「高齢化と認知症」~生きている、それだけですばらしいはずなのに~
先の先を追いかけて、稼ぎに稼いでも、
人はやがて老いて死んでいく。
働き盛りを過ぎて、
リタイア生活に入るころあたりから、
ちょっと物忘れをしたりすると
「認知症」という病名が
まとわりついてくる。
ただ、歳をとって衰えただけなのに。
ただ、テキパキできなくなっただけ
なのに。ただ、携帯電話の使い方が
わからないだけなのに。
なんだかもう、役立たずで
世話の焼けるやっかいモノのように
扱われているような気になる高齢者
がいかに多いか。
耳が遠くなったとたんに、
「どうせ聞こえてないからね」と困り顔
を向けられ、補聴器をつけたらどうか、
外を出歩くのは心配だと転ばぬ先の杖と
ばかりに「解決策」を迫られる。
明治生まれのおばあさんは、
話しかけると耳に手をあてて「どぉ~え~」
と聞き返していた。
その頃は、日々の暮らしでとにかく猫の手も借りたい忙しさだったので、
耳が聴こえないことなど気にすることなく、
おばあさんにできる仕事をしてもらっていた。
身体でおぼえていることは、だいたい問題なくできる。
読み書きもできなかったが、
どうしても必要なことはどうにかして伝えあう。
日々、耳のきこえないおばあさんのままで、
ちゃんとそこにいた。
年老いて弱っていく身体は
不便で不自由で迷惑だから、
若く元気な身体でいるために機能を維持して、
不便なく役立つ人であらねばならないのだとすると、
なんだかやるせない。
家族にも社会にも煙たがられるようになると、
イライラが募り孤立感が深まる。
生きていることへの感謝より、苦し紛れの恨み節の方が増えていく。
昔、といってもほんの数十年前の世の中は、
助けてもらわないと生きていけなかった。
田植えや稲刈りの時期は隣近所同士助け合ったし、家を作るのも、道を作るのも助け合って、力をあわせて頑張った。
老いも若きも男も女も大人も子どもも、
それぞれに役割があって、
もめても腹が立ってもその居場所を奪うまで攻め切ることはしなかった。
たまたまみんなが仲良しだったというわけではない。
ぐっとこらえて辛抱しながらつきあわなければ、
暮らしが成り立たなかった。
なんとかうまく折り合いをつける方法や知恵を身につけて、
思うようにならないことがあっても、まずは辛抱が第一。
二にも辛抱。三にも辛抱。
見て見ぬふり、聴こえてるけど知らんぷりだって智恵のひとつ。
季節の行事やおまつりは、世代ごとの集まりがあって
口伝のしきたりを伝えるだけでなく、
日常の情報交換もさかんだった。
そういうつきあいは、いいこともあれば嫌なこともある。
嫌だからとつきあいをやめてしまえない。
でも、困ったときは必ず助けあえる、
頼れる仲間がいる安心感があった。
地域のみんなで決めなければならないことは
時間をかけて何日でも何か月でも話しあう。
そうやって決めたことはみんなで守る。
自分の家族だけではなく、地域全体が混ざって暮らす。
そうすると、自分や自分の家族のことだけではなく、
地域全体のことに当たり前に目を向けることになる。
大きく全体を見るためにはおおらかな心持ちが必要で、
それは人と人が混ざりあう暮らしの中で
時間をかけて育まれていく。
小さな細かいことばかりつつきあっていては、
先に進むことができない。
京都の大学に通う学生さんがやってきて、
「ごちゃまぜ型福祉の論文を書きたい」という。
少し前まで、ごちゃまぜな暮らししかなかった。
貧しくて、嫌でもなんでも
助け合わなければ生きていけなかったからだ。
しかし、今はもはや、もう何百年も続けてきたそんな暮らしを
追いかけるような狭い話をしている場合ではない。
ぜひ、そこに気づいてもらいたい。
ごちゃまぜの暮らしからの脱却とばかりに、
便利で快適でわずらわしくない暮らしを目指し
分離して分類して合理化してきた。
悪いことはどんどん切り捨てる。
その方が、豊かで幸せだと信じて走ってきた。
そんな50年余りがすぎて、
社会全体の半数近くの人々が孤独だと
言われる社会になってしまった。
法律や制度で細分化して、それを守れなかったら
ペナルティーというだけの世の中を
目指したわけではないはずだ。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
そこをひたすらに考えないことには
一人ひとりの関係ももっと希薄になり、
やがて人という生物が絶えてしまうのではないかと心配になる。
事は、高齢者だけの問題ではないのだ。
高齢化の問題だけでも、いろいろな組織、
制度の限界が見えてきている。
解決方法は誰かが考えてくれると他人ごとにせず、
自分事として考えてほしい。
どんな人でも、いずれ必ず老いていくのだから。
「ただ、歳をとっただけ」と思ってみてはどうだろう。
生きていく知恵は、はるかに持っている。
かまどに火をつけてごはんが炊けたり、
耳が遠くても身体で覚えた仕事を
しっかりこなすことも、もめたときの解決法も。
高齢者が暮らす現場にいたころ、
とにかく物忘れがひどく、動き回るおばあさんがいた。
目が離せないので、車の助手席に乗ってもらい
一緒に出かけることもあった。
その頃の私は、いろいろと思い悩むことが多く
運転しながらいつも愚痴をこぼしていた。
「ん、んんん~、んん~」としか言わないそのおばあさんが、
ある日突然、まっすぐ前を向いたまま話し始めた。
「あのな、兄ちゃん。気に病んでいかんよ。
あのな、自分のことも思うようにならんのに、
人のことなんかどうにかなるわけない。」
びっくりした。
が、次の瞬間まるでそんな会話がなかったかのように、またいつもの
「ん、んん~んんん~」のおばあさんになった。
どれだけ愚痴を言っても伝わってないだろうと
ブツブツつぶやいていた自分に冷や汗もかいたが、
それ以降はその考えをあらため、
人生相談のように話しかけた。
生きる知恵を授けてほしくて話しているうちに、
返事はなくとも気持ちが楽になった。
向き合い方で、まったく違うかかわりが生まれることを教えてもらった。
高齢者だからとひとくくりにして、病名をつけて、
分類をして逃げることではない。
助けがいらないと言っているわけではない。
耳が遠くなっても、目が悪くなっても、
ちゃんと聴いているし見ている。
ぱっぱっとできないことが増えても、
身体が覚えているからできることはちゃんとある。
できる人にあわせて、
できないことを探すのではなく、
お互いが補いあうために
生き方、暮らし方を今一度「ゆっくり」したらどうか。
そこから「もうちょっと、生きていることが楽に
なるしくみ」が生まれないか。
ここも変わり目に来ている。
今日はこの辺で。
お付き合いいただきありがとうございました。