞かせるしかできなかった。決して幸せではなかったけれど、そうだ。何かはしたのだ。
あの銀色の淀んだ『奇』望の光を、あの母星に置き去りにすることはできたのだ。逃げだ。逃げたかった。逃げてどうしたかったのか。きっとどうしようもない。けれど「何かはした。」とは言える。そうとしか言えなかった。
膨大に膨れ上がる希望と後悔がロケットを母星から遠ざけていく。そうして銀色の亡骸でできた棺桶と真黒の記憶は何も語らず、ただ静かに母星を離れた。