天空のオアシスへGOKYO LAKE〜Day2〜
初めての朝
あっという間に3時間のフライトは終わりタイ・バンコクにあるドンムアン国際空港に到着した。
次に乗る飛行機は同じバンコク市内の別の飛行場であるスワンナプーム国際空港から発つため、移動する必要があった。
事前にインターネットで調べたところ早朝5時よりドンムアン-スワンナプーム間の無料シャトルバスがあるとのことだった。
移動後のフライトもAM8:50発のためまだ時間に余裕はありそうだ。
3時間ほど時間があるのでまずはセブンイレブンでタイのソウルフード・パッタイとレッドブル、ペプシを購入(トータル200円程度)し、近くのベンチで遅めの晩飯を食べた。
日本と同様セブン飯はこの国でもクオリティが高そうだ。
とても美味い。
何より安い。
物価が安いことで学生でも長居ができる国が私は好きだ。
食べ終わりベンチでゴロゴロしているとあっという間にAM5:00を迎えた。
ドンムアン-スワンナプーム間シャトルバス
フライトの予約を係員に見せ、手の甲にスタンプを押してもらいバスに乗り込んだ。
スワンナプーム国際空港までは夜間40分ほどかかるそうだ。
しかし相変わらず外国の乗り物の室温は寒い、しかも運転手は半袖だ。
同じ人間とは思えない。
同乗していたアジア系 カップルは女性の方が寒がっており、男性がそっと上着をかけてあげていた。
男性のジェントルな一面につい心の中で彼を讃えていた。
豪華絢爛な空港
スワンナプーム国際空港に到着した。
LCC専用空港のドンムアンとは違い、ゴージャスな雰囲気が漂っている。
建物が大きく、どこかの著名な建築家が設計したのではないかと疑うほどの現代的なアーキテクチャーだ。
客層も一変し若年層で埋め尽くされていたドンムアンとは違い、欧米の中高年が多い。
10月に差し掛かっていたこともあり、日本人学生の数も少ない印象だった。
眠い目を擦りながら次のフライトを飛ばすスパイスジェットのカウンターを探した。
この時点でフライト予定時刻の2時間半前だったが、早めにカウンターが開いており無事チケットを手にすることができた。
インド入国にはビザが必要との情報を事前にインターネットで手にしていたが、スパイスジェットのカウンター職員にその旨を尋ねると、トランジットのみは必要ないとのことだったため安心してセキュリティーチェックに向かった。
税関を通過しそろそろ腹が空いてきた頃だったため売店を探した。
ジャパニーズカルチャーの話
この空港にはSUSHI,RAMENという看板を掲げるいかにも日本人経営ではない日本食の売店が目立つ。
もはや日本食文化がリスペクトされているのか、そうでないのかわからない。
2019年のビッグニュースの中にアメリカのセレブ、キム・カーダシアン氏が設立したKIMONOという下着ブランドが物議を醸した。
ハイクオリティかつ洗練された印象のある日本文化は、外国人からサンプリングされる格好の標的である。
クリスマスの1週間後に正月を迎える日本国民の私が言えたことではないが。
2回目の朝食はホットドッグとフライドポテト、それにコーラのセット(250円)というジャンクフードに決めた。
搭乗ロビーに近かった、理由としてはそれくらいだろうか。
注文してから気怠そうな現地スタッフが巨大なソーセージをボイラーに投げ入れた。
この緊張感のない注文風景は何度体験しても新鮮だ。
回想)2018年マレーシア・クアラルンプールでスマートフォンを弄りながら会計をしてきたコンビニスタッフには遠く及ばないが、同じようなヴァイブスを感じた。
2分ほどで注文の品は完成し、その気怠そうな店員が商品を渡してきた。
いかにもジャンクフードが入っていそうな紙袋を片手に私は搭乗ロビー付近のベンチに座り、お世辞にも美味しいとは言えないホットドッグをあっという間に平らげた。
それにしても先ほどからスパイシーな臭いがするなと思いながら周りを見渡すと三人ほどがカレーを食べていた。
