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天空のオアシスへGOKYO LAKE〜Day5〜

目覚め

6:30のアラームで目が覚めた。

目覚めと同時に凍て付く冷気が肌を刺した。

かなり冷え込んでいた。

もちろん部屋に暖房など存在しない。

いかに自分が成熟した文化レベルの環境で生活しているかを身をもって体感した。

起きてすぐに宿の庭にある水道で歯を磨いた。

自宅では普段口を濯ぐときに生意気にもお湯を出しているが、ここの蛇口から出てきたのは凍る一歩手前まで冷えた水だ。

冷水によって眠気と物質主義の社会に媚びた自分を覚ました。

そしてすぐさま1本タバコを吸った。

すっきりとした気分で部屋に戻った。

甘い紅茶の話

朝食を取るために1階の共同エリアに降りた。

メニューを手に取り朝食ゾーンに目をやると、私の大好物シナモンが使われたシナモンパンケーキを見つけすぐさま注文した。

それとホットな紅茶も注文した。

先に熱々の紅茶が出てきた。

ネパールに来てから現地人たちが紅茶を飲むときに砂糖を大量に入れるシーンを何回か見た。

それに倣い私もスプーン2杯分の砂糖を入れた。

熱々の激甘紅茶の完成だ。

一口飲むと甘党の私にはぴったりの味であることがわかった。

糖分が脳に行き渡り眠気から覚めていくような気がした。

パンケーキが到着した。

プレートからはほんのりシナモンの香りがした。

一口サイズに切り分け、上から蜂蜜をかけた。

食べるとシナモンの味はほとんどしなかったが、もちもちのパンケーキで蜂蜜が相まってとても美味しかった。

国籍の話

身支度を終えて私たちは宿の料金を支払った。

宿の庭に出ると宿泊客が各々の準備を進めていた。

国籍は様々だか、話している言語に耳を傾けるとドイツ人が多そうだ。

アメリカ英語を話している人もいる。

1日目に歩いていて感じた事は中国系の団体客もとても多い。

しかしながらここまで日本人と思われる人は見かけていない。

アジア系の人を見ていても不思議なことに歩いている人の佇まいでそれが日本人であるかそうでないかがわかってしまう。

人間とは不思議なものだ。

宿の犬

私たちが歩き始めようとしていた時のことだ。

宿の前でドイツのハイカーが子犬にお菓子に与えていた。

その子犬はハイカーたちの足元を駆け回り戯れていた。

1日の始まりを告げるなんとも微笑ましいシーンだ。

私たちが歩き始めると、その子犬は私たちに続いて宿の前までついて来てくれた。

宿の前で足を止めた子犬は、先ほど与えられたお菓子を他のものに奪われまいと必死に食べていた。

私は子犬に別れを告げ2日目の工程を歩き始めた。

ハイカーたちの服装の話

私たちは川沿いのルートを徐々に北上していき、何度か大きな吊り橋を渡りながら高度を上げていった。

本格的な急登に差し掛かって、前を歩く大田原さんのペースが徐々に落ちていった。

無理もない。

バックパックの総重量8kgほどの私に対して、大田原さんのバックパックは総重量20kgもある。

これは就寝前に読む本や着替えの枚数が私に比べて多いからだ。

私は最低限の着替えしか持ってきていなかったため、洗濯しないままTシャツを何日も着るつもりだった。

それでも前を歩く大田原さんの脹脛はとてもたくましい。

私の1.5倍ほどの筋肉量はありそうだ。


ゆっくりと歩いていた私たちにネパール人のガイドが話しかけてきた。

”君たちは日本人かい"と"そうだ"と答えると"こんにちは"と返してきた。

どうやら彼は前を歩く欧米系の若者4人をガイドしているらしい。

私たちがガイドなしで登っているのを見て"気をつけて登れよ"とエールを送ってくれた。

彼がガイドをしている若者たちを見てみると、いつもはトレッキングをしていなさそうな服装だった。

2日間歩いた実感として、普段からトレッキングをしていそうな人間とそうでない人間(高尾山をスニーカーで登るような観光客)の割合は大体1:1ほどに感じた。

裏を返せばガイドとポーターを雇いそれなりの体力的な準備さえすれば登れてしまうと言うことではないだろうか。

いずれにしてもここに来ている人たちにはヒマラヤの自然という唯一無二の魅力に惹かれているという共通点があるのは確実だ。

入山料支払いゲート

一定のリズムで登り続けた私たちはパクディン-ナムチェバザールの中間地点ジョルサレにある国立公園のゲートに到着した。

ここで入山料の3900ネパールルピーを支払い通行許可証を貰うのだ。

それに加えてジョルサレよりも下にある窓口で1500ネパールルピーをまた別の通行料として支払った。

支払いの列に並んだが列が一向に進まない。

