ほとほと自分が嫌になる
最近ヘマをしていないなぁ〜と思ったら、これだ。
保育利用に関する書類で、提出期限が迫ってきている書類を確認しようとしたところ、提出しなくてはならなかった書類を発見した。
そういえば、これ確認しなきゃなぁ〜と思いながら、子どもたちの体調不良週間になり、すっかりその存在自体を忘れていたヤツ…。
“忘れる”までの記憶はさっぱり残っちゃいない。ただ、本当にすっぽり抜けていた。期限はゆうに1ヶ月は過ぎ、提出していないと保育料が最高額になってしまうという脅し文句まで書いてある…。ヤバイ。
明日ソッコーで区役所に確認しに行かねば。
さらに、数ヶ月前にゴミ捨て場に鍵が刺さって抜けなくなり、レスキューさんを呼んだ請求書も今頃きて(2万4千円也〜泣泣)(この事件も自業自得)
今お財布の中身500円もないし、冷蔵庫の中身もほぼ無いし。(ATMや買い物にも行かなきゃだし)
そんな明日に限って、子どもたち2人いる日だし。
もぉ〜、何をやっとんじゃ!と自分に落胆する。
2ヶ月に1回くらい?は、ADDな自分と、向き合わざるおえない事態になる。
「あのママさんやあの子はこんな事しないんだろうなぁ〜。」と卑屈になる。
「あそこんちはパパもすごい積極的に家事育児してくれるしなぁ〜。」とか他人と比べて、環境や人のせいにしたがる。
全ては自分のしたことだし、そんな自分を受け止めて受け入れて、今日も明日も生きなければならない。
インド式に「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」って息子に伝えていきたいという理想を持ちながらも。
やっぱり、「人に迷惑をかけないように」と生きてきた私は「人に迷惑をかけてしまう自分」にとても落ち込んでしまう。
その度に自分がめちゃめちゃ嫌いになって、こんな自分で生きていくのが嫌になる。
32年間こんな自分と付き合ってきてようやく、泣きそうな顔をしながらも、毎日のダンスと日記は書く自分になれた。
自分のできることを淡々と続けていくこと。できないことにひとつひとつ向き合っていくこと。
“変えられるものを変える勇気と、変えられぬものを受け入れる謙虚さを”
昔、CFF時代に出会った言葉をふと久しぶりに思い出したら少し元気が出た。
自分自身の特性は変えられなくても、毎日のひとつひとつのことをクリアしながら生きていくしかない。
特性は変えられなくても、毎日の心地よさは少し変えられるかもしれない。
憂鬱な日こそ、JUST DO IT.
はぁ〜明日をなんとか、まだ生きていたい。頑張るか…
そうだ、今日はけっこう気に入った顔フォトを見つけたんだよ。
「ひしがた君」です。