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ストーリィドロップス#1 『染み入る木陰』

 私が住んでいる場所の近くには公園があって、その公園の中心に大きな樹が生えている。
 彼はいわば公園の主。彼は大きく葉っぱを広げて、「此処は私のものだぞー」って毎日飽きる事なくアピールしているので、偶に私が彼の話を聞きに行ってあげている。

 だって樹の根本の草達はまるで聞く耳を持たず、風に靡いてサワサワしてるだけだし、鳥だって放浪人の名に恥じない適当ぶりで、まるで誰にも相手にされないのは寂しいかなって思うから。

 日曜日の昼下がりにその樹の根本まで行って、体育座りになって、その樹を背もたれにしながら目を瞑り、ウトウトする。
 すると段々、彼と私の境界が分からなくなって来る。私という自我を持った氷が木漏れ日に段々と解かされて、水になって彼に染み入っていく。

 そうやって、私が彼に染み入りながら、今、私は彼と会話をしている。

 木漏れ日の暖かさ、鳥の鳴き声、近くで遊ぶ子供の無邪気さと。それらが全てないまぜになって、私だった水の中で何回も反芻して、共鳴して、混ざり合いながら、彼の中に流れ込んでいく。溶け込んで、彼の中にそれらを運ぶ。

 つまり、私の認識を彼に伝える。普通の人間を相手にする会話と何も変わらない事。

 すると彼は彼が話したい事を返してくれる。
 彼が見た事、見た世界、感じた事を、彼なりに伝えてくれる。大体は雑談だけど。
 地面から吸う水が甘くなった、とか、足が動くってどんな気分なんだろうね、とか、陽が当たる時間は今年は長いね、とか。

 それだけでお互い楽しかったから、それで良かった。

 私は私の足が動くから、沢山の事を広く伝える。彼はずっと留まっていられるから、一つのことを深く伝えてくれる。

 お互いに気付けなかった事がそこにあって、ありがたいなぁ、というか、それとはちょっと違う。彼と私はそんな互恵的な関係って訳じゃなくて…ただの雑談相手ってだけなんだと思う。

 そんな、なんとも言えない間柄の私達。

 そういえばこの間の会話で「コーラってどんな味?」って彼が聞いてきた。
 「コーラ?コーラって、炭酸水の事?甘くて黒い奴。」
 どこからそんな物知ったんだ、と少し驚いた。

 「多分、それ。昨日、僕の周りで子供が休憩した時に、その子が美味しそうに飲んでいたんだよ。それでその飲み物って何かなぁって草達に聞いてみたら、コーラって言うんだよって。」

  「コーラはねぇ、美味しいよ。不健康レベルが上がるけど、飲みたい?」
 「うん、飲みたい。良いの?」
 少し葉っぱのさざめきが強くなった。嬉しいみたいだった。
 「別に良いよ。そう高い物でもないし。」

 『善は疾く行え。』

 私の中に何処か誰かからの引用が浮かんできて、早速彼にコーラをあげよとせっついてきたので、その通りにする事にした。

 私は目を覚まし、少しぼうっとする頭で近所の徒歩5分程度のコンビニへ向かい、小さめの100円コーラを買う。ついでに自分用のサイダーも買ってくる。

 店員のやる気のない挨拶に、内心「センキュー」と軽く返しながら、用の済んだコンビニを背にする。
 コンビニの中の最適化された気温から解放され、5月中旬の特有の匂いに包まれると、ふと、しょうもない疑問が浮かぶ。

樹にコーラを飲ませるのは、善なのか?

 不健康への道を歩ませるだけでは?
 というかそもそも、樹がコーラを飲むのは不健康なのか?

 『善は疾く行え。』?私は私がする事を善だなんて言い切れるほど、耄碌とはしてない。
 私が善だと思っても、誰か何かにとっては悪。絶対的な善なんて存在しないのよ、私。
 それにごちゃごちゃ考えながら飲む物は、そこまで美味しくならない事を、私は過去に学んだでしょ?

 ただ、善かどうかは知らないけど、約束は守らないとね。彼にコーラを飲ませるっていう。

 彼の根本に戻ってくる。相変わらず葉っぱの緑を無邪気に煌めかせている。「ちょっと待っててね」とレジ袋からコーラを取り出すと、ざわめきがまた強くなった。

 「カシャ」とお馴染みの開栓音、それに追従する「しゅわわわ」という発砲音。

 いつもと違うのはそれを地面に垂れ流す事。小さなペットボトルを逆さにして、彼の足元の地面に注ぐ。
 シュワ、と強めの音がしながら、地面に当たったコーラは彼の足元に吸われていく。

 やがて、彼はさらにざわめきを強くして、木漏れ日の移ろいを美しくした。葉擦れの音には細やかな弦を弾くような音が混ざり始め、木漏れ日はガラスを通したように澄んだ色を強めた。
 よっぽど美味しかったんでしょうね。

 その後私はサイダーを片手に、彼に寄り掛かってウトウトする。

 「どう?コーラは。」「美味しかった。とても。」「そう、なら良かった。」

 そう返して私は、手元のサイダーに口をつけた。透明に泡立つ甘さが、スッと私の中に染み入っていく。
 いつもより、とても、甘く澄んで美味しかった。


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