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【断想】生きているか君は。 君は生きているか。

「君は生きているか?」

そう問われたなら、
君はなんと答えるだろう?

「生きているに決まっている。」
普通、そう答える人が殆どなんだと思う。

確かにいま、この文章を読んでいる君も、書いている僕も、心臓が拍動しているわけで。

医者に、死亡診断をしてくださいとお願いしても、それはできないと一蹴されてしまうだろう。
そういう意味では、僕たちはこの世界では「生きている」


だが、この「生存している」という意味での「生きている」はあくまで、受けた生を保っているという受動的な「生きる」と言うべきものだ。


『幸福な王子』で知られる19世紀の作家オスカー・ワイルドはこんな格言を残している。

To live is the rarest thing in the world.
Most people exist, that is all.
生きることは、この世でいちばん稀なことだ。
たいていの人は、ただ存在しているだけである。

ワイルドは、受動的な「生きる」をexistという言葉で表現した。

live(生きる)には、それだけでは不十分としたのである。


思うに、このような仕方で「生きる」を捉えることは、誰しもしている場面がある
例えば、よく耳にする「いまを生きる」というフレーズは、存在(生存、実存)しているだけでは「生きる」ことにはならない、という見方の顕著にあらわれた表現だ。

こういう風に考えてみると、
はじめの問いに対する答えはさまざまになる。


だから、こうして問うのだ。

「僕は生きているのだろうか?」

そして、

「生きているか君は?」

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ざわけん/大澤健
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