インド人は噂通りカレーをよく食べるのかと感じた。
次のインド・コルカタ空港では必ず本場のカレーを食べようじゃないかと決心した。
テイクオフ(インドへ)
私はベンチでアマゾンプライムビデオを視聴する相変わらずの暇つぶしで、横でギターを弾きながら歌っている欧米人が気になったが目の前の画面に集中することに終始した。
そうこうしているうちにフライト予定時刻が迫り、飛行機に搭乗した。
やはり周りにはインド系の人しかいない、他にいるとすれば全身エスニック系ファッションのヒッピーと思われる欧米人くらいだろうか。
そこからコルカタ空港まではほとんど寝ていたため、気づいたら人生初のインドに到着していた。
次のフライトまでは4時間ほどある。
大事件(号泣寸前)
ここで事件は起きた。
飛行機を降り、トランジット用のゲートを探したがどこにも見当たらない。
仕方なく出国ゲートに並び異邦人用のカウンターに行った。
ゲート職員の前に立った瞬間、入国ビザ発行手数料40ドルを請求された。
スパイスジェットの職員にトランジットのみはビザ不要と言われた旨を職員に伝えると、ふざけるなと少々高圧的な態度で40ドルを要求された。
カウンターで揉めていると上司と思われる職員が登場し説明を受けた。
トランジットのみでも航空会社が違うと出国扱いになってしまうとのことだった。
仕方なく40ドルを支払う決意を固めた。
私は天下のマスターカードを渡し支払いを試みたが、機械の調子が悪いので現金で払うように要求された。
他の機械を試してくれと要求し、隣の機械を試したが使えないと言われた。
この時点ですでに私の怒りのバロメーターは溜まってきたが、気持ちを押し殺しすぐ後ろの両替カウンターで手持ちの円をルピーに両替した。
その瞬間だった、入国カウンターの職員が何やら叫んでいるのだ。
慌てて戻るとやっぱりカードが使えるからカードをよこせと言うのだ。
両替カウンターの職員に両替をキャンセルする旨を伝えたが、書類を発行したのでもう無理だ、さっさと札を取って消えろと言われた。
ここで怒りはピークに達し、入国カウンターの職員に手数料を負担するように詰め寄ったが、こちらに非は無いの一点張りだ。
仕方なく両替したルピーで支払い、カウンター職員を睨みつけた。
ゲートを出ると先ほど説明を受けた上司に肩をポンと叩かれたので軽く笑い飛ばした。
正直異国の地でこの状況に陥り泣きそうだった。
入国ゲートを探し始めたが、そこら中にライフルを体に巻き付けた軍人がいてそわそわしてしまう。
インドはどうやら軍事政権らしい。
すぐにゲートが見つかり通ろうとしたが、軍人に止められた。
フライト情報を見せるように言われたためスマートフォン上の画面でフライト番号・予約番号を見せたが、読めないと言われた。
フライト番号はどこも共通してローマ字大文字+数字なので読めないはずがないと言ったが、ここでも足止めを喰らった。
インドにはもう一生来ない。
15分ほど足止めを喰らった後ここでも軍人の上司が現れ、事情を説明するとゲートを通してくれた。
インド飯(白・緑・赤)
この1時間で1日分の気力を使い果たし、さっさと次のフライトの航空会社・エアインディアのチケットを発券し、税関を通過し、搭乗ロビーで休むことにした。
その途中で先ほど両替したルピーの余りで本場のカレーをテイクアウトした。
ベンチに腰掛け、テイクアウトしたカレーの蓋を開けた。左右にブロックに分かれたプラスチック容器で、右下にナンのようなもの、残りの3ブロックに白・緑・赤のカレーが配置されていた。
まずは味が優しそうな白から食べた。口に運んだが特に匂いもせず、なんせ冷たい、そして味がしない。
強いていうならば豆をすりつぶしたような香りが遠くの方からするくらいだ。
要するにまずい。
次に緑だ。
これは口に運ぼうとした瞬間青臭い臭いが鼻を突き刺した。
説明するのが難しいが、小学生時代に公園を駆け回り、転んでしまった時に倒れた顔の目の前に生えていた"ドクダミ"のような臭いだった。
