【ウーユリーフの処方箋考察】キリオとマツリの思考実験
この記事は脱出アドベンチャーノベル『ウーユリーフの処方箋』のTRUEENDおよび、特別ストーリー(+特スト特典)を購入・鑑賞した筆者の、個人的な解釈になります。
筆者なりに真剣に公式の情報を受け取って考えたものですが、少々アクロバティック(?)に感じる可能性もございます。お口に合わない場合は、迷わず引き返してください。
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【※本編の全分岐および有料コンテンツ(特別ストーリー)のネタバレを含みます】
特にしょっぱなから本編TRUEENDのネタバレがあります。
特ストも鑑賞後が前提の文章ですので、それらを承知の上で先に進むようお願いいたします。
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意図通り?
門マツリが迷い込んだ『ウーユリーフの処方箋』の世界は、「律円果」の人格を彼の体に呼び戻そうという「ヒールユー・プロジェクト」……それが発端となって制作された、ゲームの世界でした。
本編エンディングおよび特別ストーリーでは、我々がプレイした『ウーユリーフの処方箋』が、どういう意図で、どのように作られていたのかが描かれます。そして、自分自身を見つめなおした円果たちは、今後の展望を思い、決意を新たに次の行動を起こした……。
大木が提唱し、三筒が乗ったヒールユー・プロジェクトは、彼らの意図通り成功を収めたかのように思えます……が。
それだけではないんですよね、たぶん。それだけだったら、この考察は書いてません。まだあるんです。
まずもって、本当に全てが意図通りだったのかという話ですよ。そんなこと、なかったですよね。あったじゃないですか、ほら……あの、さりげなく発生したトラブル。
バグってやつです。
「よくある事」?
ヒールユー・プロジェクトの進行の様子が描かれる中で、気になる描写。それは”バグ”。ゲーム開発では付き物の、あのバグ。エピソード04『夢物語』でのことでした。
バグの危機が過ぎ去った後。三筒Pは一連のトラブルを「よくある事」と流しましたよね。あれです。あれが妙なんです。
確かに、どんなにデバッグにリソースを割いても、本番まで残るバグの可能性というのはどうしても根絶できません。実際、我々がプレイした『ウーユリーフの処方箋』にもリリース後不具合が発見され、後から修正されましたね。ですからバグは、開発者にとってもプレイヤーにとっても、「あるあるネタ」です。
バグ描写とそれを修正する描写がプレイシーンに含まれる……その事自体はごく自然と言える。
だからこそなんです。
むしろ、その「あるあるネタ」として、あの描写は違和感が有った。
特ストのバグ描写は……ゲームの進行上「致命的」なほどの分かりやすい派手なバグだった割に、敢えて「ストレートに本編と辻褄が合わないように」描かれているからです。
「とりあえず、エンディングまで」
この世に、ゲームのデバッグを経験した人間がどれだけいるかわかりませんが……。それがどういう作業なのか示す描写は、本編にキチンとあります。
4-23、4-24にて、ノゾミがゲームをデバッグするシーン。その時に、彼は言う。
そうです。
デバッグの基本は、「プレイスタート」から「エンディング」まで通しでプレイすること。
「最初から最後まで、プレイする事ができるのか?」
それを、一番最初に確認する。
その上で、違和感、表示ミス、意図通りでない要素がないか等を確かめます。もし有ればそれを修正して、もう一度「最初から最後まで」プレイします。修正したことで、他の部分が影響を受けて、また違う不具合が出ているかもしれないからです。そうして、「何度やってもおかしな部分が発生せずに、最初から最後までプレイできる状態」に持っていく。
それがデバッグの目標です。
デバッグをするということはすなわち、最初から最後までプレイすることを何度も繰り返すということ。
このセリフを発した時点で、サイキック・アパレイタスは『デバッグの目標』にかなり近づいていたと思われます。それくらいの自信がないと言えないですよ。何せ、「社運」がかかっているプロジェクトな上に、ドキュメンタリーとして記録映像が残されるとわかっている。ゲームの自由度が低かったのは、デバッグの工数もかなり影響しているでしょうね……。隅々まで確かめないといけませんから。ですからそれはもう、石橋を叩いて叩いて叩き割るくらいの慎重さでデバッグを進めてきて、その上で「今週末には」と思うほどの段階だったんです。まずココを信用しましょう。多田社長たちの「社運」をかけた努力ってやつを。
それなのに、本番で出てきたバグが尽く「ゲームの進行を妨げるほどわかりやすく、致命的なもの」。時系列上ありえないグラフィック表示、セリフ音声が出力されない……。
これは多田社長、肝が冷えたに違いありません。「こんなわかりやすいバグも潰してなかったの?ちゃんとデバッグやったの?」って思われてもしょうがない。
実際、三筒も軽いノリながら「デバッグしたんでしょーが」と突っ込んでいます。その声に、思わず多田社長は返す。
そう、わからないんです。散々デバッグしてきて、こんな派手なバグが出ることだって信じられないのに。その要因すらさっぱり見当がつかない。これは言い訳じゃない。本音です。
おかしいんだ。
だって、それ以外の要素は順調に、シナリオ通りにすすんでいる。
何か想定に反する条件があれば、それが原因と推測できるのに。
ここがまた、妙な部分。
「台本通り」?
