天空のオアシスへGOKYO LAKE〜Day3〜
目覚め
朝9時ごろ、窓からさす光によって半ば強制的に1日が始まった。
長旅と2日目のジェットコースターのような展開による疲れがまだ体の節々に残っていることが確認できた。
この日の予定はゴーキョトレックに必要なトレッキングパスポート(通称TIMS)を発行する・トレッキング開始予定地ジリまでのバスの予約・不足している装備の買い足しである。
TIMSは宿泊しているホテルから徒歩40分程度にあるネパールトレッキング観光局で発行 できる。
観光局の近くにバスターミナルがあるので一石二鳥だ。
バスターミナルでのバスの予約は午前中までとの情報を昨晩のタトゥースタジオの主から手に入れていたため、軽くシャワーを浴びて身支度をし、ホテルを出た。
この時点で宿泊しているホテルを気に入ったため連泊する旨をオーナーに伝えておいた。
料金の支払いはホテルに帰ってきてからでいいそうだ。
異国の景色
徒歩でバスターミナルに向かう途中美味しそうなバターチキンサンドが露店で売っていたため120ネパールルピーで購入し食べながら歩を進めた。
昨晩圧倒的な混雑を見せていたタメルストリートも朝は人通りが少なく、野菜などをビニールシートに乗せて路上で販売したりしている比較的ほっこりとした空気が漂っており、とても同じ場所とは思えな かった。
視線を送る先々に日本とは真逆の世界が広がり、とても刺激的な光景だ。バスターミナルの手前に薬局があったため、下痢止め・高山病薬・経口補水液の粉をまとめ買いした。
謎のお坊さん
バスターミナルに向かう途中、混雑した道の反対側からオレンジ色の袈裟を着た老人が私の顔を見ながら近づいてきた。
少し不気味な気もしたが、すかさず笑顔で返した。
2人の距離が近づくにつれて老人の右腕が徐々に上がってきた。
私は握手を求められているのかと思い右手を差し出そうとしたところで私たちは対面した。
2人の動きが止まる。
すると握手するのかと思っていた老人の手が私の額に伸びてきた。
額に軽く触れられた。
右腕を体の横に戻した老人は私に銭を要求してきた。
私はなんのことか分からず拒否した。すると老人の表情が一変しなにやら声を荒げている。
ネパール語がわからない私にでも、それがいい言葉ではないことだけはわかった。
私は少し怖くなり早歩きでその場を脱出した。
そして先ほど触れられた己の額をスマートフォンのカメラで確認した。
すると見覚えのある赤い点が私の額にこべり付いていた。
日本人が想像するインド人像だ。
あまりにも顔にフィットしていなかったため、私は恥ずかしくなり急いで額の赤を拭き取った。
この老人とんでもない商売をしているものだ。
おそらく本物のお坊さんではなく観光客相手に銭をたかる商売人なのだろう。
気をつけなければ。
予定変更
バスターミナルに到着すると人がごった返しており、目的のジリ行きバスのカウンターが全く見当たらない。
というか全てネパール語表記のため読む術がない。
やっとの思いで外国人用インフォメーションセンターを見つけ出し、係員のお兄さんにジリ行きのバスを尋ねた。
ここで今回の旅を揺るがす驚愕の事実が判明する。
ネパール大型連休中により次の日からバスは全て運行が取り止められるということだ。
これには流石に笑うことしかできなかった。
自分のリサーチ能力不足を責めるとともに他の策はないか考えた。
まずは地球の歩き方を開き、ゴーキョトレックのページをじっくり見た。
ほとんどのトレッカーはジリより標高が1200mほど上にあるルクラまでセスナで飛ぶと記載されていた。
私もこの事実は知っていたため、仕方なくバスターミナルを後にし観光局でなんの問題もなくTIMSを発行した後ホテルに戻り作戦を練り直した。
セスナに乗り込むには360ドルかかることを知っていたため、費用を計算した。
ルクラから登り始めた場合全体の工程が5,6日短縮されるため、実質的な負担増になるのは300ドル(33000円)だ。
計算したところギリギリ予算が足りそうなことが分かったが、念のため父親に一報を入れ3万円を口座に振り込んでもらうようにお願いした。
予算の問題が解決した。
セスナのチケット
先ほどのアプリにパン屋の地図を打ち込み地図上を動く現在地の点を頼りに歩いた。
ところが目的地付近に着いたが全く見つからない。
どうしたことかと思い、街角に立っていた人の良さそうなネパール人の青年にパン屋を尋ねた。
すると彼は突然"こんにちは"と挨拶してきたのだ。
一見珍しいエピソードに聞こえるが、親日国家で日本人トレッカーの多いこの土地では簡単な日本語程度なら話せる人が意外といるのだ。
"こんにちは"の後には英語で"トレッキングするのか?"と聞かれた。
