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Around30とジョンレノン
「レノンに腕押し」
何をしても手応えが感じられない、という人は、ジョン・レノン氏に触れてみてはいかがだろうか。
レノン氏は、20世紀が生んだスーパーバンド「ザ・ビートルズ」の一員であり、世界にロックと夢を振りまくとともに、
アジアが生んだ奇跡のダイナモ、オノ・ヨーコ氏と共に、世界に愛と平和を説いている。
私とレノン氏の出会い。入口はビートルズ。
私がビートルズを知ったのは、小学校高学年の冬。母親の誕生日に、兄がビートルズのCDをプレゼントしたことがきっかけだ。
まだ小学校教育には英語が取り入れられていない時代で、西洋の言葉は私に大人の階段を昇らせた。
で、何と言ってもその音楽と、そしてビートルたちのキャラクターに魅せられた。
ジャニーズよりもファブフォーに夢中だった。
すごく仲良かった友達も、タイミングよく同時期お兄さんの影響でビートルズと出会っており、相乗効果でモリモリとファン心理は肥大していった。
その頃、私はハンサムボーイのジョージ・ハリスン氏が好きだった。あの、ちょっと陽の当たってない感じにもそそられた。
一応おさらいしておく。
ビートルズは、イギリス、リバプール出身の、ジョン・レノン(Gt&Vo)、ポール・マッカートニー(Ba&Vo)、ジョージ・ハリスン(Gt&Vo)、リンゴ・スター(Dr&Vo)の4人で構成されたロックバンドで、1962年にデビュー。解散までの8年間、音楽界にとどまらず、様々なシーンで若者たちを中心とした世界中の人々に多大な影響を与え、多くの歴史を残した。
解散後も、各メンバーの一挙手一投足は常に世間の注目を浴び、再結成が切望された。
しかし、1980年12月8日、ニューヨークの自宅アパートでレノン氏が銃弾に倒れ、その夢は潰えた。
また、2001年11月29日にハリスン氏が病気のため他界。長生きしてくれそうなマッカートニー氏とスター氏の健康を祈るばかりだ。
そんなビートルズに幼き頃の私は没頭し、CDから音源を体内に流し込み、古い映像にかぶりつき、文献を読み漁った。
そして、解散後の彼らの「あの頃僕たちは本当に仲が良かったんだ」なんてコメントに号泣し、リアルタイムでビートルズを感じられる世代に生まれなかったことを軽く恨んだりもした。
その頃のレノン氏の印象は、何か高貴で近寄りがたい人、って感じだった。横顔がツンとしてる感じだったし。アイドルにしては過激な発言も多かったみたいだし。音楽的にも、マッカートニー氏の方がポップでキャッチーな気がして、特にライブをやめた後の’ビートルズ後期’やソロ時代のレノン氏の作品なんかは、メロディアスなものが多くない印象で、小学生には親しみづらかった。
でも、今はレノン氏無しでは生きられないほど!
まず、声がいい。本人はあまり好きではなかったという話も聞くが、少なくとも私は彼の声を聞くと落ち着く。歌詞なんて分からなくても。あと、あのノーブルな横顔や、輪郭もたまらん。
断片的にしか知らないけど、とにかく40年の生涯で相当色んなことやってきてるみたいだし、でもその中に一貫性はあって信念が見えるし。そして何と言っても、人間くさいところも好き。
この人間くささは並大抵のことで醸し出せるものではないから、きっと相当大変だったんだろな、相当しんどかっただろうな、相当嬉しかっただろうな、相当楽しかっただろうな、などと、振り幅全開の人間模様を想像させてくれる。
その辺りの印象を踏まえて、いつか、レノン氏と生活を共にした小野洋子さんに「平凡な生活」についてお話を伺えたら幸いだ。
いつまで経っても争いが無くならない世界で平和を思うとき、「ジョン・レノン」はいつもその場に連れてこられる。未来に向かう、うねりの先頭に立たされる。みんな縋りたがる。それだけのパワーがあるから。説得力があるから。
私の周りでは、毎年12月8日のレノン氏の命日に、彼のどの曲を聴いたか報告し合う慣わし(?)がある。
例えば2008年。
Cちゃんは、♪Woman
Kきゅんは、♪How?
Eキングは、♪Grow Old With Me
Sさんは、♪Julia
Sさんのお友達は、♪God
私は、♪Real Love
何だか、その人の置かれている状況や考えていることが、何となく分かる気がしません?レノン氏に何を求めているのかとか。
私は年に2〜3度、埼玉県にある「ジョン・レノン・ミュージアム」を訪れる。
レノン氏の生い立ちから、居なくなってしまうまでを、たっぷりの資料と音楽で紹介している。
まず最初に、奇跡のヒーローの軌跡のムービー(7分間)を見せてもらうんだけど、そこでひと泣き。
何回訪れても新たな発見があるし、落ち着く。
2009年の特別展は、「ジョンとヨーコが創り出した”LOVE”の世界」だって。いつ行こうかな。
2008年末、レノン氏の命日に合わせ、ジョンレノンミュージアムの入口に、ピースツリーという木が立てられた。
訪れた人は、それぞれの「平和の願い」を紙に書いて、その木に結ぶ。それらの願いは、2007年にアイスランドのレイキャビクに建てられた光の塔「イマジン・ピースタワー」に送られ、塔下に埋められるという。
私も願いを綴った。
「しあわせな眠りにつけますように」
幸せな眠りは、明るいあしたをもたらす。
明るい日々は想像力を養い、その力が未来の可能性を生む。
平和のチャンスも。
毎日、あったかい布団で眠ることのできる幸せが、続きますように。
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ジョンの命日をまえに、10年ほど前・20代後半に書いた文章を引っ張り出してきました。
この頃は、「寝る」ということについて集中的に考えていたので、そんな落とし所になってます。
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