へっぽこぴーりーまん書紀〜2社目編 新潟編vol.8
新潟の四季
新潟の四季は美しかった。雨が多いが、晴れた日はそのぶん多くの喜びを感じられる。
特に晴天の日の夕焼けがきれいで。
孤独ではあったが、空っぽになれる時間はたくさんあったように思う。
海辺をドライブして寂しさを紛らわせた。ドライブのあとは温泉に入った。
なにかの傷を癒やすように。
精神的な世界
何かにすがるようにボクは精神的、スピリチュアル世界の本に手を出していく。
なぜ自分はここにいるのか。
なぜ生まれてきたのか。
孤独も手伝い、どんどんそのような話に引き込まれていく。
それが良かったのか、悪かったのかは今の段階ではわからない。
仕事は相変わらず、定時上がり。
ビジネスの現場に戻る気配は全く無かった。
評価も上がる気配、きっかけも見いだせなかった。
考え方
今にして思うと、変な本にもたくさん手を出したなと思う。
しかし、ある言葉が妙に印象に残っている。
もしかしたら、ボクもあのまま営業にいたら大事故になっていたんじゃないか?
こんな静かな環境で色々と考えられるのは、見方を変えると守られているのかな。
そんなふうに思った。
おふくろ
ひょんなことから、おふくろが新潟に遊びに来ることになった。
単身赴任先の住居に泊まってもらい、新潟の行きたいところ、名勝をクルマに乗せ案内した。
おふくろなりに、ボクのことが気になっていたのだろう。
おふくろと二人っきりになることは、家を出て以来なく何となく気恥ずかしい心地だった。
言葉を紡ぐことができず、どこかよそよそしくなる
しかし、二人になって思ったのはおふくろも年をとったなと。
背格好が、高齢者のそれになっているなと思った。
クルマは田園地帯を走っていた。
その時、おふくろが言った。
「こんな開けたところに来て、ガクッとしなかった?」
少し間をおいて答える。
「大丈夫や!どこに行っても変わらん」
ぶっきらぼうに強がって答えたが、図星だった。
「ガクッとしたんや…」という本音は吐けなかった。
それを言うことで、こらえているものが全て崩れる気がして。
久々におふくろの手料理を食べた。
懐かしくて本当は嬉しかったのだが、あえて淡々と振る舞ってしまう。
素直になれない。
二泊しておふくろは帰っていった。
ガランとした部屋…
おふくろありがとうと、ひとりの部屋で思った。
おふくろに心配をかけて情けないな…と感じた。
妻と子供
妻と子供も、新潟まで年に何度か遊びに来てくれた。
都度ドライブとなり、新潟の各地に連れて行った。
家族と回る新潟は一転彩り豊かなものに思えた。
見慣れない自然やグルメに、子供は喜んでくれた。
普段ボク一人で乗るクルマは、会話で包まれる。数少ない賑やかな瞬間だった。
空港で見送るときの寂しさは格別だった。
ふと「家族に来てもらえたら、新潟生活も楽しいものになるのかな…」と考えたりした。
この生活をどのような形で終わらすのか悩みは深まるばかりだった。
ボイスレコーダー
品管の安全審査の業務は未だに辛いものだった。
書類は何度も何度も差し戻しされる。
議事録についても、細部を細かく指摘され10度以上差し戻しを食らうこともザラだった。
学生時代国語だけは、全国模試で一桁に乗るくらいの腕前だった。
満点に近い点数をとったこともある。
その自分が赤ペンだらけになった議事録を差し戻される。
模試と議事録とでは畑が違うのは間違いないのだが、フラストレーションは相当のものだった。
会議をボイスレコーダーで録り、文字をすべて起こした上で議事録を書いたりもしたがそれでも、赤ペンを引っ張られる。
自分の仕事での自信は完全に失われていった。
ある日、あまりにも指摘に苛立って「ボイスレコーダーで全て文字を起こして書いてるんです。細部を指摘し過ぎではないんですか!」と反論したことがある。
神辺(女性、仮名)がボクに言った。
「ボイスレコーダーで取ってたんですか?勝手に撮らないでください」
至極最もなのだが、何度も差し戻しをされる苛立ち。マニアックな技術畑の会話を理解できないまま展開される。
その辛さがわからないのか!と殴りたいくらいの気持ちだった。
仕事も家庭も先が見えない。
そんな中いたずらに時間だけが流れていく気がした。
(→次回に続きます)