思考の切れ端 「描きたい物」
これら二つの絵。比較してみる。
下の絵には幾らか具体的な要素が含まれている。女の子、いるか、植物?それらをモノクロの海の表現である黒茨が取り囲んでいる。夢に落ちる少女のファンタジーな妄想、或いは幻覚を、無意識の海であるモノクロのの海と共に描いた物になる。
尚、黒茨と言い表しては居るが植物の茨は全く意識しておらず、自分が描く物がたまたま茨のようにうねっている事からこの名前がつけられただけである。
上の絵にはそういった具体的な縁取りがどこにもなく、抽象的な黒茨のみがひしめき合っている。故に見る人にゾワゾワっとした感覚を覚えさせる物と思われる。蟲が集まってる時みたいな。
それもまた「命」の表現の一つであると考える。ただの線に気持ち悪さを覚えるのは、ただの線から有機的な感覚へと認識の変換が行われた証拠であるという理由からだ。
描いてて思った事
それで、結局自分が描きたいのはどっちなの?という事。どっちとは?つまり「黒茨」を使った抽象画か、女の子か。
自分は昔から黒茨を使った絵が好きで、黒茨は自分の抽象画には黒茨が必ずと言って良いほど出て来るし、今後も自分が描く抽象画には(余程テーマをガッチリ決めて描かない限りは)出て来るだろう。
一方で自分はフツーにイラストの女の子が好きだ。現実の女性は女性として見る前に一人の人間として見てしまうので、「カワイイ‼︎」と、道具やペットを見るような目線を持てない…まぁ極端な感覚である事は自覚しているが。
ソシャゲも割とがっつりやる、課金もした事が有る。割と重めのを。それ位には好きだった。
そこから得た絵師情報(公開されている名前や絵柄のヒント)から絵師を手繰り寄せてTwitterでフォローしてたりする。
不思議なことに、女の子には力がある。大人になれば変質するような、青春時代に最大限を迎えるような「女の子」という力。カワイイ成分1000mg配合の、非常に強い劇物、麻薬、幻覚剤。
Twitterの海に蔓延るのは女の子のイラスト、カワイイペットの動画、TikTokやインスタ映えはカワイイJKの主戦場。流行はカワイイ文化やJKに支配されている…
まぁ、流行とはそんなもんか。大人になってまで不必要に流行を追うのは大人気ないか?個人の趣味だ、好きにすると良い。
自分もそんなかわいさ中毒に当てられた訳だ。故にその毒、或いは薬の強さを知っているし、魅力も知っている。
けど黒茨もかなり面白いなと思う。この茨の集合体を命にまで仕上げてみたいという気分になったりする。
じゃあどっちも含めりゃ良いんじゃね?夢見た命みたいに。
結果
女の子がいる。黒茨が有る。その二つが共存出来るような絵。
女の子は生き物、有機物で、黒茨はただの記号、線。書き込む事で黒茨に命を吹き込みたい。無機から有機を生み出したい。夢見た命ではちょっと不足。
ならば有機の女の子は無機に還元されかける事でバランスが取れる?あまり上手く描かないというのも一つの手ではある。完全な有機にし切らず、その分だけ黒茨の方に命を吹き込むことで、命の境界の曖昧さを表す。
例えば、女の子の影を黒茨にすれば、女の子の生々しい悩みや渦巻く思考を表現出来そうだ。
まぁ、面白そうでは有るけれど。
まずは生きなければならないんでね。仕事しなきゃならん。それが叶えられる時間が取れるかというと、微妙な所だね。
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