成人
5年前の今頃、
私は成人式に参列して
幼い頃の友達と顔を合わせています。
生まれてから20歳までのことを思い返すと、
20歳より先の人生に比べたら
生ぬるくて優しい人生だなと
今、感じます。
20歳になってからたった5年なのに、
「人生こんなにも七転八倒して、
幾度となく休むこと無く
苦しい思いをするのか」
と日々思います。
決して生まれてから20歳までが
何もなかった人生というわけではありません。
すきなことに熱中し、
それに自分の時間全てを費やしました。
費やしすぎて燃え尽きる経験もしました。
友達から嫌われ、いじめられたこともありました。
デブだからと言う理由で、男子からもいじめられました。
親を幾度となく失望させたこともありました。
でも、その経験が苦い薬のように
後を引くイヤな思い出と言うわけでもありません。
振り返るたび、
「そんなこともあったな」
「あの経験があったから、今の自分がいるんだな」
と思えます。
なのに、20歳からこの5年間は、
そういう風に思えない自分がいます。
経験から経過した年数が少ないからかとも思いますが、
それ以外の理由があるからじゃないかと
最近ふつふつと感じます。
生まれてから成人するまで、
ほとんどの人は親の庇護の元生活を送ります。
(もちろん、成人前に親元を離れる人や
あらゆる理由から親元にいられない人がいることも承知しています。)
常に守られている。
たとえどんな選択をしても、
理不尽な思いをしても、
その背後には親という存在がいて、
何かったら手を差し伸べてくれる。
だから選択を誤っても辛い経験をしても、
親がサポートしてくれるから全てが悪い方向に向かない。
結果、全てが悪い思い出では無く、
悪いところも良いところもある思い出になる。
ですが、大人はどうでしょう?
選択に責任はつきもので、
自分の選択は自己責任。
ある程度のサポートはあるかと思いますが、
自分が成したことは全て自分に跳ね返る。
結果、捉え方によっては全てが悪く感じてしまう。
だから大人は苦しい。
でも、だからこそ目まぐるしい成長を遂げる。
子供と大人の経験の違いに対して
優劣をつけるというわけではありません。
子供の頃は、
補助輪付きの人生という自転車に乗り、
辛い経験に対する対処方法を知る。
大人になったら、
補助なしで自転車に乗り、
転んで怪我をして泣きながら
子供の頃に学んだ対処方法を試してみる。
それでもだめで、
また怪我をして対処方法を更新していく。
もちろん大人はきついです。
素っ裸で極寒の地に置き去りにされているんじゃないかと
感じるときもあります。
でもそれができるのは、
子供の頃の自分がいて、
その頃をサポートしてくれた親がいたから。
正直、このことに
成人式のタイミングで気づけていたらなと思う、
成人式の日です。
今回は親について言及しましたが、
早くに親元を離れた方や
事情により親元を離れなればならなかった方にも、
私が述べた「親」のような存在の方がいることを
心から願って。
「親」の存在も経験するスピードも
人によってバラバラですが、
今この瞬間、
あなたの自分の人生が
あなたにとって誇り高いものでありますように。
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