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母は料理が嫌いなのだと思っていた。

私の記憶にある母は、ずっとフルタイムで働いていた。家に篭って家事をするよりは、仕事やお稽古ごとで外に出たがるひとだった。今でもそうだ。定年退職した父を家に残し、週に数日はパートで働きに出ているらしい。

弁当には冷食が詰められることも多かったし、毎日の夕飯もそんなに凝ったものが出たわけじゃなかった。レトルト食品が食卓に並ぶことも多かった。朝食は各々がパンを食べた。
それが私にとって当たり前の食卓だった。特に不満はなかった。母は料理があまり好きじゃないし、得意でもないのだから。それに私だって料理が好きでも得意でもない。

時々、母は食事を作りながら私たちに怒鳴ることがあった。
なぜ私が作らなければならないのか。なぜ言わなければ誰も手伝ってくれないのか。
私たち姉弟はそのたびにすくみ上がり、慌てて台所に集まったものだ。

私は、家を出て結婚してから、母の趣味が「料理」だったことを知った。
母が自分でそう言っていた。母は料理が好きだったのだ。

きっと母が好きだったのは、日常のルーティンとして食事を作ることではなく、来客や特別な日に合わせてもてなしの用意をすることだったのだろう。
そういえば、誕生日の日には必ず豪華な食事を用意してくれた。

「料理」にも色々な種類がある。
そして、色々な制約の中で献立を捻り出しながら日々の食事を提供し続けるのは、たとえ料理が好きだったとしても、簡単なことではない。
冷蔵庫の中身を把握して管理したり、「今あるもの」を組み合わせて食事を作ったりする能力が高いかどうかは、料理が好きかどうかとは別のことなのだ。

その労力を思えば、出来合いの惣菜だろうが、冷凍食品だろうが、レトルト食品だろうが、なんだって構わない。
かつてよりもより積極的にそう思う。

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