特ストにて『ウーユリーフの処方箋』にバグが発生したタイミング。それは何れも、マツリがシナリオの意図通りに行動している瞬間でした。
1度目は、工房にいるキリオにHDDを届けようと、ロビーに踏み入ったあたり。2度目は、ラストレジェンドの会場のガラクタの山から、イコモツを発見し駆け寄るシーン。
特に2度目の場面ですね。ここで、しつこいくらいに彼の行動が「想定内」であると明示されます。
この後、マツリが「イコモツ以外のロボットたちの安否」を気にするのも『予想の範囲内』。コンペについての言及も『予想通り』。これってかなりシナリオ的に「順調」ですよね?
だからこそ、見つけられない。
ない。「原因」がないんです。
「バグ」はアットランダムに降りかかる不幸じゃない。「原因」が確実にあって出てくる「結果」です。「バグ」と「原因」はセットなんです。
例えば、本編2章BADでも「バグ」と思しき描写がありましたが……
文字化けして、画面にノイズが掛かって。ここをバグと呼ばずなんという、というくらいモロのやつですね。
あれには、キチンと原因と考えられる要素が直前に有りました。カナタに無理難題を押し付けられたマツリが、キリオのトレーラーハウスで過ごすことを諦めて出て行ったのです。引き止めるキリオの必死さを見るに、思いもよらぬ行動だったのでしょう。それで初日にイベントをこなせず無為に過ごしてしまった。そしてその次の日も変わらず。
2-5のタイトルは『8月32日』。「定められた日程から外れた時間」を過ごしたことと、「バグった」という状況を日付表示に例えたダブルミーニングでしょう。
あのBAD分岐は、「マツリ」がシナリオから外れた行動をとると、ゲームに「バグ」が発生し得るという示唆です。
これならわかる。ユーザーの予期しない行動でバグが発生、露見するというのは実際のゲームでもよくあることです。
開発者は不具合がないか、あらゆる条件で試してみてチェックしますが……ユーザーがどう行動するかは完璧に予測できない。ユーザーの行動だけは事前のデバッグで試すことができない、未知の領域ですからね。サイキック・アパレイタスがどんなに「社運」を賭けてデバッグしたところで、マツリが「開発者が試しもしない、突拍子もない行動」をとれば、デバッグ時にはなかったバグが現れても不思議ではありません。
でも、「台本通り」なんですよねえ、特ストに有った1度目のバグも2度目のバグも。
マツリは、シナリオの流れを拒否していなかった。
だから、「どうしてなんだか」わからないんですよ。社長にも。
「原因の描写」が「無い」だけならまだしも。「バグの原因になり得る要素」が本編にてしっかりと示されている上で、それを全否定するように「台本通り」、「予測の範囲内」、「予想通り」と来たもんです!
