天才・萩尾望都の恐ろしさを思い知らされる『一度きりの大泉の話』 論座 #5
論座へのコメント投稿 第5弾として、萩尾望都さんの『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)に関する記事を取り上げる。
天才・萩尾望都の恐ろしさを思い知らされる『一度きりの大泉の話』
青木るえか エッセイスト 2021年06月15日
この記事には、前稿があるのでまずそちらから要約する。
要約
萩尾望都と竹宮惠子。この二人は、マンガ家になりたての頃、練馬区大泉のアパートで同居していた。でこのアパートが「大泉サロン」とか言われて(それが『一度きりの大泉の話』のタイトルの由来にもなっている)。
つまり、萩尾さんは竹宮さんと同居して、同じ本や映画や写真集や、お互いのアイデアやキャラクターを描きとめたスケッチブックを見ている仲で、それぞれが自分の描きたいマンガを描いて発表していた。同じようなものを見たり読んだりしているのでどうしても似たようなモチーフのマンガができる。それである日、竹宮さんから(いくつかのやりとりがあった末に)手紙で言われる。
「マンション(当時はもう別居していた、竹宮さんの家)に来られては困る」
本棚の本は読まないでほしい、スケッチブックを見てほしくない、これからは距離を置こう、つまりもう“私のものを見て盗らないで”と言ってきた、と。
このことをきっかけに、萩尾さんは体調を崩し、自分を守るために「竹宮惠子」に関するものいっさいから距離をとり、竹宮さんのマンガもいっさい見ていない、という話なのだった。
で、この本は「そのこと」を世間に知らしめるために書かれた本では「ない」。「私は今後一切、竹宮惠子および大泉時代の話はしません」
眼目はそっち。ほんとにそのためだけの本なのである。
「これはとんでもない本だ…」と思い、次には恐怖が襲ってきた。(つづく)
つづきの要約
「私に竹宮惠子さんのことを訊かれても言いたくありません、そのことをわかってください、わかってもらうためにはしょうがないから1回だけ、その理由を書きます、ということで、もう一切何も言いませんよ。いいですね」
竹宮さんの自伝『少年の名はジルベール』(小学館)が出てから「“伝説の”大泉サロン」についてドラマ化したいとかドキュメンタリー番組にしたいとか、いろんな企画がワッと持ち上がり、萩尾さんのところにもそういうオファーやらインタビュー申し込みやらが来た。断っても断ってもいつまでもそれが続くのですっかり疲れ果てて「皆さん、これ読んでください、これ読めば私が、竹宮さんにまつわることに口を閉ざす理由もわかるでしょう」と知ってもらうために書いたのである。
|萩尾望都のものすごい破壊力
「私は「ごめんね。やっぱり、男の子同士のなにがいいのか、わからない」と言って謝りました」(p.58)
こう書いてしまう人が、『トーマの心臓』や『ポーの一族』を描くわけですよ。
そりゃ竹宮惠子としては、「私のものを見て盗まないで」という気持ちにもなるだろう。いや、そんなこと以上に、萩尾望都がそばにいるだけで自分が壊れてしまう、ぐらいの気持ちになったかもしれない。
そんな竹宮さんも、何十年もの時間をかけて気持ちを昇華させた、それが『少年の名はジルベール』だったのだろう。
しかし、そうはいかなかったのが萩尾望都の側であった。
|私たちは放り出されて、さまよって……
本書から、もう少し天才の発言を拾う。
「男の子って、男の子が可愛いって、本当に思うのかなあ?
だいたい身近に可愛い男なんていませんものねえ」( p . 5 8 )
「私はいつも、次の仕事をくださいと頼み込んでいた。だってアンケートが取れない巻末作家だもの。すみません」(p. 2 6 0 )……(声も出ない)
この本には、こういう、萩尾望都の自己評価の低い描写があとからあとから出てくる。すべて本当である。「心にもないセリフ鑑定士」の資格を持つ私が言うのだから間違いない。
何が恐ろしいって、「すべてが荻尾さんの本心」であることが恐ろしいのだ。
天才は、一般人の考えなんか軽く跳ね飛ばして進んでいくのだ。
私たちは放り出されて、さまよって、負けるしかない。
投稿コメント 投稿名はU.S.S.ヴォイジャー
U.S.S.ヴォイジャー ID: 2a9f55 2021.6.16 14:58
一男性からすると、あまり興味のある分野(少女漫画、心理劇)ではなかったので、接点は少ない。
昔から話題になっていたことは知っていて、いくつかの作品は間接的になじみがあったと思う。あれは良かった。菅野美穂主演のTVドラマ「イグアナの娘」。カラパゴス諸島 測量船ビーグル号と連想して。私の原点は、「宇宙船ビーグル号の冒険」だったな。
萩尾さんの作品は、盗作ではないと信じます。