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天下一の煮込み、黄金色の鶏スープ 大森蔦八
休日、暇だったので、東京へ行くことにした。あまり、東京の南のほうについて知らないので、品川のほうにでも行ってみるかと電車でふらふらと、大森に流れた。
街中を歩いていると、店構え、提灯、看板、どれをとっても名店である可能性が極めて高そうな店が突如目の前に現れた。蔦八という居酒屋らしい。天下一煮込などと書かれているではないか。
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店は、15時オープンだったらしく、なんと時刻は、15時2分だった。これは、まさに天命であるように思われた。僕は、昼ご飯をさっとしか食べていなかったこともあって、小腹がすいており、吸い込まれるように店に入った。
くつくつと液面が揺れる、堂々たる煮込み鍋が中央を陣取っており、カウンターがそれを取り囲むようにしてコの字になってた。店員の女性が二人おり、指揮者のように勇ましい様で、客から飛ぶオーダーを取り仕切っていた。壁中にメニューが貼られていた。
さすが、15時から待機していた者たちである。みな常連であるらしく、自らの定型的オーダーを速やかに唱えると、椅子で皆沈思黙考していた。つかの間の、奇妙な静寂があった。僕も、ビールに、天下一なる煮込みを注文した。
左隣の男性は、キープしている焼酎を最短の手つきで開け、トクトクトクとグラスに注ぎ、こぽこぽと飲んでいた。
僕は、瓶ビールを傾けグラスに注いだ。一口飲んだ。炭酸がはじけた。
僕は、特等席にいた。目の前が鍋だったのである。店員の方が弱火でことことと揺れる鍋から、ホルモンの各部位、豆腐、卵を、取り分けてくれた。
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天下一が目の前にいる。ホルモンをつまんで食べたビビビと来た。うまみにパンチがあり、ほどけるような柔らかさで、少し濃い目の甘辛煮汁は適切に酒を呼び、それは、もう、1%の加減もずれていない精密さを感じさせるような完璧な煮込みだったのだ。僕は心で、うっまと叫び、ぱくぱくとホルモンを口に放り込んだ。
豆腐はぷるぷるで、しかし、煮崩れることなく、凛々しい様を保っていた。たまごは少し固めで、酒と合わせるにちょうどよい食感であった。
口に残る、塩気、甘味、油気を、ビールで流す。そして煮込みがまた口内をこれでもかと満たしていくのである。
僕は煮込みを無心で食べた。
右に座る人は、外国の方のようだった。一人で来て、カウンターで黙々と飲んでいた。異国でこれほどまでに堂々たる姿を崩さずいれるのは、無類の酒飲みだろう。
左に座る男性は、速やかに飲食を終え、最後に鶏スープをすすっていた。その匂いがこちらまで香ってきた。僕は、わ、こいつ真似してきたなと思われることも恐れず、鶏スープを注文した。
スープには、鶏油がたっぷりと浮いており、スープ部にたどり着くことがなかなかできないほどであった。息を吹きかけ、覚めるのを待つ。箸で少し攪拌して、さっと飲んだ。鶏の香りがばっと来て、ショウガが追いかけてきた。散らばる胡麻も適量が良い仕事をしていた。
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黄金色の液体を飲み終え、店を出た。名居酒屋に必要な秩序とリズムの両方があった。