私が明らかなトレッカー体型で、トレッカーファッションを纏っていたため順当な流れだ。
"そうだ"と答えると実は俺ルクラまでのフライトを手配する代理店なんだとカミングアウトしてきた。
タメルストリートを歩いていると代理店の客引き合戦が起きているため少し怪しんだが、終わったらパン屋を紹介してくれるとのことなので黙ってついて行った。
話していた場所からわずか30秒ほどのところに位置する綺麗なビルに連れて行かれ、3 階に構えるオフィスに通された。
地球の歩き方にはフライトの相場が360ドルと記載されていたため、念のためカマをかけ"相場は往復300ドルくらいだろ"と言うと"ハハッ"360ドルだよ"と言われた。
値段の交渉には失敗したが、法外な値段をふっかけられることもなかったためこの男を信用することに決めた。
クレジットカードで支払いができないと言われたが日本円でもいいと言われたため現金で支払い、書類に必要情報を記入するとすぐにチケットを発券してくれた。
しかし説明を受けていくと少し不安な点が出てきた。
飛行機が発つ飛行場までは首都カトマンズ から車で5時間ほどかかるため明朝3時に出発すると言うからだ。
この日の晩はクリスと晩ご飯を食べる約束をしていたし酒も飲むわけだから起きられるか誠に心配であった。
まあどうにかなるだろという安易なメンタルで不安を強引に吹き飛ばした。
チケットを手にした私は目当てのパン屋で巨大クロワッサンと紅茶を食べてから宿に戻った。
戻る途中、いくつか雑貨屋に入ったがトレッキングのことを考えると荷物を増やすわけにもいかないためスルーした。
まだまだ疲れが残っていたため昼寝をすることにした。
呼び戻し(日本人との遭遇)
ホテルに戻りウトウトしてきて、今にも眠りになりそうになったその時、携帯が鳴った。
LINEの無料電話で、相手は先程の代理店のお兄さんだ。
何か不備でもあったのだろうかと思いながら恐る恐る電話に出ると、もう1人全く同じルート・日程でトレッキングをする日本人が事務所に来たのでよかったら来るか?とのことだった。
ネパールに来てからまだ日本人に遭遇していないので少し嬉しくなる気持ちとせっかく1人で来たのだから日本人には会いたくないという気持ちの板挟みになるが断る理由もないので事務所に向かうことにした。
スースーする成分入りの汗拭きシートで顔を拭き、眠気を飛ばし急いで事務所に向かった。
事務所につき、先程の部屋に行くとそこにいたのは想定外の見た目をした日本人だった。
50歳ほどと思われる男性で肩まで伸ばした長髪に髭面という独特の風貌をしていた。
私は思った"この人面白そうだな"と。
第一印象からだけでも明らかに普通ではない歳の重ね方をしていそうだ。
その男性の隣に座り話すと見た目とは裏腹に割と硬い印象を受けた。
彼も同じようにジリから歩こうとしていたがバスが見つからずセスナのチケットを取りに来たそうだ。
お互い1人でネパールに来ているのでどこか空気はぎこちなかったが、なんとなく私自身と同じ匂いがしないでもない。
男性の発券が終わり明朝3時発の車に乗るとのことだったので、その場では”また明日"ということでお開きになった。
この日分かったことは日本人男性の名前が大田原さんで見た目と中身のギャップがある人ということくらいだった。
唯一の共通点は"こんな"場所を"1人"で訪れてる点である。
この時点では元々1人で歩こうとしていたのでセスナを降りたら1人で歩こうと思っていた。
いろいろなシチュエーションを脳みその中で繰り返しながら宿に戻った。
クリスから18:30に集合して晩ご飯を食べようという連絡を受けたのでそれまで寝ることにした。
クリスと晩ご飯
18時ごろアラームで目が覚め、集合場所に向かった。
クリスと合流後、彼がリサーチしたおすすめのネパール料理屋に行く運びとなった。
ビールを飲み、ネパール餃子のモモとバターチキンカレーを食べた。
私の会計は確か400ネパールルピーほどだったと記憶している。
味は可もなく不可もなくといったところだ。
バターチキンカレーの味に関しては無印良品で販売されているレトルトのものの方が上だ。
日本のレトルト製品のクオリティの高さを身をもって実感した。
食事中にクリスがお前はどういう職業につくのかと聞いてきたのでサラリーマンだよと答えると、"お前は正気か?日本のサラリーマンは世界から最低と思われているぞ"と真顔で言われた。
なので僕も"僕はクレイジーだ"と真顔で返した。
そういえば昨日、タイ人とクリスと3人で晩飯を食べている時も香港デモの話題になり個人としての意見を求められたシーンがあった。
少なくとも日本で私の周りの友人でデモについて議論している人などいなかったため、YouTubeで見たデモに関する解説動画の記憶を掘り出しなんとかその場を誤魔化した。
