それをやらなければ生きてゆけない ~ぼくのテーマ【断想】
阿部謹也(1935-2006)の『自分のなかに歴史をよむ』(筑摩書房、1988)の一節だ。
阿部といえば、『ハーメルンの笛吹き男』(1974、平凡社)や『中世の窓から』(朝日新聞社、1981)といった著作がベストセラーとなり、日本中世史が専門の網野善彦(1928-2004)などと並んで、日本における社会史ブームの火付け役と位置づけられる、著名な西洋中世社会史の学者。
その阿部が一橋大学の学生時代、ドイツ中世史の権威・上原専禄に、卒論のテーマ設定の相談にお宅を訪問した際に言われたのが冒頭の一言である。
この言葉に大きな影響を受けた人は、相当の数になるのではなかろうか。
先日お話しを伺う機会のあった、40年以上にわたり子どもたちに寄り添う活動を続けてこられた独立型社会福祉士の川口正義さんも、この言葉を一つの指針としてあげておられた。
以前お出会いした、人権福祉に長年尽力してこられた阿部寛さんも、上原がゼミ生に語った、
という言葉と合わせて、「この二つのことばと学問への姿勢は、人生の目的と当面の目標を探しあぐねていたわたしにとって、大きな励ましとなった」と書いておられる。
そして僕もまた間違いなくこの言葉に感化され一人である。
いや、悩まされたといった方が正確かもしれない。
阿部は「夜、公園のベンチに横になって一人で考えつづけ、三ヵ月ぐらいしてどうもそのようなテーマはなさそうだと思うようになりました」と上原の言葉を受けてからの日々を回想しているが、「それをやらなければ生きてゆけないというテーマ」などというものは、そう簡単に見つかるものではない。
高校時代の僕にとっては、学ぶ意味や生きる意味というものが、それを考えなければ生きてゆけないというテーマだったように思う。
だがこの言葉と大学生になって出会ったとき、様々面白いと思うもの、大切だと思うものはもちろんありはしたが、どうしても自分がそれらをやらなければ生きていけないとまで言い切れる感じはしなかった。
「社会のために」「誰かのために」という土壌に、「それをやらなければ生きてゆけないというテーマ」という種が蒔かれることで、ようやく芽が出ると当時の僕には感ぜられたのだろう。
自分にとってのテーマを探して、僕はその日から随分悩むこととなる。
傍から見れば、「非生産的」と片付けられるような毎日だったように思う。
だが僕は、そんな日々を経ることによってようやく、
・西洋由来のことばとそうでないことば
・境界線
という2つのテーマに巡り合うことができた。
両者とどのようにして出会ったのか、なぜそれが僕にとって切実なのかについては、長くなるので今日はこの辺で擱筆して、他の機会に譲る。
ちなみに、境界線との出会いについては自己紹介のnoteで簡単に紹介している。
最後に、
みなさんにも尋ねてみたい。
あなたにとっての、それをやらなければ生きてゆけないというテーマは何だろうか。