俺たちの誇り、ダヤン・ビシエド。
はじめに
春は出逢いと別れの季節とはよく言うが、我々プロ野球ファンにとっては秋にも同様の感情を抱くことだろう。真新しいユニフォームで少しぎこちなく笑みを浮かべる新入団選手に期待を寄せる日や、チーム或いはプロ野球の舞台から去る選手たちとの別れを惜しむ日もある。その中でも長年チームを支えてくれたスター選手の退団は、野球ファンにとって何よりも辛いものだろう。そしてこの秋、私たちドラゴンズファンには例年以上に冷たい風が吹き付けようとしている。
野球を愛する全ての皆様こんにちは。ざんと申します。普段はX(旧Twitter)にて中日ドラゴンズを中心に、野球関連の話題について呟いています。
さて今回はタイトルにもある通り、中日ドラゴンズの退団が濃厚となったダヤン・ビシエド選手について語りたい。特に今季は彼に対する熱い想いが球場の内外問わず散見された。他球団のファンの方々であっても、そのような声を見聞きすることがあったかもしれない。何故ここまでドラゴンズファンはダヤン・ビシエドという男を愛するのか、求めているのか。彼の来歴と共に振り返ってみようと思う。
これまでの歩み
2015年12月1日、この日ドラゴンズは当時26歳のビシエドを獲得すると発表した。背番号は66、単年1.7億円の所謂目玉助っ人の待遇での入団となった。当時の監督谷繁元信氏も、彼の打撃を高く評価したことが獲得の決め手のひとつになったとも伝えられた。
この頃の私はというと少しずつBクラスが定着してきたことや、生活環境の変化からドラゴンズへの熱意がそれまでよりも薄くなっていた時期だった。獲得の報を受けても「まあ、ルナとかクラークぐらいはやってくれたら良いな。」と、今にして思えばそれなりに高いハードルを課す程度だったと記憶する。
来日以前は素行に問題がある等の噂も流れ、不安の声も上がる中2016年のシーズンは開幕した。
開幕から3試合連続本塁打
4月17日来日初サヨナラ本塁打
3,4月 打率.347、9本塁打、23打点
同月の月間MVP受賞
先のハードルを軽く飛び越える程、鮮烈な日本デビューを果たしたビシエドに私が惚れ込むまでそう時間は掛からなかった。まさに大成功の補強と言える彼の活躍ぶりは、トニ・ブランコを初めて観た時のような高揚感を与えてくれた。
5月以降は相手チームからの徹底されたマークに苦しむも、オールスター戦までに19本塁打を放つまさに大車輪の活躍だった。しかし、この頃には他球団からのマークも厳しくなったことや守備の際に交錯し故障離脱となったことも影響して後半戦は低調に終わった。それでもチームトップの22本塁打を放つ打棒が評価され、翌年の残留が決定した。
2017年は米国市民権取得の手続きが長引いたことや、死球での尺骨骨折での離脱により87試合の出場に留まった。少ない試合数ながら18本塁打を放つ長打力は既にチームに不可欠だった。そして翌年、ビシエドは更に飛躍した。
打率.348、26本塁打、99打点
首位打者、最多安打獲得
ベストナイン一塁手部門表彰
リーグ最強一塁手の名を欲しいままにする活躍だろう。この年は新入団助っ人のソイロ・アルモンテとのコンビが非常に強力だった。平田良介や大島洋平ら日本人選手の活躍もあり、チーム打率はリーグ2位の.265をマークしていた。一方で投手に苦しみ、チームは強竜打線を擁しながら5位に終わった。
翌2019年は全試合に出場し、打率.315、18本塁打、93打点の好成績をマーク。2年連続のベストナインに選出された。しかしながら先のアルモンテが不振や故障に苦しみ、福田永将がまずまずの成績を残すもチーム全体としての攻撃力は弱まっていた。この傾向は翌年以降も続き、「ビシエド個人軍」と揶揄されるほど彼に頼り切りのチーム事情となっていた。またビシエド自身も度重なる内角責めによる死球や、守備の際に左肩を脱臼するなど怪我に苦しみ、個人成績は緩やかに下降線を辿っていた。
2022年はビシエドにとって大きな分岐点だったように感じる。前年オフに就任した立浪和義監督より「ちょっと形を変えれば40本打てる」との言葉を受け、打撃フォーム改造に取り組むこととなった。しかし結果は14本塁打と、来日以降最小の数字に終わった。
2023年は開幕して僅か8試合で2軍降格。0打点が続いたことや、直前の試合で無死満塁の好機を併殺打で逸したことが決め手になったようだ。5月2日に再昇格を果たすも、その後7試合で再び2軍調整となってしまった。それでも91試合に出場はしたが、本塁打は6本だった。
そして今季である。前回の記事でも触れているため掻い摘んで記すが、新加入の中田翔や中島宏之が長く1軍に帯同し、ビシエドはたった15試合の出場で今季を終えようとしている。
何故ビシエドは愛されるのか
ここまで彼の成績を振り返ったが、本項では内面に目を向けていきたい。多くのドラゴンズファンは彼の人間的な魅力にも惹かれているのだ。結論から言えば、聖人君子という言葉が非常に似合う真面目で温厚な男なのだ。例を挙げればキリがないが、私が特に好きなエピソードを幾つか紹介したい。
喧嘩を止めるダヤン・ビシエド
時は来日初年度の2016年、7月8日の東京ヤクルトスワローズ戦。先発のジョーダン・ノルベルトはある選手に死球を与えてしまった。ウラディミール・バレンティンである。激昂する様子を見てすぐさま捕手の杉山翔大が止めに入るが、当然そう簡単に引き下がる相手ではない。ここに割って入ったのがビシエドだった。怒れるバレンティンを抱き留めると、諭すように語りかけながらグラウンドから遠ざけてこの場を鎮めたのだ。互いにエキサイトしてしまうケースも多い中、最も平和的な解決方法かつ彼にしか取れない手法だったと考える。
