天空のオアシスへGOKYO LAKE〜Day11〜
目覚め
いつもより早めのAM5:30にアラーム設定していた、お気に入りのラップクルーKANDYTOWNの楽曲GetLightのイントロで目が覚めた。
昨晩は気持ちの昂りを抑えきれず、遠足前の小学生に戻った気持ちで眠りについたのはAM2:00ごろだった。
この日はAM7:00に登り始めることになっていたため、急いで身支度を整えて朝食に向かった。
ダイニングはストーブが灯いたばかりでまだ冷えていた。
昨晩、近くに座っていた客が食べていたパンが美味しそうに見えたためそれを注文した。
名前はチベティアンブレッドだ。
名前のままチベット地方のパンという意味だ。
その形状は私たちが思い描くUFOそのままだ。
そこに苺のジャムが付いてくる。
思ったよりも大きくて食べきれなかったため、残りはジップロックに包み、この日の行動食にすることにした。
部屋に戻りメインの大きなバックパックを宿に預け、最低限の装備を小さなナップザックに詰め込んだ。
8日目のルート
この日はAM7:00よりGokyo Riへのアタックを始める。
ゴーキョからの標高差は570mもある。
この570mを2時間かけてゆっくりと登っていく。
下山後ゴーキョの宿に戻り昼食を食べ、そのまま6日目の宿があるマッチェルモまでを標高1000mほど一気に下げ歩くハードなスケジュールだ。
しかしこれまでの登りとは違い、高度を下げながら歩くため身体へのダメージは軽くなると思われる。
始動
私たちが歩き始めようと外に出るとそれを待っていたかのように陽が差してきた。
宿の前の湖Dudh Pokhariが一層輝きを増して見える。
その湖の縁を歩いていると、いよいよ目の前に私たちを標高5357mまで繋いでくれる1本の長い尾根が現れた。
気持ちと呼吸を整え登り始めた。
高度が徐々に上がっていくにつれて、私たちが宿泊していたゴーキョの街がミニチュアのように小さくなっていく。
Dudh Pokhariもその姿の全景を捉えることができた。
ゴーキョの町の後ろ側には氷河も見える。進むべきは前なのにも関わらず、その景色の美しさに何度も振り返ってしまった。
世界最高峰
さらに高度を上げていくと、進行方向右側にドラム缶が置いてあった。そのドラム缶にはスプレーアートでEVERESTと書かれている。
これはもしやと思い携帯に保存しておいた世界最高峰エベレストの写真を開きドラム缶の後ろに姿を表した象徴的な山と見比べた。
間違いない、私が視界に捉えたのは正真正銘世界最高峰エベレストだった。
私はドラム缶の放つストリート的な要素と嘘偽りのない自然の象徴・エベレストとのコントラストに感情を揺さぶられてしまい夢中になってシャッターを切った。
あの頂に立てたら私はどれだけ幸せなのだろうかと思いを巡らせた。
8日間歩いた先に
歩き始めて2時間ほど経ったところで頂上が見えてきた。
無心で8日間歩き続けた。
いよいよだ。
高度が上がってきて息が少しばかりし辛くなっていたが、それよりも早く前に見える頂に到達したいという気持ちが私の背中を押していた。
残り100mほどの距離になったところで私は走り始めた。
自分の呼吸のリズムが分からなくなるほどのスピードで駆け抜けた。
到着だ。
疲れているはずなのに脳から分泌されているであろうドーパミンの影響で全く疲れを感じない。
他のハイカーたちも後に続いて次々と登頂している。
中には雄叫びをあげている人もいた。
無理もない、目の前に広がっていたのは人生最高の景色だったからだ。
見下ろせばエメラルドブルーの湖その左にゴーキョの街並みと氷河、目の前にはエベレスト・ヌプツェ・ローツェ、振り返ればチョオユーの4つの8000m級の山が。
雲ひとつない快晴で遮るもののない太陽がそれら全てを照らしていた。
人生最高の景色を目の前に私は心が震えた。
達成感など1つもなかった。
ただただ美しい、それだけだ。
私から少しだけ遅れて到着した大田原さんと抱き合い、8日間の旅を労いあった。
異国の地で出会った日本人、しかも高校大学の先輩と想いは違えど同じ山の頂に立ったのだ。
こんな若造に付き合っていただき感謝しかない。
私たちは記念撮影を済ませ、しばらくの間その景色を目に焼き付けた。
そうともなれば 後は下るだけだ。
下山中、登ってくる人々にエールを送りつつ1時間ほどでゴーキョの町に戻った。
自然の脅威
自然の壮大なスケールに心を動かされていた同時期、日本では台風19号が猛威を奮っていた。
改めて自然の怖さも痛感した。
そんなことも考えながら、私は宿で昼飯のニョッキを頂いていたのであった。
再びマッチェルモへ
昼食を取り終えた私たちは下山を始めた。
登りとは違い呼吸が崩れることもなく順調なペースで歩き続けた。
2時間半ほどでマッチェルモに到着した。
目的を既に達成した私は、もはや泊まる宿などどこでもいいという心情になっていたため、最初に目についた宿に入った。
部屋に通され荷を解き、宿のダイニングで夕食までずっと携帯を弄っていた。
自分の中の緊張の糸が完全に切れていたことがわかった。
なんだか早く帰りたくなってきていたのだ。
そうは思ってもここは山奥で再び同じルートを歩いて戻るしかないため、その感情を心の奥にそっとしまい込んで、飛行場のある町ルクラに戻るまで出てこないようにした。
この日は夕食を食べた後、体が疲弊しているのを感じたのですぐに眠りについた。
次の日からはひたすら高度を下げていく。
"家に着くまでが遠足"という金言がこの世には存在するが、私の遠足はどうやらここで終わったようだ。
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