どうしたことかと思い窓口に行ってみると、並んでいるのはみなネパール人ガイドで、ツアー客全員分のパスポートと通行料を支払っていた。

この時点で並んでいる人数は20人ほどであったが、実際にはその何倍もの人数の手続きがあるために時間がかかっていることがわかった。

ゆっくりと待つことにした。

地震によるトレッカー減少の話

50分ほど待ってようやく私たちの手続きの順番がやってきた。

窓口の職員にパスポートと通行料を渡した。

職員の後ろにトレッカーの人数の推移が年度別・月別に表されている表が張り出されていた。

軽く見渡しているとある時期を境にトレッカーが著しく減少していることに気がついた。

荘厳で美しい山を持つ国と地震というのは地理学的にも切り離せないのだと感じた。

地震大国の日本に住む私には人ごとには思えなかった。

やはりここのスケールの壮大な自然は唯一無二の魅力で人を惹きつけるのだと感じた。

ナムチェバザール到着

私たちは一定のペースで登り続け、AM8:00から5時間半かかってPM13:30ごろにこの日の目的地ナムチェバザールの入り口に到着した。

私たちは宿を探す前に見晴らしのいいレストランで昼食を済ませた。

私はこの日もダルバートを頂いた。

食事を終えナム チェバザールの街並みを入り口から見上げた。

そこにはそこが標高3440mであることを忘れてしまうほどきれいな街並みが広がっていた。

青・緑・赤の屋根を持つ可愛い建物が扇状に広がっている。

この街には高度順応を含めて2日間滞在するため景色を存分に楽しめそうだ。

宿探し

私たちは2日間宿泊する宿を探した。

特に下調べもしていなかったため、直感で決めることになった。

外観がおしゃれな宿を見つけ空き部屋を確認したがダメだったため、そこの隣にあったシャングリラゲストハウスという宿に泊まることにした。

若い女性が2人で切り盛りしているようだ。

二階の部屋に案内されて中を確認した。

部屋の構造は1日目の宿に酷似していた。

このルートのデフォルトのスタイルなのだろう。

入って右側に私が、左側のベッドに大田原さんという定位置がここで固まった。

宿にはシャワーがついていたため、大田原さんが着いてすぐ入りに行った。

1回500ネパールルピーのシャワーをとても高く感じてしまった私はこの日のシャワーをパスした。

私は荷を解き、宿の店主から500ネパールルピーでWi-Fiのパスワードを購入した。

2日間滞在することを考えると必須だ。

私はベッドに寝転がりながら2日ぶりのインターネット環境でYouTubeを見漁った。

シェルパとの再会・初めての日本人

夕食前の時間に宿の共用スペースでお茶を飲んでいると、日本人らしき男性が中に入ってきた。

すかさず声をかけた。

私の観察眼は間違っておらず、たしかに日本人だった。

彼はここより上のエベレストベースキャンプ(EBC)を目指すと言っていた。

日本人に会うとなんだか心が落ち着くのは気のせいだろうか。

挨拶を済ませ私は部屋に戻り、しばしの間眠った。

夕食の時間になり共用スペースに戻ると驚くことに先程の日本人男性の横には1日目にレストランで出会ったシェルパがいたのだ。

先ほどの日本人男性のガイドとして付いていたそうだ。

私たちは4人で卓を囲んだ。

食事をとっているとシェルパがネパールの地酒を勧めてきた。

ネパールでは家庭的な醸造酒の製造が認められているそうなのでこれは密造酒にはあたらない。

私は一口だけ頂いたが、美味しいと思えなかった。

大田原さんはグビグビ飲んでいた。

そんな時間を楽しんでいるとシェルパから印象的な話を聞くことができた。

雪男・イエティ

シェルパがまだ若かった頃日本のフジテレビの雪男を探すロケが毎年のように行われていた。

そのクルーのガイドとして働いていたシェルパ。

ある年に日本人のカメラマンがイエティの撮影に成功した。

雪の中にキャンプを張っていたカメラマンは直ちに近くの村まで写真を見せに行ったそうだ。

しかしその村にはデータを保存する媒体がなかったそうだ。

自身のキャンプに戻ったカメラマンが再び現れる事はなかった。

後日仲間がキャンプ地を見に行くと雪崩によってテントは潰れ、中からはカメラマンの遺体が発見された。

驚くべきことにカメラ本体は見つからなかったという。

これも雪男の仕業なのだろうか。

信じるか信じないかはあなた次第である。

シェルパの語り口はいたって真面目であったため、嘘をついているとも思えなかった。

この日は私たちの泊まっている部屋に戻った後、そのまま眠りについた。

3日目は順応日のため早起きする必要は無さそうだ。

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