ただ「ゲーム開発あるある」の苦労話を描きたいなら、こんなことしなくていい筈です。ただ、マツリの行動に対してプロジェクトメンバーが驚いた反応を見せた後、「バグ」の描写を差し込めばいい。それだけで本編の描写と一致して筋が通ります。でも、そうなってない。だから違うんです。
あれは、「あるあるネタ」じゃない。前代未聞のものなんです。
あ、しかし前代未聞とはいえ、バグはバグですから。原因はちゃんとありますけどね。
…………その「原因」っていうのが、「キリオ」なんですけど。
キリオと無法地帯
ヒールユープロジェクトにおける『ウーユリーフの処方箋』は、円果が指摘した通り、非常に自由度が低いゲームでした。ああ……いえ、むしろ土台となる『ザ・ワールド・イズ・マイン』自体は無限といっていいほどの自由度があり、全てがプレイヤーに委ねられていて、その自由度が「意図した物語を見せる」という目的に邪魔でしかないのでMODによって出来るだけ制限していた、という形ですね。
元のゲームとMODの自由度がアンバランスな為に、『8月32日』ルートのような形で想定外の出来事がおきると不具合を起こしてしまう……。
つまり、バグがおきたということは「想定外」は何処かで起きていたんでしょう。それが、見つからなかっただけ。見つからなかったから、「どうしてなんだか」わからない。
原因がないんじゃなくて、原因が観測できなかったわけです。
しかしながら社長たちは、ゲーム全体を監視していました。マツリ視点だけでなくMODで作られた全体を監視していたからこそ、マツリたちが工房の10階に辿り着く前にバグを発見できた。元役者がアドリブ要員を辞退してまで「進行に集中する」と言ったんですからね。本当に「ゲーム内の全て」に気を配っていたにちがいありません。
そんな開発者たちにも観測できない場所。
それは「心の中」です。
比喩じゃありません。真面目に言ってます。だって、プロジェクトメンバーは「マツリ視点でプレイの様子を映像として見る」ということが出来ているのに、「どう行動するかは事前に予期できない」んですよ?
社長たちには「マツリが何を考えているか」は全然!!わからないんです。
和歌は「筒抜けだ」と思っていますが、それはゴーグルを通して見ている視界、ゲーム内で出力された音に限った話。それがはっきりとわかるのはマツリがゲームに吸い込まれた直後、パニックに陥るシーンですね。
マツリ視点では、円果の母親のものと思われる悲鳴が、『頭の中で』響き渡ります。しかし、プレイを監視しているスタッフルームでは……
マツリの呼吸が荒くなる音、取り乱したことによる視界のブレ、自分に言い聞かせる言葉。それらしか映像、音声として届いていません。ゲームシステム上「脳内だけで感じたもの」を抽出はできないんですよ。『貧血イベント』のように、作成したイベントを「夢」「脳内でイメージしたもの」として演出することはできます。感覚を刺激できるし、痛みだって感じさせられる。けれど、それはあくまでも「体験したいことを自由に体験できる!」という『ザ・ワールド・イズ・マイン』の機能を借りているだけです。
マツリのモノローグで
というものがありますが、正に文字通り。心はプログラムの「法」が届かない。制御下にないんです。
これって実は、プロジェクトにおける大きな穴なんですよね。
だって、MOD『ウーユリーフの処方箋』が土台にしているゲーム『ザ・ワールド・イズ・マイン』は、
【脳波で操作する最新システム】に対応したゲーム
じゃないですか。
「想像すること」が、何よりも力を持つ場なんです、本来。
「想像できないものは体験できない」。けれど、「想像できれば、なんでもできる」。
もちろん、MODの機能としてユーザーにある程度禁止事項を課すことはしていたでしょう。いくらなんでも、天地創造の神相手にノーハンデでは挑めません。けれど、これもデバッグの不完全性と話は同じです。無限とも言える自由度の中、開発者が想定できるリスクは有限。必ず漏れが出てきます。
だからたぶん、強く想像したんじゃないですかね。
開発者側が試したこともないようなこと……
そうですね、例えば。
とかでしょうか?
幻想は何処に在る?
