【#一駅ぶんのおどろき】正直の頭に神宿る
『もっとうまくやってくれたまえ』
『馬鹿正直だなきみは』
『もっと自分に正直になりなさいよ』
数時間前の言葉が脳裏で何度も反芻する。
3件の会話の2件は正直さを咎め立てられているが、1件は違う。
「俺は正直に生きているだけだ!」
天に向かって思わず咆哮した。
天からの返事は無い。
逃げるように会社を飛び出した。
全てが嫌になって、昼間だというのに缶ビールを片手に河川敷を歩いている。
普段は祝い事の席以外では酒を口にしない。
自分に正直にか。
顔はぽうと赤く、足元もおぼつかない。
千鳥足で倒れ込むように地面に寝そべった。
瞳をとじて少年の自分を思い出す。
懐かしいふるさとの山々。
草木の匂いと霞の味。
【正直の頭に神宿る】
少年だった頃に祖父に教わったことわざだ。
少年はこの言葉が好きだった。覚える為に3回指を折りながら呟いた。
そうだと答えて更に祖父が更に1回いいきかせるように呟いた。
『正直の頭に神宿る』
暗転してビードロに反射した色々の光に包まれて、そしてその中に吸い込まれた。
目の前には鼻が伸びた人が歩いている。
男も女も老若男女だれもが人々の長さに差はあれど鼻が伸びていた。
ここは【ピノキオの国なんだ】なんだかとても納得した。
夢の世界なんだ、普段の自分ではやらない事をやってみよう。自分に正直に。
前から歩いてきた見慣れた女に声をかけて、はじめて馬末のBarに連れ出した。
身の上話に女はただ、うんうんと首を振り黙って聴いているだけだ。
『君はどう思っているんだ。』他人の考えが聴きたくなった。
少し考えてグラスの氷をカラカラと鳴らし女が呟いた。
『私はあんたの生き方いいと思う。』
鼻がぐんと伸びた。
ビックリした。
自分の夢の中でさえも。
正直じゃないのはどっちだよ。
何だかとたんに可笑しくなってただ笑いが止まらなくなった。
アハハハとした自分の笑い声で目を覚ます。
気づけば、ずいぶんと寝ていたようだ。
電話やメールなどが何件か着信している携帯電話で時刻を確認した。
沈む太陽光が水面に反射してすっと伸びた。
まるでピノキオの鼻のように。
夕影はどこまでも空を朱色に焦がしていく。
明日は、きっといい日になる。男はそっと呟いた。