「島唄」と「ちむどんどん」
青柳和彦を演じた宮沢氷魚さんの父 宮沢和史さんが沖縄について語ったラジオを「ちむどんどん」放送中に聞いた。
■本土の人間が沖縄を描くことについて
「島唄」のヒットで知られる宮沢さんだが、「やまとの人間がこの曲を発表していいのだろうか」という葛藤が長い間あったという。三線を弾くこと、ロックバンドで琉球音階を使うことが沖縄の人たちに失礼じゃないか、間違ったことをしているのではないか悩んだそう。
それを後押ししてくれたのが喜納昌吉さん。
「沖縄の心をとらえている 魂までコピーできていたらそれは真似と言わない」と応援され、発表することを決意したとのこと。
「ちむどんどん」では、主人公暢子は直接戦争を体験していないし、どんなことが沖縄で起きたのかは大人になって母・優子の口から聞かされるまでほとんど知らずに育つ。
この設定について、沖縄の歴史に対する取り組みが甘いのではないかという批判があった。
しかし、私は「ちむどんどん」制作陣には宮沢さんのような「沖縄について大和の人間がわかったように描き、物語として消費させていいのだろうか」という思いがあったのではないかと想像する。
何も知らずに成長した主人公が、自分の生まれ故郷で何があったか、両親がどんな体験をしたのかを知る。
沖縄のことを何も知らずに暮らしていた視聴者は、暢子たちと同じ気持ちで優子の話を聞く。優子は何故、夜泣いていたのか。賢三は何故毎朝謝っていたのか。今まで見ていたようで見えてなかった景色が見えてくる。
そういう描き方をしたことで、逆に沖縄戦が昔の話、もう済んだ話、自分と切り離した世界にある悲劇には聞こえない。自分と地続きに戦争があるように感じる。すごい仕掛けだと私は思った。
■「島唄」はダブルミーニング
戦争を直接歌ったとしたら、「島唄」はあれほどヒットしただろうか?きっと、本土の人間にとっては居心地が悪く感じることもあり、(意識的にせよ無意識にせよ)反発を招き、大衆に受け入れられるヒット曲にはならなかったように思う。
宮沢さんは、あえてダブルミーニングとして表の意味で一度大衆に馴染ませ浸透させ、あとからその意味を知っていくようにという形をとった。
しかし、発表した当時は厳しい意見も多く「沖縄ブームに乗って沖縄を搾取しようとしているのではないか」とまで言われたそうだ。
そういった誹謗中傷に対して宮沢さんは反論をしたり、島唄に隠れている真意を説明したりしなかった。「意味を言いすぎることは音楽家として野暮」「活動家や執筆者ではなく音楽家だから、音楽で感じてほしいと思った」
■「ちむどんどん」の複層的な表現
同じように、「ちむどんどん」も直接戦争の時代を描かなかったが、随所に戦争の影を感じさせた。
第1週では、賢三と史彦が従軍時代を懺悔の気持ちで振り返る。優子は首里城の話題で顔が曇り、子どもたちが寝た後に涙を流す。
第2週では、賢三の棺を担ぐ道すがら頭上では米軍機と思われる音が響く。(最終回まで見た後、そのシーンを見直してみると、棺を担ぐまもるちゃんは米軍機の音がする方を眺めているように見える)
サトウキビ畑で夫婦で働き、出稼ぎに行っても借金を返せないくらい貧しい暮らしだった賢三夫妻。
「9歳から石垣島に働きに出された そんな奴いっぱいいる」と語る優子の働く工事現場の上長。
なぜ、そこまで貧しい生活を強いられたのか。
村のおばあに夫がいる様子はなく、智の父も亡くなっている。男性が少ない設定は何故なのか。
15週「ウークイの夜」で優子の口から戦争について語られる。遺骨収集を続けている嘉手刈さんから『鉄の暴風』の様子を聞く和彦。
少し調べただけでも、沖縄戦の悲惨さやその後沖縄がどう扱われてきたかを知ることができる。
しかし、恥ずかしながら私は「ちむどんどん」を見るまでその情報を得ようとすらしなかった。
ドラマに導かれ、少しずつ知ることで、余計に本土の人間が知ったように沖縄を語る傲慢さを感じる。私は何も知らない。だからこそ、少しずつ知っていきたいと思う。
「ちむどんどん」を見たことによって、沖縄は私にとって馴染み深い親戚がいるような場所になった。それはドキュメンタリーや新聞、雑誌などの報道では得られない感覚だ。
ドラマにはドラマの役割がある。「活動家や執筆者ではなくドラマだから、ドラマで感じてほしいと思った」のではないかと私は勝手に思っている。
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