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あんた、それは摘んだらあかん|ヒガンバナ
大好きなおばあちゃんに、たった一度だけ叱られたことがある。
わたしは生まれてから小学3年生までを祖父母と二世帯で暮らした。
学校から帰っても、夜勤のある父親、パート勤務の母親はおらず、いつも遊んでくれるのはおばあちゃんだった。
お餅のつき方も、そら豆の剥き方も、魚の骨の取り方も、全部おばあちゃんがとなりで教えてくれた。
わたしなんかが、一生かかっても追いつけないくらい。
優しくて、強くて、魅力がいっぱいの、大好きなおばあちゃん。
あれは、たぶん夏休みの夕暮れどきだったと思う。
いつものように外に飛び出して、家の前の田んぼ道をまっすぐ行ったところに見たことないくらい真っ赤で綺麗な花が咲いていた。
それは、ヒガンバナの花だった。
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当時、誕生日に花の図鑑を買ってもらうくらい綺麗な花が好きだったわたしは、ひと目見てその魅力に取り憑かれた。
「やった〜!おばあちゃんに見せよう!」
田んぼの土手に生えた真っ赤な花を一輪摘んで、早くおばあちゃんに見せたくて走って家に帰った。
「おばあちゃん、見て!綺麗な花見つけた!」
「まぁ〜まいちゃん、綺麗な花見つけたなぁ〜。」と言ってもらえると確信し、目を輝かせて一輪の花を差し出したわたし。
しかしそんな予想とは反対に、それを見たおばあちゃんの顔が一気に青ざめた。
「あんた、それは摘んだらあかん」
初めてだった、あんなに怖い顔のおばあちゃんを見たのは。
「どこで摘んできたんや」
急いでその花があった場所まで案内させられた。
「早くそこに返しなさい」
わたしは、もとあった場所に手を伸ばして、そっと花を置いた。おばあちゃんは帰り道、ひとことも喋らなかった。
それからあとのことはあまり覚えていない。
仏壇の前でぶつぶつとなにか言ってるおばあちゃんの背中がぼんやり浮かぶ。
そんなわたしも大学生になり、雑草学の研究室の門を叩いた。
雑草学とは、農学の視点から雑草を防除するために、雑草の生態を研究する学問である。雑草をやっつけるためには、雑草のことを知らなければならない。だから、よく雑草を観察しに出かけるのだ。
研究室に入り、初めての雑草観察会。それも教授の車で30分くらい走ったところだっただろうか。すこし小高い丘に着いた。遠足のような気持ちで、ワクワクしながらも、やっぱり緊張していた。
これから、どんなことを学ぶんだろう。
これから、どんなことができるんだろう。
車の扉を開けて、わたしの目の前に現れたのは
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あのときの、真っ赤な花だった。
教授は、この真っ赤な花の名前が「ヒガンバナ」だということを教えてくれた。お彼岸の頃に咲くから「ヒガンバナ」。ほかにも「死人花」や「幽霊花」などといった、彼岸らしいすこし不吉な名前があることも。
教授は続けて、ヒガンバナの生態についても教えてくれた。
ヒガンバナには毒があること。
その一方でヒガンバナは戦時中など飢饉の際には毒を抜いて非常食として隠していたこと。
ヒガンバナは球根植物だ。球根が分裂して増えていく。だから花粉を風に乗せて、遠くで増えることはないと言われている。つまり、今目の前にあるヒガンバナは遠い昔、誰かが手で植えたものが起源である可能性が高いということ。
昔のひとは、ヒガンバナは決して抜いちゃいけないと教わったそうだ。
ひとつは、毒があること。
ひとつは、彼岸から連想されるように、死者を冒涜する行為だから。
ひとつは、戦争などの非常時に食べられるものを守るため。
今でもヒガンバナが咲き続けているのは、代々先祖たちが守ってきた証なのだ。
そんなヒガンバナも、今年は猛暑の影響で開花が彼岸に間に合わなかったそうだ。彼岸に咲くヒガンバナを守り続けるために、現代を生きるわたしたちは何ができるのだろうか。
わたしのおばあちゃんは、5年前に亡くなった。
あの時の真意を聞くことは、もう決して叶わない。
でも、だからこそ、毎年ヒガンバナを見るたびにおばあちゃんを思い出すことができるのだ。
おばあちゃん、わたしはもうヒガンバナは摘まないよ。
おばあちゃん、わたしはもう自分で魚の骨をとれるようになったよ。
そっちで、ちゃんと見ていてね。