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天空のオアシスへGOKYO LAKE〜Day8〜

GOD morning

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AM6:30のアラームで目が覚めた。

この日も手足に痺れが出ていたが、体調は悪くなさそうだ。

横を見ると大田原さんは既に起きていた。

外で眺めを楽しんでいるのか、それとも歯磨きだろうか。

光が差していて天気が良さそうだったため防寒対策を十分にとり、外に出た。

驚いた。

そこには人生最高の"朝"が広がっていた。

一瞬時が止まったような気がした。

ふと我に帰り、急いで部屋に戻ってカメラを取り出した。

そこから15分ほど夢中でシャッターを切り続けた。

美しいという言葉以外で形容するのが難しい。

宿の庭にかかった洗濯用の紐・洗濯バサミという生活の象徴の背景には太陽に照らされた上部を白く染めた荘厳な山が鎮座していた。

それに加えて雲ひとつなくどこまでも青い空が広がる。

山の下を見下ろしてみるとそこには真っ白な雲海が広がっていた。

それぞれの要因が相互に働き合い、最高の景色を演出していた。

私はその景色に見惚れながら歯ブラシを口に突っ込み現実世界に戻って行った。

2人目の日本人

ポルツェタンガまでの急な下りを順調に歩いていると下から登ってくる男性が話しかけてきた。

2日ぶり2人目の日本人に遭遇だ。

歳は60過ぎくらいに見えた。

とても気さくなおじさんだ。

”それにしても日本人が少ないな"と私たちに嘆いていた。

この男性は何度もここを訪れているが、バブル期などに比べて日本人が減ったと言っている。

国の経済の勢いがそのままハイカーの国籍比に直結しているのではないかと感じた。

私たちの若い世代がもっと頑張らないといけない。

そんなことを考えながら男性とは別れた。

彼はポーターを雇っていたので割と裕福なのかと推測された。

ポルツェタンガ

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そのまま順調に歩を進め、1時間弱で今日の中継地点ポルツェタンガに到着した。

時間はたっぷりあったため、ここで長めの休憩を取った。

私は激甘のホットチョコレートを飲んだ。

30分ほど休んだ後、標高差400mの登りを歩き始めた。

アーミーポスト

ポルツェタンガを出てすぐに左側にアーミーポスト(ネパール軍管轄のチェックポイント)に到着した。

全身をミリタリーウェアに包んだ正真正銘の軍人が3人ほど椅子に座っていた。

彼らにパスポートと国立公園の入校許可証を渡し、すぐに通行が許可された。

ビジネスおばさん

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アーミーポストから歩くこと2時間ほどでこの日の目的地、標高4110mのドーレに到着した。

実は前日に宿泊したモンラの宿の店主からドーレな宿を紹介されていたため、渡されたカードを頼りに宿を探した。

しかし何度見渡しても目当ての宿が見つからない。

現地の女性が立っていたため彼女に尋ねた。

すると彼女は”ここだよここ"とテンション高めに建物の中に誘導してきた。

明らかにカードに書かれた名前と建物に張り出されていた名前がマッチしていなかったが、気にせずに中に入った。

すぐに部屋に通され、荷を解いた。

すると部屋の窓からカードに書かれた宿が見えた。

完全にやられた、あのビジネスおばさんに。

まあしかしどこに泊まっても同じな気もするので特に怒りは込み上げてこなかった。

そのまま宿のレストランで昼食をとった。

ちい散歩

腹ごしらえを終えた私たちはまだPM2:00前だったこともあり、ドーレの近くのピークまで登ってみることにした。

そのピークは標高4330mなので200m近い登りになるわけだ。 

バックパックを置いて小さなナップザックを背負い込み歩き始めた。

30分ほど歩くと頂上についた。

特筆すべきことはない小さな山だった。

足慣らしには最適だ。

頂上で10分ほど休み、すぐに下山し宿に戻ったり。

サステナブルの話

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今まで宿泊してきた宿のダイニングルームにはどこもストーブがあった。

冷え込みの強い朝晩のみストーブに火が灯る。

日本では電気を使用したエアコンが主流で、ガス・灯油のストーブも一部使われているのではないだろうか。

しかしここの燃料はとてもエコだ。

ここではヤクや水牛の糞を使っている。

宿の庭にはその糞を丁寧に円盤状に形取られたものが天日干ししてある。

水牛もヤクも草しか食べないため、糞は燃焼効率のいい燃料に化けるのだそうだ。

糞を燃やすというとさぞ臭いが強いのかと思うかもしれない。

しかし実際には臭いはほとんどしない。

荷物を運んでいる動物たちがその怪力だけではなく、排出する糞までもが人間の生活にとって重要な役割を果たしているのだ。

こんなにたくさん”糞”という言葉を連呼したのは生まれて初めてだ。

これこそ無駄のない真のサスティナブルな生活なのかとしみじみ感じていたのであった。

生活リズム

この頃になると朝起きる→歩く→寝るというリズムが完全に出来上がっており、体にそれが染みつき始めた。

目的地には昼過ぎには到着してしまうのでそこからは寝るまで時間を潰すだけだ。

何とも健康的でミニマルな生活を送っていた。

そのためこの紀行文にも昼過ぎ以降の時間帯で書けるようなことが特にないのだ。

この日はこのまま夢の中まで早送りする。

ちなみをこの日の夕食はシェルパシチュー(根菜とすいとん入りシチュー)をいただいた。

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