チームきっての努力家
プロ野球選手なのだから努力するのは当然、ではあるのだが彼の努力は並外れたものがある。ここでは特に、守備における努力について語りたい。というのも、実はビシエドは来日するまで一塁の守備についたことがほとんどなかった。(キューバリーグ、MLB通じて僅か15試合)三塁や外野が主戦場の選手だったのだ。そのため来日当初は不慣れなポジションに難儀していた。とりわけファウルフライを背走しながら取ることが苦手で、平凡なフライでも落球してしまうシーンが見られた。当時の彼が苦悩する様を、長年チームの通訳を務める桂川昇氏も明かしている。そんな彼が2020年、2021年と2度のゴールデングラブ賞に輝いた時は感慨深い気持ちになったことをよく覚えている。練習と研究の賜物と言えるだろう。
愛工大名電 ビシエド
勿論ファンの間での"お約束"的な冗談である。本当の出身高校は皆さんご存知の、エスクエラ・デポルテ・エスパ高等学校だ。このネタは川上憲伸氏の発言がきっかけとされているが、そんなお約束が根付くほどに名古屋の街に馴染んでいたのがビシエドなのだ。大半の助っ人外国人が単身赴任で日本に来る中、ビシエドは家族と共に名古屋で暮らしている。インタビューでもビシエド一家がドラゴンズや名古屋を深く愛していることを語っていた。そして、通常シーズン終了後は帰国する選手が多い中、ファン感謝デーに参加して笑顔を見せる姿もファンの間ではお馴染みの光景だった。おそらく今までに他球団からのオファーもあったかと思うが、ドラゴンズを選ぶ理由は単に契約条件だけでなかったことは間違いないだろう。
チームを愛し、ファンを愛し、街を愛する。そんな彼の人柄がチームメイトやファンから愛される理由ではないか。
暗黒戦士
私の最も嫌いな言葉のひとつである。残念ながらこれほどの選手でさえ、チームを優勝させられないことを理由に否定的な意見を寄せるドラゴンズファンが少数ながらいる。私はこれに声を大にして反論したい。野球がチームスポーツである以上、選手ひとりの力でチーム成績を激変させることはないとさえ言える。
事実、村田修一と内川聖一を擁した横浜ベイスターズは最下位続きだった訳であり、ロサンゼルス・エンゼルスは2023年WBC決勝両チームの主将を擁しながらポストシーズンにすら進めなかった。あくまで選手ひとりの成績はチーム成績を上下させる要素のひとつに過ぎず、低迷の原因を特定の主力選手に向けるなど見当違いも良いところである。
ビシエドに関しては併殺の多さや高年俸が槍玉に挙げられることが多いが、致し方ない部分も多いだろう。併殺は長打と引き換えのようなものであり、走者を溜めた状態で打つことが多い4番打者では必然的に併殺が増えやすい。ビシエドは所謂ホームランバッターとは毛色が違い、強いライナーを打つことを得意とするため、ミスショットがゴロになりやすいことも考えられる。年俸の部分に関してもNPBの制度上、今までの貢献によって複数年契約の条件が決まる要素が多く高給取りに映ってしまう側面はあるだろう。
いずれにせよ、ビシエドがいなければ勝てた訳ではない。もっと弱く、もっと負けるドラゴンズがあっただけであろう。落合博満氏は「ゲームに出てるヤツをけなしちゃいかん」と述べている。最前線に立って数字を残し続けたビシエドはまさしく、この言葉の対象に含まれるのではないだろうか。
おわりに
長々と書いてきたが、私たちドラゴンズファンはただ単にビシエドが退団すること自体に憤慨している訳ではない。盛者必衰の理のとおり、いつかプロ野球選手としての終わりが来ることなど百も承知だろう。ただ、そこに至るまでの過程に疑問が尽きないのだ。勿論、現在の成績を鑑みると不動の4番打者として起用は出来ないだろう。だかしかし、それが放出前提の2軍漬けに繋がるのだろうか。5〜6番打者ならば、或いは代打ならばどうだろうか。現在のドラゴンズも決して、彼が競争に負けて2軍に落ちるほどの選手層ではない。このチームに骨を埋める覚悟でプレーした功労者の扱いがこんな粗末なもので良いだろうか。
以前、私は記事の中で功労者であっても非情な決断を下す必要はあると述べた。それに則ればこの処遇も是とするべきなのだろうが、決して若い世代に完全に舵を切った訳でもなく中田や中島が苦しい成績の中でビシエドを放出する動きは看過できない。それでもこれを改革として球団は選んだのだ。是が非でも優勝して欲しい。そうでもなければ、この3年間苦しんだビシエドに顔向けができないではないか。
ビシエドは今、現役続行を望み出場機会を求めている。他球団ファンの皆さんがどれだけこの記事を読んでくださるか分からないが、もしあなたの贔屓チームとご縁があれば是非熱い声援を届けてあげて欲しい。これほどまでに真面目でチーム思いな助っ人外国人選手を私は他に知らない。決して若い時ほどの打棒はないかもしれないが、きっと移籍先でもチームのために全力を尽くしてくれることだろう。ダヤン・ビシエドは私たちの誇りなのだ。今までも、これからも。
期待を背に受けて
飛ばせ遠く
今放つアーチ
世界を翔ろ
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