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四万十川ウルトラマラソン完走体験記③

(②より→)

2019年。35歳
私は3回目の100㎞にエントリーした。
この年は、転職して1年目の年にあたり、仕事のペースもつかめなかった。
大阪と兵庫県西部の姫路の100㎞をほぼ毎日通勤で往復し、慣れない仕事と相まって体には疲労が溜まっていく。
帰宅も遅くなることが多く、氣持ちだけでエントリーはしたものの、コンスタントに練習を積むことはできなかった。
「エントリーしたけど、もう出るのやめようかな。」
それすら、ずいぶん前のタイミングから頭によぎった。

住んでいた姫路の自宅の近くには「広嶺山」という高さ260mの山がある。
自宅からその山頂までは、片道3~4㎞程度の距離になる。
結構な勾配があり、山道を登ると心拍は一気に上がる。

練習で距離を走る時間もないと思い、私は週3~4回その広嶺山に登るコースをランニングした。
当時は夜型生活だったので、帰宅してから深夜。
街灯もない山道をひた走る。

ウルトラマラソンで走り込みの基本ともいえる、20㎞走さえ2~3回もやれていないと思うが、
この「登山走」の回数を重ねた。
思えば、深夜12時ごろの暗い山道を走るのはかなり怖いことだと思う。
苦肉の策とはいえ、よくやったなと思う。

しかし、圧倒的に走り込みの距離自体は不足していることは自覚していた。
最後まで出走を迷ったが、とにかくやってみようと決めた。

自信のないまま、2019年10月20日。3度目の四万十川ウルトラマラソン100㎞出走の日を迎える。
「やれるとこまでやってみよう」
そう思い、挑んだ。

快調とは言えなかったが、序盤20㎞の登りは山道走の成果かさほどしんどさは感じない。
登りでバテないのは大きかった。
「どこまで持つかな」
そう思いつつ、堂が森頂上を超え、23㎞付近から続く長い下りに入る。

ダラダラと下る。
これまで出た過去2度とも、この長い下りで脚をやられている。
「慎重に下ろう」
その意識だけが先行してしまい、却ってブレーキをかけすぎて、膝に負担をかける走りになってしまったのだろう。
「スピードを出さずに下りきれた」
そう思った矢先の下り切った33㎞地点。
右膝に激痛が走る。

「ああ。またやってしまった!」
そう思った。また下りで脚がやられてしまったのだ。

練習で標高260mの、広嶺山の上り下りを練習していたが、本番の10㎞続く下りとはワケが違った。

とりあえず、簡易的な痛み止め対策をして、何とか前には進めるが「キツイ」という状態だった。
100㎞ゴールまでは、あと67㎞あるのだ。
とてもじゃないが、走れるとは思えない。このまま走ると脚が壊れるのでは。とすら思える痛み。
リタイアしようか。

「練習不足やったしなあ。。」
諦めようと思う氣持ちが前面に出てくる。

でもせっかくここまで来て。せめて第1関門(36.6㎞)までは走るか。
そう思い、前に進んでいく。
第1関門を超えると、次は「40㎞地点まで行こうか」
その次はフルマラソンの「42.195㎞地点まで行くか」

直ぐにでもやめようと思い、地点の距離看板の写真を撮りながら進んでいく。
「楽しみながらぼちぼちやるか。」
そう切り替えたのがよかったのかもしれない。

その記念写真は「50㎞」「60㎞」と続いていく。
それとなくリズムもできていき、第3関門の61.4㎞
中間地点の休憩地点「カヌー館」まで到達することができた。

とはいえ、この時点で脚にマメはできとても完走できるとは思えない。
2016年同様、第4関門(71.3㎞)で引っ掛かるかな。
そう思いながら、休憩もそこそこにカヌー館を出発する。

歩きもところどころ混じるが、前に足を進めていき「70㎞」地点まで到達する。
とうとう前回引っ掛かった第4関門(71.3㎞地点)に到達。
制限時間の24分前。
「あー。ギリギリやし次引っ掛かるかなあ。」
「とはいえ、一応記録更新か。よくやった方か。」
「ここからは、とにかく少し前に進むだけでも記録更新やな。」

そう思い、また足を進めていく。
75㎞地点を突破。
そしてあれよあれよと第5関門(79.5㎞地点)も制限時間内に到達する。

もうやめようと思った33㎞地点から50㎞近く前に進んでいる。
自分でも信じられなかった。
「まだ前に行かせてもらえるんやな。」
そんな感謝にも似た気持ちでまた前に進む。

脚の痛みから、歩きも混じっていて情けないが前に前に。
とうとう第6関門(86.9㎞地点)も制限時間内でクリアする。
体はボロボロなのに。
沿道からの声援が「おかえりなさい」に変わっていく。
そう。もう全行程の85%をクリアしていて、残る距離は短くなっているのだ。
あと15㎞、14㎞とカウントダウンする感覚をはじめて味わっていた。

とはいえ、もう体はボロボロで1㎞ごとに置かれた看板の間隔は異常に長く感じた。
練習で1㎞に要する時間はそんなにかからないのに、その3倍くらいに感じる。

「しんどい。やめよう。」
そんな甘ったれた自分が顔をのぞかせる。
ゴールまでにある関門はあと一つ。
93.9㎞地点にある第7関門である。

夜明け前の暗い時間にスタートしたが、また日が沈みあたりは暗くなっている。
自分がなぜ前に進むのかわからないが、何かがそうさせる。
「無理だよ。もう間に合わないよ。」
そうささやく自分はいるが、頑固にやめない自分がいる。

