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祖父母宅で”ごま和え担当”だった頃
小学生のころ。
父方の祖父母の家で夕食を囲む際はほぼ毎回、ほうれん草のごま和えを作らせてもらっていた。
何がきっかけだったのかは覚えていない。私の記憶では祖父母の家がごま和え作りの原点なのだけど、もしかしたら実家で習得し「私、ごま和え作れるんだよ」→「そうなの? じゃあやってもらおうかな」という流れという説もある。まあ、どっちでもいいですよね。すみません。
一方で、エビの背わたの取りかたやコロッケの衣付け、さらにはお箸を食卓に並べる順番まで教えてくれたことは、非常に印象深い思い出として残っている。
エビは結局祖父母の家でしか触っていないので、知識と経験をまったく活かせていないのが悲しいところ。しかし小さい頃にやっていたおかげか、家庭科の授業で惨敗した三枚おろしよりは根拠のない自信がある。いつか目にもの見せてやるぞー(それ意味違う)。
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エビフライやコロッケと違い、副菜であるごま和えは毎回でも出しやすかったのだろう。夕飯をごちそうになるたび、私は台所で和え衣を真剣に調合した。
黒のすりごまに白砂糖と醤油を加え、練り混ぜる。分量を量っていた記憶はない。経験がものを言う、まるで職人の世界だ。
ごまと砂糖だけの部分があってはパサパサして具合が悪いし、反対に醤油でびしゃびしゃになるのも考えもの。すべてのごまが適度な湿り気になったのを見計らって、味見をする。現在の私はどんな料理でも大体味見を忘れ、食卓で『薄……』となることも少なくないから、昔のほうがよっぽど丁寧だった。
味が決まれば、事前に茹でてカットしてもらっていたほうれん草を投入する。緑のみの面積がなるべく減るように、全体に和え衣を絡ませる。
それが済んだらいよいよ盛り付け。しかしみんな同じ量ではなく、私は少なめ、父は多めに……といったように、その人に応じた配分を心がける。
見栄えもないがしろにしてはいけない。べちゃっとした見た目は美しくないので、すっくと立つお山のように見せるのがポイントだ。そして最後に余った和え衣を頂上にちょこんと乗せて完成。ふう、いっちょ上がり!
こうして書き出してみると、当時の真剣な気持ちも一緒に蘇ってくるようだ。私が請け負った工程は包丁も火も使わないシンプルな部分だけど、集中すべき点がいくつもあり、それぞれに誇りのようなものを持って取り組んでいたのかもしれない……と言うと大袈裟かな。
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今は包丁も火も使うし、レパートリーもある程度増えた。しかし、ごま和えは昔のほうが上手だったんじゃないかと思う。
お砂糖を控えめにしてしまったり、味見を忘れたり、事前に調味料を合わせずに直接ほうれん草にかけていってしまったり……。今度は書き出した結果、普段の雑さがよりはっきりと迫ってきてしまった。さっきとはえらい違いだ。
シンプルな料理は、少しでも横着すると完成品にそれが如実に表れてしまう。今度、あの頃の気持ちをもう一度思い出しながら、初心に帰って作ってみることにしよう。
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