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ある密かな恋⑥
(↑前編 ある密かな恋⑤はこちら)
マナに関して現存する写真は、学校配布のドットの粗い卒業アルバム。
カメラ屋が撮った若干ピンぼけたもの。
親の撮った焦点のあってないもの。
一歩踏み出して、どうしてマナと一緒に写真を撮らなかったのか。残しておかなかったのか。いまになってもそんなことを感じさえするのだ。
勇氣というのは一体何か。
武道を学んで久しいが、実はどんぴしゃに好きな人に何ができるのか。本命に対してどんな行動が実践できるのか。いかに通常通りにできるのか。
言ってみれば、それだけな氣かするのだ。
いかに相手と平常心で対峙しようが、マナに対してうろたえてしまい尻込みした体験を未だに僕は引きずっている。
どうして気の利いた言葉をかけられなかったのか。自然に好意を示せなかったのか。どうして自然体で本音を言えなかったのか。
結局のところ、不本意な道を歩む人生の他の場面も、深いところではマナに具体的に何も出来なかった。言えなかったことにつながる気がするのである。
本当はマナの手を握っでみたかった。肩に、唇に触れたかった。
それ以前に仲良く話してみたかった。素直に好意を示してみたかった。
マナがいる輪の中に、嫉妬や心乱れることなく入っていきたかった。
一緒に写真を撮ろうと言いたかった。
実はこれ以上の敗北感や後悔は無い氣がするし、実現できなかった切なさといったら無いのである。
一番悔しいのは、実現に向かって工夫がなかったこと。何も考えがなく行動ができなかったことである。
自分なりに可能性を探してトライしていたらあきらめられているところはある。
オレがやっていたのは指を加えてマナを見ていただけであった。
そうこうするうちに出会いの旬は過ぎてしまったのである。
当時自分は太っていて外見にコンプレックスがあったが、それが嫌なら脱却する。あるいはその要素を減らすために行動すればいい。
口下手なら、それでもどう声を掛けるのか頭を凝らしてみればいい。
それに氣付かず、いたずらに時間を浪費してしまったことがただただ悔やまれるのである。
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