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普通って何なのよさ

HIKAKINさんが炎上しているらしい。
なんでもスプラトゥーン3というゲーム配信をしていてキャラメイクの際に肌の色を選ぶ場面で「普通でいいか」と発言して黄色人種の肌色を選んだのが原因とのこと。

「普通とはなんだ!」
「白や黒の肌は普通ではないのか!」

という声が飛び交って軽めのボヤ騒ぎになっているそうだ。

いや、もうこれ、放火じゃないですか?
恐らくHIKAKINさんには悪意はないし、白や黒の肌が普通ではないという認識はない。
でも無意識にこそ差別意識が眠る、そういう発言こそ意識していくべきだ、という意見もあるだろうし、ましてやHIKAKINさんの動画は子供たちがメインの視聴者層なのだから人一倍注意しなければならないという見方もある。
そういう考えをもった人間(以下、そんな人)が今回の炎上をたきつけたのかもしれない。

しかし、だ。この「普通」という言葉にそんな人はあまりにも期待をかけすぎてはいないだろうか。世界中にはありとあらゆる人間が住んでいる。今回話題になっている肌の色はもちろん、瞳の色、生まれた場所、言語、主食、してはいけないハンドサイン、部屋に入るときに靴を脱ぐかどうか、そういったことは国や地域でなにもかも違う。すべての人間に、その人間たちの「普通」があるのだ。

例えば、HIKAKINさんが動画で「あ~今日の晩御飯は普通にお米にしとくか~」なんて発言したらどうなる?そんな人は「普通ってなんだ!パスタを食べる人間は普通じゃないのか!」とか言うのだろうか。

今回言及したいのは、「人と同じことを普通」としてを押し付けるのはきっと正しくない気がするということだ。これは言うまでもないことのはずなのに、そんな人は「普通」がすべての人間に共通されなければならない価値観や状態だと考えているように思える。
多様性とは何か。それは、「一人一人の普通」を受け入れることである。各国の、各地域の、各人間の「普通」はすべて違うはずなのだ。性別も恋愛対象もなんでもいい。それを否定してはならない。

ランドセルの色は、女の子が赤色、男の子が黒色でなければならないという決まりなどはもちろんない。なぜ女は赤なんだ!男は黒なんだ!と誰かが声を荒げていた時代があったようにおもう。その通りだ。茶色でも水色でもピンクでも何色でもいい。好きな色を選べばいい。赤を選ぶ男の子がいてもいい、黒を選ぶ女の子がいてもいい。
ただひとつ問題なのは「赤色を選びたい女の子」を否定してはいけないということだ。行き過ぎた多様性が本質を見誤り、「女の子らしくいたい」という女の子を否定してはいけない。たまにいる。そんな人
※赤色=女の子らしいという意味ではないです。あくまでも一例として。

結局なにが言いたいのかというと「普通」という言葉をもっとカジュアルに使える世の中になってほしいということです。「普通」に対して重いプレッシャーをかけてはなりません。一人一人の普通があっていいのです。

なんて、普通に言うこともできない世の中なんですよね。世知辛。

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