お行儀よく送るには
友達の家で昼飲みをしていたら、鳥山明が死んだことを知った。
一瞬、足元がぐにゃりとおぼつかなくなる感覚があり、友達と「ちょっと今は消化できないね、ひとりでいなくてよかった」などと言い合ってその場はおさめたものの、
YouTubeが余計な気をきかせてDr.スランプだのドラゴンボールだのアニメ映像を流してきたり、
友達と解散したあと、目薬をさそうとしたらスライムの形をしたボトルだったりして、
まいった、となった。
足元がぐにゃりとなったとき、私はとっさに「親父が知ったらどう思うだろう」と感じた。
父は昨年の春に死んだのだが、私が鳥山明のコンテンツに触れたきっかけはもれなく父であり、
Dr.スランプもドラゴンボールも父(+母)のすすめで読み始めた、人生初の漫画だったし、ドラゴンクエストもⅠ〜Ⅵまでは、父がプレイするのを横で見ていたのだ。
私の人格や、なけなしのユーモアだったりクリエイティビティといったものには、少なからず「父経由で知った鳥山明のコンテンツ」が関わっている。
おもしろいと感じるものの多くは、ギャグ漫画色が強かった頃のドラゴンボールが起点になっているし、
ドラクエで転職計画を入念に練った経験は、ともすれば仕事にだって活きている。けっしておおげさな話ではない。
なのに、鳥山明も父もとつぜん逝ってしまったので、だるま落としの積み木をバキンと強く弾き飛ばしたような衝撃と、支柱を失ったことによる「これからどうしたらいいんだろう」という不安が胸を占めていく。
近年、取り立てて鳥山明の作品に触れてこなかった私でさえこの有様なのだから、彼の表現力に魅せられて将来の夢を定めた人、ドラクエⅢのキャラデザによって嗜好形成された人などは、どれだけ悲痛な思いを抱えていることだろう。
そして、私が鳥山明の心中を推し量ろうとするなど、おこがましいことだとは重々わかりつつ、何より本人も、こんなにも突然に幕を下ろすことになり、無念だったろうと思えてならない。
ドラゴンボールでは、多くのキャラクターが少なくとも1回以上の死を経験しているが(地球人はいちど魔人ブウによって全滅させられるし)、ほとんどはきちんと辞世の言葉を遺して死んでいく。
そんな漫画を描いていた人が、合図もなしに人生を終える想定をしていたとは、とうてい思えない。
もし今、ポルンガを呼ぶことができるならば、
まず「病死は蘇生の対象外」という制約を取り払ってもらったのち、
父と鳥山明の蘇生を迷わず願う。
まだ、冥福を祈ったり、感謝を伝えたりする段階にたどりつけない。