青信号が灯った100㎞があり、ひたすら前に進み続ける。そんな単純な競技がこのマラソンだ。
赤信号を灯すのは自分次第だ。
止められるまで、少しでも前に進みたい。
そんな意地のような気持ちが自分を突き動かす。
「ああ。これが俺が憧れていた100㎞ランナーの姿なんやな。」
そんなことを考える。

とうとう闇の中に浮かび上がる、第7関門が目に入った。
18:46の閉鎖まであと1分。

最後の力を振り絞り無我夢中で駆け込む。
多分閉鎖まであと30秒すら切っていたと思う。

無様な姿であるが、とうとう100㎞のゴールまでにある全ての関門をクリアしたのである。
あと6㎞。

競技の制限時間は19時30分。あと45分で6㎞を走り切らなければならない。
日頃の練習ならば、6㎞を45分なんて簡単である。
しかし、手足を12時間以上動かし続け、疲労も極限に溜まった状態でのあと6㎞は長い。

精魂も尽きかけ、ほぼ歩きになってしまう。
脚はもはや言うことを聞いてくれない。
「走らなきゃ」「あと6㎞頑張るだけだ」
「ここから振り絞って走れば、19時30分に間に合うかもしれない。」
そう思うが、走り出せないのだ。

「頑張れー。」「あと少しだよ。」
暗闇の中から、声援を送ってくれるがもう力が出ないのだ。
「もう十分頑張ってるんだよ。。」そう毒つく自分も顔を出す。

ゴールまでは暗がりの下りの山道が続く。
街灯はないのだが、地域の住民の方が等間隔に車を駐車し、ヘッドライトを点灯させてくれている。

最後の力を振り絞って、非常に遅いペースだが走る。
「走れメロス」のような気分になる。
ここまで歩いてしまったら、確実に19時30分には間に合わないだろう。

もう私以外に100㎞ランナーはいない。

でも、自分にもわからない何かが体を突き動かす。
街に入ろうとするころ、花火の音が聞こえた。
19時30分。制限時間になったら花火が打ちあがるのだ。

14時間の制限時間は過ぎてしまったのだ。
それでも、走らせてはもらえる。

ランナーに声援を送ってくれていた、沿道の方も帰り支度をしていたり、引き上げている。
過去に60㎞完走で見た、声援が飛び交う沿道の姿はそこにはない。
閑散としはじめている沿道を一人走る。

ゴール地点まで、1㎞、500m。
ゴールの中村高校。
ゴール前の多くの人は引き上げ、グラウンドの照明が暗くなりつつある、人もまばらなグラウンド。
BGMやMCは消え、ひっそりしたグラウンド。
片付けの準備が始まっている。

ゴール前のにぎやかな拍手で迎えられる光景はそこにはない。

60㎞の部の女性ランナーに続き、最後にゴールインする。
14時間9分31秒。
制限時間から約10分オーバーである。
1070人中1070位
参加者全員の中、最下位で何とかゴールすることができた。


私が25回大会で最後まで、最も長い時間四万十を走ったランナーということになる。

一応完走というか、完了と言ったらいいだろうか。
走ったというか、最後まで通らせてもらったという方が正確だろう。

一応手を挙げてゴールはした。


一瞬100㎞の全行程をクリアしたことからの嬉しさは出てくる。
33㎞から70㎞近く。痛めた脚を引きずってゴール地点までたどり着いたことは一定の評価をしてもいい。
自分でもよく頑張ったとも思う部分はある。
100㎞前に進み続けた自分に対して、驚く部分はあった。

しかし、制限時間外なので完走証はあるものの、完走メダルは手にできない。
そこで悔しさが滲み出てくる。
「ああ。あと一歩で完走はできなかったんだ。」

最後の第8関門(100㎞地点)はクリアできなかった。

あそこで我慢して走っていれば。もっと練習していれば。
たくさんの後悔が胸にあふれ出てくる。

「10分」10㎞あたりで1分、1㎞あたりで6秒ずつ短縮していけば間に合うのだ。

特に記録をよくみると、スタートが後方からでスタート地点までで3分のロスがある。
実質14時間6分。7分短縮すれば制限時間以内だったのだ。

「ああ。くやしい!」
思わず叫びに似た声を吐く。

そもそもギリギリの状態で最後の第7関門を通過する時点で、制限時間内は厳しかったのだが。
制限時間10分オーバー。最下位の記録に直面し、リアルな悔しさが強くなってくる。

ここまで来たからには、この10分を次回には何としても埋めて、正真正銘の完走を果たしたい。
多くの人が見守る、スポットライトのあたるゴールテープを駆けたい。
強い悔しさの中で、自分に誓った。

次こそは。
そう思った翌年。世の中は感染症騒動で大きく変わっていく。
2020年、2021年と大会は中止になり、一旦実施見込みだった2022年の大会も中止。
2023年は先着エントリーに間に合わず。

次の四万十川ウルトラマラソンへの挑戦は、2024年 30回大会まで5年間持ち越しとなってしまうのである。
しかし、ずっと「10分足りなかった悔しさ」は忘れることはなかった。

「あの悔しさをリベンジしないと、死んでも死にきれない。」
そう思っていたくらい、2019年の最下位。制限時間から約10分遅れたゴールは自分にとって忘れられない出来事なのだ。

制限時間内で完走した今も、あの時に感じたことや見たことはずっと覚えているんだろうなと思う。
(→続く)

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