故に食べられるものではなく、緑からは手を引いた。
最後に赤だ。
これは言うまでもなく辛すぎて食べられなかった。
これではっきりわかったのは、インドと私は運命的に相性が最悪ということだけだ。
カレーを諦めゴミ箱に投げ入れた。
そしてカレー屋の隣にあったネパール餃子"モモ"専門店でモモを購入した。こちらは絶品だ。
皮に包まれていたのは羊の肉でチーズも入っていた。どうやらネパールが私を呼んでいるらしい。
モモ専門店の前のテーブルでは、アジア系の若者がセルカ棒にiPhoneを取り付け何やら動画撮影をしている。
先ほど私がゴミ箱に投げ入れたものと同じカレーを食べながら、味をレビューしているようだった。
どの国でもyoutuberまがいの行為は流行っているのかと思いつつ食事を終わらせそのままベンチに座り込んでいた。
インド人インスタグラマー
隣にインド系の若者が座ってきて、私がイヤホンで音楽を聴いていることを気にも止めず話しかけてきた。
韓国人か?と聞かれた。
私は海外に訪れると必ずと言っていいほど韓国人に間違われる。
それは国外に限ったことではなく、北海道・美瑛のカフェに入店した時にも英語で話しかけられ、ハングルのメニューを渡されたことがあった。
このように今回のシチュエー ションには慣れていたため、今回も例に倣い私は日本人だと訂正を入れた。
話を進めるとどうやら話しかけてきた彼はインド人で26歳のエンジニア、さらに目的地はネパール西部のアンナプルナベースキャンプだそうだ。
同じトレッキング目的だったので話も弾んだ。
彼は何度かネパールにトレッキングで訪れたことのあるベテランだった。
それでも標高4000m程度までしか登ったことがなく、今回私が標高5460mまでガイドなし (ネパールトレッキングではガイド・荷物持ちのポーターを雇うことが一般的)で行くと言うと驚いていた。
すると彼は自分のInstagramのアカウントを提示してきた。
フォロワーが8000人もいて驚いた、フォロワー150人程度の私のアカウントも提示し交換した。
話しながらフライトを待っていると、飛行機の到着が遅れているとのアナウンスが入ったが、インド人の彼が逐一情報を私に伝えてくれたためこれといってソワソワすることもなかった。
それにしても先ほどのyoutuberまがいのアジア人は未だに自撮りをしながら動画を回している。
結局フライトは1時間遅れとのことで搭乗口が開いた。例のインド人とは席が離れていたためここでお別れした。
ほのぼのとした機内
飛行機に入り席を探すと、三つ並びの真ん中だったため少し心配だったが、窓側の右には欧米系と思われるヒゲを生やしキャップを被った若者、左にはインド系の民族衣装を 纏ったおばちゃんが座ってきたため安心した。
座ってすぐ隣の若者が話しかけてきた。
話していくと彼はネパール人でオーストラリ ア・シドニーで大学に通っており、今回は帰省するとのことだった。
すると左のおばさんも会話に参戦してきてたちまち井戸端会議の火蓋が切って落とされた。
どうやら左のおばさんもネパール人で右の若者と故郷が近いらしく私を挟んでだいぶ盛り上がっている。
どちらも前のめりになって話しているため、私のパーソナルなスペースが皆無だったが不思議と不快な空間ではなかった。
周りを見渡すと、このような光景があちこちで見られる。
こんなにピースフルな機内の光景を私は初めて見た。
会話が弾むうちに機内食が出てきた。
中身はチキンカレー・芋を炒めた何か・パン・ドラゴンフルーツのセットだった。
カレーを一口食べたがコルカタ空港で食べたがカレーの赤よりもマイルドな味だったため美味しく食べることができた。
全て食べ終わった後には紅茶も出てきて上空での優雅なティータイムを楽しんだ。
「この食事最高だな、マリファナがあればもっと最高だな」ハリウッド映画で覚えたジョークを飛ばしたところ、右に座る若者にめちゃくちゃウケたので嬉しかった。
