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小籠包の思い出。
地元にはテナントの入れ代わり立ち代わりが激しい建物がいくつか存在していて、お店云々よりも立地条件が問題なんじゃないかと思っている。
あるお店は交差点の角に面している。車通りの多い道なので目には入るのだけど、駐車場があるのか判然としない。あったとしても交差点を曲がってすぐなので入りにくいのかもしれない。
そこにはラーメン屋さんが入ることが多く、しかし大体長続きしない。そのため、新しくなった看板を見ると真っ先に心配の気持ちが浮かんでくる。ただの近隣住民である私もヤバそうだと思っているのに、知らないのかしら……費用が安いのかもしれないけど、潰れたら元も子もないのに……と勝手ながら思ってしまうのだった。
また別の建物は、物心つく頃からあった店舗が突然閉店してしまって以降、テナントが定着しないスポットとしての道を歩み進めてしまう。
ちょっとリッチなレストランやボリュームを重視した定食屋さんなどいくつかの変貌を遂げた後、最終的には広い空き地になった。諸行無常とはこのことである。
レストランや定食屋さんにはノータッチだったが、最初のお店には定期的に足を運んでいたため、建物ごと消え去ってしまったときはさすがに少し寂しかった。中身は違っていても、外側はいつまでもそこにいてくれると思っていたのである。
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私にとってあの建物は、最初から最後まで中華料理店だった。
記憶にあるなかでは、家以外で中華を食べた最初の場所。中国感満載の歌がずっと流れていて、その綺麗な高音が電ボ三十郎のそれに似ているなと思って以降、そうとしか聞こえない呪いにかかったこともあった。
中華を食べに行くときはここ、という時期もあったから、それなりには足を運んでいたはず。しかしまだ辛いのは食べられなかったのか、それとも保守的な性格によるものか、小籠包を必ず食べていたということしか覚えていない。
初めて目にする小籠包はぽってりとしていて可愛らしく、餃子や焼売よりも分厚い皮から溢れ出る熱々で旨味たっぷりのスープに感動した。以降、私にとっての定番メニューとなり、時々火傷をしながらも、冷めないうちにはふはふ言いながら食べるのが大好きだった。
小籠包は美味しいものだということを、そのお店は教えてくれた。しかし、別のお店で注文することはほとんどなかったように思う。
食べる量が増えて主食的なメニューを一品頼むようになり、しかしそれ以外にあれこれ食べる余裕までは持ち合わせていなかったからだろうか。でも野菜炒めや麻婆豆腐を頼んでみんなでつまんだ回もあったような……うーん。
他のお店で上書きされていない分、あのお店の記憶が強固であり続けている。それは嬉しくもあり、しかしどこか寂しい気もする。だって、どれだけ煌びやかな像を浮かび上がらせたところで、食べることはできないのだから。
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先日、とある場所で少なくとも10年以上営業が続いている某中華料理店に初めて足を運んだ。
そこは立地も良く駐車場も広い。そして実際に入店してみて、リーズナブルかつ美味しいということも知れた。なるほど、そりゃあ定着するわけである。
もしもそこが新たな”行きつけ”になるとしたら。
そのときは小籠包を頼んでみてもいいのかもしれないなあ、とぼんやり思っている。
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