”できる人”
生真面目すぎても、
不真面目すぎても、
アンバランス。
真面目と不真面目の間をとると、
バランスがとれる。
とても理想的だけど、
とても難しいこと。
ですよね。
私自身、どちらかというと生真面目すぎる質。
どちらかというより、かなり生真面目。
おかげさまで、
周りからは”真面目”で”できる人”と言う評価をもらいがち。
決してその評価はイヤではないんです。
”できる人”ではありたいと思っているから。
(”できる人”の定義はここでは触れません。)
でもそれに徹底しすぎると、
自分の内にいる子供が「苦しい!」って叫び始める。
「私、ここまで”できる人”じゃない!」って。
徹底に徹底を重ねると、
自分の”できる”キャパシティを超えて、
”できない”ことをあたかも”できる”かのように
こなしてしまうんです。
本当はできもしないのに。
”できない”けど頑張れば”できる”ことを頑張ってしまうと、
そのうち自分の子供が息を潜め始め、
「勝手にすれば」とそっぽを向いてしまう。
すると、私の”できる人”パワーがぐんぐんと高まって、
ぱっと見、本当に”できる人”になってしまう。
そうすると、そのうちNoの旗揚げタイミングを逃して、
”できる人”システムがバグを起こして、
システム停止。
”できる人”でも”できない人”でもない、
空っぽな息をする生命体に変化します。
これが普通にシステム製品だったら、
かなりのインシデントものですよ笑
でもこれと同様な事象が、
つい最近自分の身に発生しまして。。。
今回「は」周りに迷惑をほぼ掛けずに、
自己修復ができたので良しとしますが、
「ほとんどの場合」は、
自主的に爆発して周りに被害を及ぼす、
超迷惑行為をかまします。
上の文章からも分かるように、
同じ事を幾度も繰り返して生きてきました。
多分同様なことが自分にも身に覚えがある人には、
共感してもらえるんじゃないでしょうか。
自分自身でも分かってるんです。
偽りの”できる人”になる必要はないって。
いい加減にしろよって。
でもね。
なかなか抜けられないんですよ。
ちょっとずつ改善の方向には向かってるんです。
でも、完全に脱することは夢のまた夢というか。
生まれ変わるしかないんじゃないかって思います笑
ただね。
最近思うのは、そんな自分を責めちゃいけないなってことです。
”できる人”であることを望んでいるのは本心だし、
それに価値を感じているのは確か。
それを否定してまで、
自分を変える必要はないんじゃないかなって。
ただ、
度を超えると良くないよって事をしっかり把握すること。
その「度」がどの程度なのかしっかり把握すること。
そして、
”できる人”でもあるけど”できない人”でもあることを、
周りにも知ってもらうこと。
特に最後がすごい重要かなって思います。
人間誰しも完璧じゃないって事を
ある程度の人は理解してるし、
その上で接してくれます。
でもたまに、
オール完璧を求めてくる人がいるじゃないですか。
その人に
「私、”できる”けど”できない”んです」って言っても、
絶対に理解してもらえないし、
オール完璧思考を変えられる訳でもない。
だったらそういう人からはスッと距離をとって、
理解がある人に対して、
”できる”けど、これ以上は”できない”って伝える。
そうすれば、
相手はそれ以上を求めてこないし、
自分もそれ以上を自分自身に求めない。
一人ですべてやる必要なんてなくて、
できないところを少しずつ補っていくために
周りの人がいるんだなって、
この考えに至ったとき感じました。
周りの人からしたら、
自分もその人の補い要員なわけであって。
だから、
人は誰かといることを求めるんだろうなとも思います。
真面目にここまで書いてきましたが、
できることなら、
不真面目にいきたい!笑
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