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久しぶりの執筆。18歳は21歳、つまらない大人になった。

久しぶり、note。
別に放置しようと思ってしていたわけではなく、かといって意識的に書こう、書かなきゃと思っていたわけでもなく。

なんとなくずるずる書かないまま、特に誰かの書いた文章を読むこともなくここまできている。

久々にアプリを開き、シンプルなアプリデザインと、更新されているおすすめ記事の群れに、誰かがどこかで執筆をしているであろうことをひしひしと感じ、あぁ今日も世界は動いているんだなと意味不明なことを考えた。

高校生の頃にメインで書いていたnoteだが、私は今年21歳になった。立派な大人。(になれている気はしない)

よく昔書いた記事を他人の記事を読むかのように読み返すことがあるが、一つ言えるのは高校生の私の方が感性が鋭いということだ。

私はよく人に文章力を褒められることがあるが、さしてそこまで上手くないと思っている。今も昔もだ。だが、数年前のnoteの方が上手い下手は置いておいても、様々な目線から物事を捉えられている。そして書きたいことを書きたいように書いている気がする。

私はつくづく自分がつまらない大人だと思う。
特に秀でた才能などなく、頭の良し悪しで言えば悪い方、日本語以外の言語もできないし計算もできない。

勉強面を除いても特に面白みのない人間で、このnoteもTwitterの裏垢(密かに所持しているフォロワーの少ない、ただ私が思ったことや嫌だったことを綴っているアカウント)に書き込むように書いている。

21歳、学生だが就職というでかいイベントが近づき、より自分のつまらなさと非力さ、才能のない凡人であることを痛感して嫌な気持ちになる。

就職活動が成功したとして、あぁ自分は社会の歯車になって、満員電車に揺られ群衆の海で右往左往するただの大人になるのか、とよく考える。

むしろそこでそうならない人間の方が稀なのだが、どうにも残りの人生がそんな風に進む毎日なのは少し抵抗がある。かといって、そんな人生を覆すような才能も知識もお金もないわけだからどうにもできないのだけれど。

いつか駄文のような私の綴る文章が、一冊の本になったらいいのにと考える。
他サイトで小説を書くなどしているがそれが実ったらいいのにと考える。

小さい頃に抱いた夢が時を重ねるごとになくなっていく、しかしその中で残っている数少ない夢だ。

社会の歯車になることはきっと止められない未来だろう。せざるを得ない覚悟だ。
だが、そんな未来に少しの面白みを追加するのは悪いことではないと思う。

趣味が昂じてお金になるだとか、承認欲求が趣味や特技に結びついて爪痕を得るとか、歯車の回り方が少しばかりおかしくなったり、スピードが変わったりする、そんな未来が来てほしい。

そんなことを考える、21歳ただの凡人である。
つまらない大人にはなりたくなかったんだけどな。

嗚呼、つまらない大人になってしまった。

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