するとその若者は「ネパール・カトマンズはマリファナが盛んに売買されているぞ、警察もほとんど干渉してこない」と真剣な表情でネパールのドラッグ事情について語ってきた。
彼は留学先のシドニーでマリファナを愛用しているようだ。
海外のドラッグ事情を聞いていると、あっという間にネパール・カトマンズに所在する最終目的地、トリブバン国際空港に到着した。
両サイドの2人に別れの挨拶を済ませた。
目的地到着
足早に飛行機を飛び出すと、機体と空港本体はドッキングしていなかったため梯子で滑走路に直接降りた。
このタイプの下車は人生初体験であったためテンションが上がった。
さらにそこからシャトルバスに乗り、滑走路から入国ゲートに連れて行かれた。
ゲートに着くと、邦人用・異邦人用と窓口が分かれていたため入国カードの記入・両替を終わらせ、異邦人用窓口に並んだ。
窓口が2つしかなくゲートはとても混雑していた。
急いだつもりがだいぶ後方に並ぶことになってしまい、1時間はかかりそうだった。
未知との遭遇
列に並んでいると後ろからアジア系の若者に声をかけられた。
よく見るとコルカタ空港でビデオを回していた彼ではないか。
話を聞くと彼はこの旅からYouTubeを始めようとしているらしい。
そこでいきなりインタビューを申し込まれた。断る理由もないので応じ た、出身国・目的地などを一通り伝えた。
唯一屈辱的だったのは英単語が出てこなかったため、勉強していないことが相手に筒抜けになったことだ。
インタビューしてくれたのは台湾人のクリス、台湾で日系企業に勤めている好青年だった。
2人で話しながらやはり1時間ほど窓口の前で待たされた。
無事に出国すると、クリスはsimカードの契約をするので待っててくれと言われた。
空港出口に行くと迎えの人であふれていた。
どうやら話を聞くとネパールの祝日で帰省する人が普段に比べて多いらしく、迎えの数も異常だった。
ガラス越しに人々がこちらを見ていて品評会の競走馬になった気分だった。
写真を撮りながら待っていると、クリスが別のアジア系の若者と仲良くなったようで3人で街までタクシーに乗ることにした。
タクシーの話
3人でタクシー運転手にそれぞれ値段を尋ねた。
一番安かったのはクリスが尋ねたタクシーだ。
そのタクシーは1000ネパールルピーと言われたため値切ろうとしたが、応じてもらえなかった。
私が空港のカウンターに尋ねると700ネパールルピー固定で乗れるとのことだった。
カウンター職員の案内に3人とも従って車に案内された。
なんと先ほど1000ネパールルピーを提示してきたドライバーの車だった。
これには3人とも笑うしかなかった。
無事にタクシーに乗車すると、もう1人の若者がタイ人であることが判明し、彼のタトゥーアーティストの友人がカトマンズにいるとのことだったのでその友人を3人で尋ねる運びとなった。
いきなり脱線する旅
乗車15分ほどでタメルのメインストリート(図4)に到着し、タメルの外れにあるタトゥースタジオを訪れた。
シャツにネクタイをつけたフォーマルな格好の男性が私たちを出迎えてくれた。
この人がタトゥーアーティストなのだろうかと言う疑問を持った。
私が知っているタトゥーアーティストといえば身体中にタトゥーが入っていて、ストリートっぽい ファッション、大体はキャップかニット帽を被っているのが一般的な像だ。
スタジオに入り話を聞くと温かく出迎えてくれた彼がどうやらタイ人の友人でありタ トゥーアーティストだと言うことがわかった。
スタジオの壁には独創的な手書きのイラストが隙間なく埋め尽くされていた。デザインに一通り目を通すと一般的なタトゥーアートと並んでで仏教を感じさせるデザインが多い印象だった。
それについて尋ねると、依頼者の中には自分の信仰をタトゥーデザインに落とし込んで欲しいと望む人が多く、それに答える形でデザインしているから自ずと宗教的なデザインが多くなるとのことだった。
さすが仏教の国ネパールと思わず感じたエピソードである。
