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草刈機の音

「草刈機の音」とGoogle検索欄に打ち込むと、後続に「うるさい」との検索候補が表示される。

「草刈機の音 泣けてくる」と検索しようとしていたため、指が一瞬止まった。


自分が育った土地は田舎だ。
「街」ではなく「集落」で暮らした。

周囲を見渡せば
遠くに青く見える山と、そこに続く牧草地。
見上げれば
遮るものが一切無い広大な空。

人気のない民家を他所に
トビやカラスが、川と木々の自然音を伴奏に
のびのびと声を響かせる。

そんな、素朴な環境で育った。


圧倒されそうな大自然の中
唯一人間が抵抗のように発する音と言えば
祖父が使う草刈機だった。

新緑の季節から庭の雑草を刈っていたものだった。

グレーのポロシャツを着て
大きな厚い背中に機械のベルトをかけ、庭に出る。
玄関からゆったりした動きで出かける後ろ姿を
じぃっと見つめていた。

背が高く体格ががっしりとした祖父は
物は言わないが微笑んで私を見つめてくれていた。
しかし、草刈機を使うときは表情が違うので
少し怖く見えた記憶がある。

それでも、祖父の発する力強い音には
とても大きな安心感と優しさがあった。
確かに「うるさい」部類の音ではあったが
私にとっては祖父が居る確認ができる音。
安全である、という証のような音だった。

幼い日の昼下がり
まだひんやりとした風で優しく膨らむカーテンを
落ちそうな瞼で見つめながら、
耳では祖父の存在を確かに感じていた。


それから十数年後、18歳になった年
幼い日同様、あの音と共に新緑の季節が来た。
なんら変わらない季節の巡り、のはずだが
その時は涙が出た。

自分が翌年家を出る。
そして、祖父の背中が薄く小さくなった。
草刈り機の音も途切れ途切れに聞こえる。

いつかきっと今の記憶が宝物になる
草刈機の音も今の空気、景色も
全て頭に焼き付けなければ。

繰り返し思う事で年月の流れに抗いたかった。

だがそんな想いとは裏腹に
季節は淡々と、至って順調に過ぎ去った。


それから更に十数年経った。

祖父は、もうどこにも居ない。
自分も生まれた土地を離れた。

時間は思った通り、見事順調に進んでいった。

変わらないのは、どこに住んでも
新緑の季節に草刈機の音が聞こえる事だ。
そして聞く度に、あの頃の安心感を感じて涙があふれる。

あの人は確実に生きていたし
私を守って愛してくれていた。
涙はあの人の存在全ての証だ。

宝物となった記憶を強く噛み締め、生きていく。

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