日本人は政治的意見をあまり持たないなと言われたが特に言い返しもしなかった。
図星だからだ。
それと同じでこの職業の話も日本という島国に生きているが故に盲目になっているのかもしれないと感じた。
外国人からの第三者的な意見を聞けるいい機会になった。
レストランを出た私たちはタメルストリートを散歩することにした。
薬物売買現場に潜入
時刻は20時前だった。
祝日初日だったからか2日目よりもタメルストリートは混雑していた。
歩いていると2分間隔でドラッグの売人に声をかけられる。
クリスが数日後カトマンズに到着する友人のためにマリファナを調達したいと言い始めたので、私は彼に売買の現場について言っていいかと尋ねると快くokしてくれた。
数人の売人から販売額を聞いたところ1gあたり800ネパールルピーが相場であることが分かった。
日本で一般的とされている1gあたりの相場5000円の6分の1ほどの価格で取引されていることがわかった。
クリスがこの売人にするという目線を送ってきた。
キャップを目深にかぶり顔をわからないようにし小汚いジャケットを着ている明らかに怪しげな男性が今回の売人だ。
売人が提示してきたのは乾燥大麻ではなく大麻ワックスだった。
タバコのように吸引する乾燥大麻ではなく、大麻をすりつぶして釣り堀の鯉のエサのような状態にしたものだ。
その大麻ワックスを1gあたり800ネパールルピーでの取引を持ちかけてきた。
この1gは使用回数にすると7回程度になる。
売人の男はメインストリートでの取引を嫌い、私たちを裏路地に引き連れた。
ここで待っていてくれと言われ売人は一度どこかへ消えた。おそらくブツを何処かに取りに行ったと思われる。
路地の一角に3分ほど待たされたあと売人が戻ってくると、次は慣れた様子で裏路地にあるレストランに案内された。
卓に座るともう1人の男がすでに準備をして待っていた。
そのもう1人の男が紅茶を人数分(4つ)注文して、程なくして紅茶が卓に提供された。
店員と売人たちが仲睦まじく会話しているところから考えて、このレストランは売人たちの取引に頻繁に使われていると思われた。
紅茶をすする暇もなく、売人たちがサランラップにギチギチに巻かれた大麻ワックスを見せてきた。
匂いを嗅ぐと言いようのない刺激的な匂いがした。
売人たちはこのワックスの量は10gであると言っていた。
1g800ネパールルピーなのでこれを全て買うとすると8000 ネパールルピー、日本円で8000円になる。ク
リスの希望購入量は5gほどであったが、売人たちは10gをなんとか購入してもらおうと値切ってきたが、クリスはそれを突っぱねた。
売人たちは10g6500ネパールルピーでどうだと最終価格を提示してきて、クリスはそれを飲んだ。
外国人の私たちにこの価格で取引を持ちかけてきたことを考えると、ローカルの取引価格はもう少し下の価格帯にありそうだ。
クリスが6500ネパールルピーを手渡すと大麻ワックス10gがクリスの手に渡った。
元々卓に座っていた売人が席を立ち外に出て行った。
私たちに話しかけてきた怪しげな売人とクリスと私で少し冷め始めた紅茶を飲んでいると、怪しげな売人がチップを要求し始めた。
クリスは6500ネパールルピーを支払っているため売人の不可解な要求に少しばかりキレていた。
その後怪しげな売人に詳しく話を聞くと、先ほどまで座っていた男が上司であり怪しげな売人は日本で言うと居酒屋のキャッチのような役割を担っていた。
連れてきた客との取引が成立するごとに売り上げの10%が懐に入る契約とのことだった。
ここまで聞けばあとはこっちのものだ。
怪しげな売人にもしっかりと金が回っていることを確認し、要求されたチップの支払いを拒否した私たちはレストランを後にした。
ブツを手にしたクリスはどのか満足げに見えた。
クリスとの別れ
この2日間ともに行動してくれたクリスはめちゃくちゃにいいやつであった。別れ際に台湾のポストカードにメッセージまで書いて渡してくれたのだ。クリス申し訳ない。あのポストカードはどこかへ行ってしまい、私とともに帰国することはなかった。この日も例によって扉は閉まっていたため、慣れた手つきでベルを鳴らした。すると眠い目を擦りながらご主人が扉を開けてくれた。全くのデジャヴである。部屋に戻り早朝出発に備え、シャワーを浴び、全ての荷物をバックパックに仕舞った。これですぐにでも出発する準備が整った。アルコール耐性がそこまで高くない私にしてはこの日はだいぶ飲んでしまったため、AM2:30のアラームをセットし、すぐに眠りについた。起きれられるだろうか。
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