1章の序盤、マツリのセリフで「胡蝶の夢」というのが出てきます。大雑把に言うと「人である自分が蝶になった夢を見ているのか、蝶の自分が人になった夢をみているのか」という話ですね。マツリとしては意識したわけではないでしょう。しかし最終的には「マツリとして円果のリアルライフを夢だと思い込む」という精神面の問題が提示され、『冷静さを取り戻そうと思い浮かべたはずの「胡蝶の夢」という言葉』が切れ味抜群のブーメランとして返ってくる訳です。
伏線回収ってやつですね……。
でも……実は、気をつけないといけない部分があります。
それは「夢」と「ゲーム」の本質的な違いです。
「夢」は、自分の脳が自分自身に見せる擬似的な体験であり、それは「脳の中」で完結しています。
一方、『ザ・ワールド・イズ・マイン』は、ゴーグルから入力された脳波を解析して、「体験できるゲーム世界」として出力されたプログラム。つまり、「脳の外」「心の外」にあるんですよ。
だからこそ、プレイ映像を他者が見ることができるし、MODによって干渉し、プレイヤーが想像してもいない世界、キャラクター、映像を見せることができる。
「心の外」に有るからこそ外側から手を加えられますが、
「心の外」に有るからこそ「心で感じたこと」は筒抜けにならない。
そういうことです。
それから特筆すべきはシステムに必ず搭載されているであろう「AIを構築するシステム」の存在ですね。
「プレイヤーの脳波」が企画書だとすると、『ザ・ワールド・イズ・マイン』には、ゲーム開発のSEやグラフィッカーに当たるシステムが搭載されている。クライアントの希望を叶えるクリエイターです。
そうじゃないと、「脳波を読み取るゴーグル」さえあれば『ザ・ワールド・イズ・マイン』じゃなくてもなんでもできるってことになっちゃいますから。『ザ・ワールド・イズ・マイン』の強みは、「脳波を高い精度でゲームプログラムにできる」というシステムにあるんでしょう。
例えばNPCの女性を作るとします。どんな仕草、どんな声で、どんな喋り方、どんな笑い方をして……などと、いちいちその場でプレイヤーが命令を出さなければならないようなら、どんなに自己暗示が強くても「ここが現実世界だ」と思うことは難しい。必ず「キャラクターを設定条件に従い自動で操るAI」が必要になります。
そういうものを……その都度自動で働くAIをプログラムする機能が、『ザ・ワールド・イズ・マイン』にはあるんです。ないと成り立たない。
では、ユーザーがキャラクターに対し「心がある、そうあってほしい」と強く念じたらどうでしょうか?
『ザ・ワールド・イズ・マイン』は、それをユーザーの「オーダー」として受け取り、キャラクターを動かすAIをつくるかもしれません。グローブやコントローラではなく、脳波で操作するゲームですからね。
ああ、もちろん……「具体的に想像できない」ものは構築できないシステムであることには変わりません。だからこそ、「男同士のコミニュケーション」を想像できない円果は、マツリに男友達を作ることが出来なかった。願望だけ有ってもダメなんです。ですから……キャラクターの心が、性格が、一体どんなものなのか想像できなければ、この仮定は成り立ちません。
ですが、マツリはキリオと交流し、考えを聞き、行動を見てきて「キリオがどういう人間なのか」という像を既に持っていました。はっきりと……彼が「自分で考えたい」というパーソナリティであることを知っていて、自然と「キリオに感情があること」を前提として思考をしていました。
4章で彼の行動が「設定通り」だと知った後もそうです。ノゾミに「キリオさんに話すべきか、話さないべきか」と聞かれたとき、マツリが浮かべた選択肢は『知る権利がある』、もしくは『傷つけたくない』だった……。
あの選択肢って。他のものに比べて、あんまり意味ないんですよね。後々の分岐にも関係ないし、キャラクターとの交流的にもあそこでしか得られない情報はない。プロジェクトシナリオ的にはカナタが「話すな」と主張し、後々キリオが事実を知ることは決定していた訳ですし、マツリに何か選ばせるつもりはなかったんじゃないでしょうか。「話すべきか?」という問題提起をすること自体が重要だっただけ。
それでもマツリが自分で浮かべた選択肢は、自立した存在として権利を尊重するか、心を守るかの2択だった。マツリは、「キリオの感情」の存在を潜在的に信じていたんです。
そして、その後にンアウフと釣りをし、帰り道でキリオと会話して、こう思う。
強く断じていますね。けれどこれは、願いでもあります。マツリは深層心理で「無いとは思えない」というくらいのリアリティをもって「キリオの心」の存在を感じている。しかし一方では「キリオの行動が設定である」という事実に心揺らされてもいました。「生きている」というのは、そうあってほしいという、信じたいという、願い。そして、そんなリアリティと具体性を含んだ「願い」だからこそ、『ザ・ワールド・イズ・マイン』はそれを「プログラム構築のオーダー」だと判断し得る……。
MOD開発側は、この異変に気がつきません。
何しろ、彼らは「心の外」のことしか、わかりませんから。
こうして「キリオの心」は構築され始めた。
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