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懺悔の夜、或いはただの嘘吐き

真夏の真昼の海を散々眺めた後で見る夜の海の漆黒は、本当にただただ黒く、暗い。波の音は日中のそれと同じはずなのに、全くの別の顔をしてこちらを見返してくる。満月と満点の星空でも広がっていればまだ安心感があるが、この日に限っては台風前ということもあり、雲が多く朧な半月が見え隠れする程度の弱い光だけが、墨汁のようなさざ波をうっすらと照らすのみで、不穏以外の何物も感じられない。私は、過去観た映画「アングスト」のジャケットを思い出し、少しだけ震えた。

ホテルの部屋の大きな窓辺のチェアに腰かける君は、部屋の明かりは最小限に、iPadから好きな音楽をかけて、機嫌がよさそうだ。こんな物騒な顔をした海を目の前に、いい気なものである。「おいでよ」と私がそこに腰かけるのを促してきたので、私はおとなしくそばに向かった。

行間を埋めるために酒でも傾けられればいいのだが、ここ数日毎日のように昼も夜もたらふく飲食しているので、さすが体が追い付かない。私は音楽に悦浸りするふりをした。それ以外にできることがなかったのである。

ソファに座りこんでただ目の前に広がる暗闇を見ているとぼーっとしてきて、自然とあなたのことが頭に浮かんできた。
あなたといたら。あなたがいれば。そう、今ここにあなたはいない。

私は今隣にいる君のことではなく、別のあなたのことを考えている。それに気づいているのかいないのか、気づいていたとしてもそれを表には一生出さないのだろう、君は。なんて不憫で賢く、潔いのだろう。

私と君は、もう十年以上の月日を共に過ごし、互いの存在はもはや空気でありながら、太くしなやかな支柱である。恋人同士のような恥じらいやときめきは、ここではないどこか遥か遠くに置いてきてしまったが、確かに存在する「互いを支えたい・守り合いたい」という使命感を共有する、いわば同志だと思っている。
家族、という表現は自分の中ではしっくりこない。私にとっての家族は、父・母・きょうだいであり、それ以上でもそれ以下でもない。このような感覚は君に会う以前の昔からずっと持ち合わせており、それは私たちが結婚という社会的な関係性を証明する手続きを取っていないからなのだろうか。それとも、単に私が何か大事な情緒が欠落しているからなのだろうか。

私と君は、いつも大事な話をしない。

今日もまた、心の中にいつの日か生まれずっと住み着いている或る考えは、想いは、言葉は、いつものようにグラスの中のアルコールに溶けて消えていく。今夜の場合はやはりこの暗く深い海を目の前に、飲み込まれていく。

あなたは、どう思う?
こんな私の裏側を知った上で、私と繋がり続けているのに、ここにはいないあなた。これからもきっといないあなた。無意味な問いは空を舞い、行き場を失ってただ消えていく。私は一体、何なのだ。

音楽が止まった。夜も更け、もう私は今すぐにでも眠ってしまいたい。さりげなく逃げるようにベッドに向かい、枕に頭を預けて目を閉じた。君は特にいぶかしむこともなく、私の行動をいつものように赦したのだけれど、数分後には私のベッドに入りこんできた。

私は目を閉じる。君も静かに目を閉じる。二人は布団の中で、手を繋ぐ。こうして私たちの大事な何かは、暗い海辺の夜の静寂に紛れて、もう見つかることはなかった。明日の朝には、いつものように「おはよう」と言って、この空虚な日々の階段を、手を繋いで登っていく。その末路が別離なのか、共存なのか、弱い私たちには今はまだ、わからない。

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