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私が聴きたいのは……。

2023年12月25日、東京都渋谷区
今日からリハビリテーション病院に転院した。
くも膜下出血から7週間たって、歩くことはできるようになり、足を引きずってしまうが体はだいぶ動けるようになった。

ただ、言葉が見つからない。
自分の名前さえ言えないんだ。

言語訓練で「目」の絵カードを見た。何かはわかっているのに言葉がでない。「卵」の絵カードを見た。どうしても言葉になって出てこない。これは何と言ったっけ……。絵カードの裏を見ると文字が書いてある。
「あ、そうだ。卵だ!」

理学療法士さんと訓練で外へ行った。
歩きながら私は「血圧」と言いたかったのだが、
私「こうなって、こういうのあるじゃん」
理学療法士「えっと、傘?」
私「いや、そうじゃなくて……。こうなってて、こういうやつで」
理学療法士「……?」
私は「血圧」と言いたかったのだけど……。

歩きながらその理学療法士さんに、
「もう終わっちゃったのかな」
と、つぶやいた。
「そんなことないですよ」
と彼女は言った。

音楽を聞くといいですよ、と言語聴覚士さんが教えてくれた。
たしかに曲は聴くことはできる。
けれど曲名を思い出せない。それを言葉にできない。
常に決まった曲だけを繰り返し聞いていた。

他にも困ったことはたくさんあった。

花粉症の薬をもらおうと思ったが「薬」と言う字が上手く書けない。こう書いて、こう書いて、こう書いて……。何度か書き直して、ようやく形になった。

コンビニに行く。でもお金が読めない。なんとなくで払っている。このくらいかな。もう一桁欲しいのか、みたいな。

12月29日。ウインターカップのバスケットがある。これは見逃せないが、理学療法とかぶってしまう。理学療法士さんに、だめもとで聞いてみる。そしたらテレビを見ながら出来ることに変えてくれた。
テレビを見ながらマッサージを受ける。どっちが勝ってるのか理学療法士さんが聞いてくる。どっちが勝ってるのか? 例えば、54 ー 48 ではどっちが勝っているのかわからない。つまり大小がわからない。
頭の中の数字の順番が、1、3、5、2、4、……になったりする。
何を言ってるのかわからないと思うけど。

時計もうまく読めない。数がうまく捕らえられないのだから、当然か……。

英語はどうだろう。
The darkest hour is just before dawn.

まったく意味がわからない。
ちょっと前に自分で書いたものなのに。

大文字と小文字というのもよくわからない。全部大文字にしてくれたらいいのに……。

とりあえず私は五十音を少しずつ(たまに間違えながら)書いていった。

そして私は大事なこと気づく。
ひらがなの他にもう一つ文字があるらしいぞ。

言語聴覚士さんに聞いてみた。

「そうなんですよ。カタカナと言います」

カタカナ?

「そろそろ、カタカナも混ぜていきましょうか」

ちょっと待てよ……。

「そんなこと聞いてねえよ!!!!」

ひらがなの他にカタカナもやるんですか……。

一つ不思議だったのは、聴くことは不自由しなかった。ただしゃべることが難しい。しゃべろうとすると、まるで金縛りにかかったように何も話せなくなる。

あと人の名前が難しい。名前になると、なんて言う名前だっけ。と、なる。
そして、新しい名前を覚えられない。
ニュースを聞くと名前を飛ばしてしまう。
ニュースの内容はわかるのに名前が入ってこない。
理学療法士さんや言語聴覚士さんなど、お世話になっている人の名前でさえ覚えられない。

今日は何年何月何日か。よくわからない。1月? 2月? 何日かもわからない。何曜日が来るのかよくわからない。月曜日なんて言葉はありました? 火曜日なんて言葉もあったのか。水曜日はなんとなくわかる。木曜日は……?
まあ信じるしかないけど……。

右と左がよくわからない。これは右手? それとも左手?

パソコンを試してみる。
まず全てを忘れているので、全てを思い出さないといけない。
ローマ字入力するためには、例えば「道路」なら「DO-U−RO」と入力するわけだが、「D」の探して探して、ようやく見つけて「D」を打つ。そして「O」を探して探して、ようやく見つけて「O」 を打つ。一文字一文字ぐったりする。さらに右手が不自由なので非常に疲れる。

文章を模写してみる。
「バスケの日本代表」と書いて見よう。
「バ」の「バ」がくる。そして「ス」がくる。そして「ケ」。さらに「の」。一文字一文字書き写さないといけない。これは気が狂いそうになる。

そして助詞が難しい。
例えばこれはだいぶ書けるようになってからのことなんだけど、「現在は」を「現在わ」と書いてしまう。「病院へ」を「病院え」。「漫画を」を「漫画お」と書いてしまう。

「FIBA」が書けない。

バスケの寸評が読みたくて、作業療法士さんに読んでもらったことがある。「読む」のと「聞く」のではだいぶ違う。聞く方が楽だ。でも読むとなると難しい。

とにかく少しでも良くなるように、毎日毎日、文章を模写し続けていた。

病気になってすぐの頃、まだリハビリ病院に転院する前。
理学療法士さんに好きな食べ物を聞かれた。
思いは浮かぶのだが、言葉にできなかった。
言葉が見つからなかった。

そして、しばらくたったころ……。

あれ?

私が好きな食べ物は?

「エビフライ」

あれ? しゃべれてる?

「エビフライ」

しゃべれてる!!

何があったのかはわからない。
とつぜん、急に言葉がしゃべれるようになった。
もちろん難しい言葉はしゃべれないし、「エビフライ」というだけで、助詞も動詞もないけど、言葉がしゃべれるようになった。
理学療法士さん、作業療法士さん、言語聴覚士さんたちはびっくりしたんじゃないかと思う。
私が一番びっくりした。

2024年4月22日、東京都清瀬市
高次脳機能障害(脳卒中などで脳が傷ついた後遺症)の施設に移った。
相変わらず時計はうまく読めないし、お金の計算もうまくいかない。

2024年6月5日、東京都目黒区
7ヶ月ぶりに病院に来た。手術した病院だ。
検査は無事終わったが面会の人がうるさくて、ちょっと静かな場所に行こうとナースステーションのそばにいた。
その時、理学療法士さんが声をかけてきた。
好きな食べ物のことを聞いてきた人だ。
たまたま前を通りかかって私に気づいたらしい。

「エビフライ」
と私はいった。
彼もそれに気がついた。
私が言えなかった言葉だ。
「ようやく言えました」

2024年11月8日、東京都清瀬市
今日もリハビリ訓練。でも何かがちがう。
もしかすると……。

読める……。
時計が読める!

今度はお金。確かにわかる。
お金も数えられた!!

時間はかかるけど、読める。
この日のことは決して忘れないと思う。

2024年12月25日、東京都清瀬市
来年からは地域で暮らすことが今日決まった。
まあ何とかなるさ。

もしかすると、書こうと思っていたバスケットボール男子アメリカ代表の話も書けるようになるかもしれない。もしかしたらね。

最後に個人的な謝辞を書いておく。
言語聴覚士さんには意味があってるかを確認して意味がわからないところは直してもらった。言語聴覚士さんがいなければ成り立たなかっただろう。
理学療法士さん、作業療法士さん、看護師さんにも感謝を伝えたい。

あの日、
「もう終わっちゃったのかな」
と、つぶやいたとき。
「そんなことないですよ」
と彼女は言った。

ふと、ある曲を思い浮かべた。
あれは何という歌だっけ。
私が聴きたいのは……。
その曲は……。

「ジョニー・ナッシュ」

正解だ。


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