その後お茶を出してもらい、ティータイムをしているとあっという間に21時を回ったため、この日に泊まる宿に向かうことにした。
タイ人とタトゥーアーティストはスタジオに残ると言ったため、クリスと2人で同じ方向にある宿に向かった。
宿に向かう途中耳と体を揺らす重低音が鳴っていることに気付いた。
音の在り処を探すとすぐにナイトクラブが見つかった。
せっかくの出会いだし、このまま踊るか?とクリスに尋ねられたため、二つ返事でイエスと答えた。
荷物が大きかったため先に宿にチェックインしてから再合流することにし、フェイスブックのメッセンジャーで連絡を取り合った。
1日目の宿
この日はタメルストリートの外れにある、ホテルブライトスターという宿を予約していた。
ホテル予約サイトのブッキングドットコムでバストイレ付きの部屋を探していたところヒットしたところだ。
一泊900ネパールルピーという格安宿であったため、あまり期待はしていなかった。
いざホテルの目の前に着くと、周りは薄暗く不気味な気配が漂っていたが特に気に止まることもなくホテルの扉を開いた。
迎えてくれたのは40歳前後とみられる夫婦とその子供だ。
見るからにいい人そうだったので安心した。
すぐにその日の分の料金を支払うと子供が部屋まで案内してくれた。
部屋は二階で、どうやら向かいがオーナーたちの部屋らしく何か困ったらノックしてくれた言われた。
子供が私の部屋の鍵を開け、シャワーの操作説明を簡単に終わらせ足早に部屋を去っていった。
クリスとナイトクラブに行く約束にしていたため、すぐに荷を解いてバスグッズを取り出し2日ぶりのシャワーを浴びた。
2018年の東南アジア行の時には半分ほどの宿では熱いシャワーが使えなかったため例え冷水シャワーが出てこようが動揺することはなかったが、この宿では熱々のシャワーが確認できさらに水圧まで完璧だったのでテンションが上がった。
休憩も束の間ですぐに着替えて部屋を飛び出しオーナーに帰りが遅くなる旨を伝えた。
23時に防犯上の理由で扉を南京錠で閉じるのでそれ以降はチャイムを鳴らして知らせてくれた言われた。
少し嫌な顔をされたが見なかったことにし、クリスと待ち合わせているナイトクラブに向かった。
ナイトクラブの話
ナイトクラブに私が着くともうすでにクリスは着いていた。
待たせて申し訳ないという軽い謝罪をしたが、それを吹き飛ばすような重低音が扉から漏れてきたため謝罪が伝わったかは確かではない。
すぐに入場料の300ネパールルピーを支払い、入場用リストバンドを左手に巻いた。
セキュリティスタッフまで雇っている立派なイベントだった。
扉を開きメインフロアに着くと私は目を疑った。
控えめに言って人生で5本の指には入る立派なクラブだった。
メインフロアの四方には、棚田のような形状でVIP席が広がっており、そのほとんどの席はいかにも成金な格好をしている人々とネパール美女で埋まっていた。
発展途上国の雰囲気を味わいにきた私は度肝を抜かれたのだった。
VIP席の下にあるメインフロアでもネパールのヤングジェネレーションたちが踊り狂っているではないか。
私とクリスはしばらく様子を伺いビールを注文した。
確か350ネパールルピーだったため、200ネパールルピーがあれば腹を満たせる町の物価よりはだいぶ高いことがわかる。
私とクリスは酒を飲み、踊り、ネパールの若者の勢いに負けじと楽しんだ。
1時間半ほどがあっという間に経過し、長旅の疲れもあったためこの日は早めに解散することにした。
この時点で時計は12時を回っていた。
急いでホテルに戻ると予告通り扉は南京錠でガチガチにロックされていたため、 チャイムを鳴らすと中から目を擦りながら主人が扉を開けてくれた。
とても申し訳なかったがこちらも旅に来ているので許して欲しいと心のどこかで思いながら部屋に戻り気づいた時には夢の中であった。
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