『私の愛した能登半島』能登半島地震体験記⑨〜発災から半年を経て〜
こんにちは、ディーケーです。
今回は、能登半島地震から半年が経過した現在の心境についてお話します。
①発災後の生活について
元日、能登半島の実家で被災した私ですが、現在は職場のある金沢のアパートで暮らしています。
一方、実家に住んでいた両親は金沢に家を借りて過ごしています。
3年前から金沢で仕事をしていたので、能登半島へは実家の帰省ぐらいしかしていませんでした。
しかし、時間が経つたびに感じるのは、故郷に対しての愛着と故郷を失った虚無感を感じます。
能登半島からはしばらく離れて過ごしていたのに、どうしても能登半島のことを生活の中で感じてしまいます。
夏休みの期間には毎年実家に帰省していましたが、今年はその予定がない。
そう思うと、何かぽっかりと心に穴が開いているような感覚を覚えます。
この気持ちをどのように表現すればいいのかわかりません。
②復興には程遠い現状
そんな中、能登半島の現状はどうなっているのか?
私が訪れたり、地元の人から聞いたりしたことをお伝えしようと思います。
半年経過した能登半島ですが、ほとんどは元日のままです。
公費解体も少しずつ始まっていますが、ほとんどの家屋は倒壊、損壊したままです。
特に被害の大きかった輪島や珠洲は全くといっていいほど進んでいません。
今回の地震で倒れたビルもまだ手つかずの状態です。
更には、6月上旬の震度5強の余震で数軒の建物が倒壊したとのことです。
ライフラインに関しても、5月にやっと水道が通った地域もあるほどです。
たくさんの方のご支援やご協力を受けていることはほんとにありがたいことですが、能登半島の現状は全くといっていいほど復興していません。
③今後できること
能登半島の復興に私達ができることは何か。
募金、ボランティア、物資支援。
様々あると思います。
しかし、私が1番思う復興へできること。
それは、能登半島地震のことを忘れないことではないかと思います。
継続的な支援をしていくことは大切ですが、それだけでなくても、人々の中で能登半島のことを忘れず、被災地のことを思い続けることが大事だと思います。
被災地ではまだまだ以前の生活に戻れず苦しんでいる人々がたくさんいます。
世間では、政治資金法の改正、東京都時事選、万博のことに関する関心が高まってきています。
どの話題も日本の未来に関わる大事な問題です。
優劣をつけるつもりはありません。
その中でも能登半島のことを忘れずにいてほしいです。
能登半島のことを思い続けることは強制することではありません。
でも、能登半島のことを愛し、苦しい状況の中でも必死になんとか復興しようと頑張っている人がいます。
そういう人たちがいることは忘れないでほしいです。
先日、大規模火災が発生した輪島朝市が金沢へ出張営業したり、輪島のショッピング施設で営業したりと徐々に復興への歩みを進めています。
「能登は優しや土までも」
今、能登半島の復興のために土壌を耕しているところです。
また、愛される、優しい能登が見れることを願い、日々を過ごしていきます。
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